子どもの話題は蚊帳の外
前回夫の話を他人にしても共有できない、ということを書きました。
同様にわが子のことも他人に話しても共有し合えない話題の一つです。
私にとって、いわゆるママ友を作ることは難しいのです。なぜなら、よくある話題が共有できないからです。
よくある子どもの話題~塾編~
幼い頃は発達の差はあれど保育所生活でしたので、加配の保育士さんがわが子について手伝ってくれたり、『幼い』ことで特性が目立ちにくいという理由もありました。
しかし成長とともに周囲との発達の差が浮き彫りになってきます。主に目立ったのはわが子ほ場合は『できない』『行動が遅い』です。
他のお子さんとの違いはあれど、保育所では行き帰りも別々のお迎えですし、じっくりと比較する機会も特にありませんでした。
ところが小学校に入った途端、世界は一変しました。
なぜかみんな一斉に『習い事』を始めたのです。それも一つではなく複数。一週間のほぼ毎日を習い事で埋め尽くされていました。
わが子は自分の時間を作らないと自身のペースが乱れるので、学校と家とで完全に分けた生活をしていました。
「お子さんは何か習い事はしているの?」がお母さんたちの間でのお決まりの質問です。
「うちは何もしませんよ」と私はハッキリ言い切りました。勉強なら家でできる学習材料があるのでそちらをメインに取り組みました。
やることをやってれば小学校の学習は十分でした。
他のお子さんたちは書道やそろばん、学習塾、英会話等足しげく通っていました。
よくある子どもの話題~スポーツ編~
習い事といえばスポーツも多いですね。
野球、サッカー、バスケットボール、水泳等。話に聞くとこれらも習い事として毎日を埋め尽くすように日常生活に入り込まれているようでした。
もちろんわが子はしません。本人にする意思もありません。運動は苦手ですし、発達性協調運動障害の回復のためにリハビリに通っていました。
そしてまたお決まりの質問です。
「お子さんは何か(スポーツの)習い事はしているの?」が始まります。「うちは何もしていませんよ」私は同じくハッキリ言い切りました。
わが子には習い事の他にもっと重要なことがありました。板書についていけるように文字を練習したり、定規で真っすぐ線を引く練習をしたり、時計の読み方を覚えたり、名札をつける練習をしたり、主治医の指示で毎日私が算数の練習問題を作って学習しました。何よりも周りのお子さんと足並み揃えて行くためには学習のほかに日常生活動作の練習を毎日積み重ねる必要性が山ほどありました。
よくある子どもの話題~進学編~
中学校は数ヶ月しか通いませんでしたので、居住地区の様々なしがらみからは解放され、わが子も私も清々していました。
しかし、子どもの話題はどこでも出てきます。特に職場ではお決まりの話題です。そしてなぜか同い年の子をもつ同僚が多いのです。
勉強、部活、習い事、様々な話題をスルーしました。わが子のことはオープンに話しており隠すことはありません。
とはいえ雑談の内容にまで周りは気をつかうことは無いですし、逆に気をつかわれても心苦しいだけです。
『ウチはウチ』と覚悟をしていても孤独感は生まれるものですね。同じ歳の子どもの話題に何一つ入れない居心地の悪さにいかにして自分を守れるかとその術を考えざるを得ませんでした。
そして高校進学は人生の一大イベントの一つです。どの親だって必死です。
私ももちろん進学については通信高校の下調べをいち早く初めて体験入学や学祭への参加など、少しでもわが子が自分で興味を持って自身で選べるように工夫しました。
そうはいえどやはり周りとは話しが合いません。恥ずかしいなどの感情はありませんが、想定内の事とはいえ話題に入れない居心地の悪さは感じます。
よくある子どもの話題~将来像編~
これは辛辣に突き刺さる話題ナンバーワンです。
高校以降の進学はさておき、就職、結婚など本人の努力だけではどうにもならない出来事がよく話題になります。
話題にあがるということは、どの母親も子の将来が不安であり語り合うことで自分の不安を他の母親とも共有し合いたいのだと思います。
それは痛いほどわかります。
私の場合は気持ちの共有はある程度できても、将来像のイメージが周囲の人とは異なっています。
就職については、障害者枠でするのか一般枠で可能なのか?それよりもわが子が目指す将来は仕事につながるのか?
就労移行支援を調べておこうか、障害者年金について調べておこうか等など将来の生活の基盤もベクトルの方向も根本的に異なります。
結婚については正直前向きに考えることができません。仮に本人が望んだとして運良く相手が現れたとして、私と同じ思いや苦労を辿るかもしれない不安が込み上げます。
わが子には自立した将来を送って欲しい。親はいつまでも子どもの世話はできません。だからこそ生きていく術を身に着けること、経験値を増やし多くの体験をしていくことが最重要事項となります。
私がこの世を去った後でもわが子がしっかりと自分の足で立って生きていって欲しいと切に願います。
ここまで読んでくださりありがとうございます。