#🍎【生き方は、正しさを競うことに乗らない。】
どうも。
C A S U E N Art Growth Circleです🪴
今日は、私たちが生きる上で
この前提に立たないといけないな
と思うことについてシェアします!
〇〇基準で人を見ると人を裁かなくなる。
昔々、そのまた大昔。
エデンの時代から
人は自然を管理するように言われてきた。
しかし、その管理責任を放棄し、
自分の思った通りに生きようとしている現代では、
動物は絶滅し、自然は崩壊していく。
これは言い得て妙ですよね。
自然に向かって絵を描く時、
どこか大きな存在に向かっているのを感じる時があります🪻
人の力では、
花一輪さえも咲かすことはできない。
髪の毛一本すら動かすことができない。
どうにもできないことはたくさんありすぎて
数えるだけでも大変です。
それなのに、
世の中が平和にならないことに
私たちはしばしば不満を抱いています。
「神様はなんでみんなを救わないんだ。」
というやりとりも、
神は正しい存在であるべきだという前提でしている話⛩️
神をも裁いてしまう、
人間の心はよく曲がっていますよね。
〇〇軸で人を見ると人を裁いてしまう。
世界最初のゴスペルは、
モーセの時代に歌われたと言われています🎵
そこでは、
これからカナンの地へ行こうとしている時
まさにそれを預言するかのように歌っているんです。
これは未来形。面白いですね。
神という実存ありきの未来感で見ると、
神にとっては未来のことは起こったことと同じ。
良いことも悪いこともその通りになっていく👀
自分の視点だけで、
自分軸で見ていると、
それしかないので知ったかぶりになります。
まさに現代の混乱は
まるで自分が神のようになっている人がたくさんいますね🤔
生き方は、正しさの競争にならない。
「義」とは
不義が一点の曇りもなく暴かれること。
神様が正しくなかったら信じたくないでしょう。
日本人はなぜ神社に行くんでしょうか?⛩️
西洋人はなぜ教会に行くんでしょうか?⛪️
それは神様が
人々を裁ける完全に正しい存在だと
無意識にも信じているからでは?
でも世界が平和にならないのは、
人の中に「自分が正しい」という思いがあるから。
その正しさの競争に乗らない、
真の生き方とは何か?
アートを担う次世代にとって
それを用いる正しい方向とはどこか?
どこにも属せず自由だと言われた
バンクシーでさえ政治にアートが使われています🐁
何をするにしても、
これからは神になろうとする人に右往左往されない
それを読み解く俯瞰した視点がいります。
意識して描くのと、
意識せずに描くのとでは全く違うからこそ
いつも慎ましくいたい。
そして、この競争から離れた生き方を
一人でも多くの人に気付いてもらうための種まきを🌱
私たちはしていきたい。
社会を良くするには、
そんな言語も世代も超えたアートの力が必要です!💪
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