大患難時代(後半)
地の王たち、高官たち、千人隊長たち、
金持ちたち、力ある者たち、
すべての奴隷と自由人が、
洞穴と山の岩間に身を隠した。
そして、山々や岩に向かって言った。
「私たちの上に崩れ落ちて、
御座に着いておられる方の御顔と、
子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。」
(黙示録6章15-16節)
地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、
すべての奴隷と自由人とは、指導者層、エリート、特権階級なので
世界経済フォーラムに喜んで参加している
….. そういう類いの人たちでしょう。
シュワブにファウチ、ザッカーバーグにゲイツ、
オバマもバイデンも、そして竹中平蔵までもが
洞穴と山の岩間に身を隠し
山々や岩に向かって言います。
私たちの上に崩れ落ちて
私たちを隠してくれ
….. こんな様子が想像できるでしょうか?
ちょっと観てみたいと思うのは
筆者だけでしょうか?
上記は大患難時代の前半に起こること。
前半を少し読んだだけでも
携挙で取り残されると
「生活用品の備蓄程度では十分でない」ことが
分かっていただけるかと思います。
執筆時点(2024年3月)でも
生きづらさは相当なものですが
これから始まる患難時代は
今の比ではありません。
世界に背を向けて
逃げ出したいほどの禍とは
どのようなものなのでしょう?
なぜ、今救われることを勧めているか
少しでも分かっていただければ幸いです。
さて、大患難時代後半の3年半が始まります。
鉢の裁きへの序章 - 黙示録15章
1節では、7人の天使達が7つの鉢を携えているシーンが描写されます。ここに神の憤りは極まるという言葉の重みを感じていただけるでしょうか。登場する7人の天使達は、神の怒りを地に注ぎます。これにより、地の裁きが完成されます。その裁きの厳しさは、想像を絶するものになると、念を押されているわけです。
2-4節には、大患難時代に入って殉教した聖徒達の姿が神の竪琴を手にしてガラスの海のほとりに立っていたという描写があります。絵画的な光景です。彼らは獣の刻印を受けとらず、反キリストの前に膝を屈しなかった者達です。死を恐れず、立ち向かった彼らは、二つの歌を歌います。一つはモーセの歌(出エジ15章1-18節)、もう一つは子羊の歌です。
5-8節では、一連の裁きを含んだ7つの鉢が7人の天使達に渡されます。結果、天の聖所は神の栄光(シャカイナグローリー)に満たされます。これにより、鉢の裁きが地に注ぎ終わるまで、誰も聖所に入ることができなくなりました。そして16章1節で、いよいよ7つの鉢の裁きが地に注がれます。ただ、この光景は、地上からは見ることができません。この時、天にいる者だけが目にする光景です。
I. 鉢の裁き
第一の鉢 - 黙示録16章2節
最初の鉢の裁きは、獣の刻印を受けている者にのみに起きる悲劇です。ひどい悪性の腫れものとは、皮膚にできる潰瘍か、悪性の腫瘍と考える現代の聖書学者がいます。現代における悪性腫瘍とは、生体の自律制御を外れて自己増殖する細胞集団を指す言葉です。腫瘍のうちで周囲の組織に浸潤して転移するものの総称で、がんのように死亡につながることも多いものを指します。が、必ずしも同じとは言えません。聖書の解釈を現代に引き寄せて考えると見誤ることが多いで注意が必要です。
旧約聖書に登場する、これに似た症状には、エジプトを襲った「膿の出る腫物」や、ヨブを苦しめた悪性の腫物などがあります。
こうした痛みを伴う、ただれや腫れ物などの記述は、確かに現代的な皮膚病や癌を指していると解釈することも可能ですが、聖書の時代、特に旧約時代には、現代医学用語は存在しないため、現代的な疾病や症状に当てはめるには無理があります。うみの出る、あるいはからだを引っかいたなど症状や所作から推し量るしかないでしょう。いのちに関わる病ではないかもしれませんが、辛い症状であることは確かです。
大患難時代前半の第五のラッパの裁きでは、信者以外の人(未信者も含む)に対して、死にたくても死ねない苦しみが与えられましたが、ここでの苦しみは獣の刻印を受けている者たちと獣の像を拝む者たちに限定されます。裁きとしての腫れものですから、一般的な湿疹や蕁麻疹など軽い症状のものを想定しない方がいいでしょう。
第二の鉢 - 黙示録16章3節
二つめの鉢は、海に対する裁きです。聖書では「塩」は裁きの象徴として用いられており、創造の時点で既に、海は罪に対する裁きの象徴でした。海は人間の罪や悪の影響を受けやすい場所ですが、一方で神の目から隠れていると思われる場所でもあります。むしろ、目をつぶり、見過ごされていたのかもしれません。海が血に変わることは、神の怒りや憤りを表しており、海洋生物が全滅することは、神の恵みや慈しみが最早消え失せてしまったことの表れです。人間や他の生き物にとっても耐え難いものとなります。
これに似た現象は、聖書の「出エジプト記」第7章に記されています。モーセとアロンが、エジプトのファラオの前で行った奇跡の一つです。モーセが杖を振り上げてナイル川の水を打つと、水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなったとあります。このことによって、わたし(聖書の神)が主であることを知る、とあるとおり、神の力と主権を示す出来事でした。
モーセの場合は飲み水が影響を受けましたが、黙示録で裁きを受けるのは海です。この時以降、海には生き物が棲めない状態になります。第二のラッパの裁きでは、海の1/3が血に変わりました。ここでは残りの海水が影響を受け、海の生物が死に絶えます。
第三の鉢 - 黙示録16章4-7節
第三のラッパの裁きでは、飲み水の1/3が血に変わりました。そしてここでは、残りの飲み水が影響を受けます。ただし影響を受けるのは、川と泉であって、井戸の水や貯水池は無傷で残ります。第二の鉢の裁き同様、水が血に変わることとは、神の力と主権を示す出来事です。
裁きの理由は、預言者や聖徒たちの血を流させた罪に対する報復で、神の裁きの正しさを明らかにするため、と記されています(5-7節)。これで海も、その海に流れ込む川の水も血の色に染まります。飲み水を求めて川に集まる野生動物たちも死の影に怯えることでしょう。
第四の鉢 - 黙示録16章8-9節
第四のラッパでは、太陽や月、星々など、天体の光源の1/3が影響を受けましたが、ここでは太陽の温度が上昇し、人間が焼き尽くされるほどになります。科学的に考えてみると、人が直接太陽に焼かれる可能性は低いと思われます。が、太陽からの放射線やフレア、さらには太陽の変化(黒点の活発化など)による影響は、地球や地球上の生命に大きな影響を及ぼす可能性は否定できません。ここ数年の異常なまでの夏の暑さや異常気象を鑑みると、この延長線上にある未来が垣間見えるかもしれません。
この時点で人々はやっと、こうした状況が神から来ることを理解するのですが、決して悔い改めようとはしません。人間の罪深さ、罪に雁字搦めにされた状態の人間たちの絶望的な状態を痛感させられる記述です。
第五の鉢 - 黙示録16章10節~11節
第五のラッパは、全部で五回あるうちの三回目の暗闇でしたが、ここに記されているのは四回目の暗闇に当たります。これにより、獣の王国全体が、暗闇に包まれ、トランスヨルダンの三地域を除く、全世界が暗闇に襲われます。人々の苦しみは増し加わるのですが、それでも人々は悔い改めようとしません。トランスヨルダンとは、ヨルダン川の東側にある地域のことです。歴史的には、旧約聖書の時代にはギリアデ、アンモン、モアブ、エドムなどの地域がありました。
人が暗闇を怖れることには幾つかの要因があります:
不確実性と未知への恐怖: 人間は「視覚」を主要な情報源として用います。暗闇は視覚からの情報を奪い、周囲の状況を把握しにくくします。このため未知のものや予期せぬ出来事への恐怖が増大します。
孤独感: 暗闇は孤独感を引き起こします。視覚的な接点がないために、他者や物事とのつながりを感じにくくします。
危険への恐怖: 暗闇は危険を覆い隠します。視覚からの警告がないため、危険に対する恐怖が増します。
想像力の暴走: 暗闇は想像力を刺激します。視覚情報がないため、人間の頭脳は自ら情報を補完しようとします。これが恐怖を生む物語やイメージを生み出します。
その苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒瀆していることから、この時点でもなお、獣の刻印を受けた人間は、腫れ物やのどの渇きに苦しんでいる様子が想像できます。
II. ハルマゲドンの戦い
いよいよとなる、大患難時代のクライマックスは、ハルマゲドンの戦いとメシアの再臨です。これらに関係する聖書箇所は膨大ですが、ここではハルマゲドンの戦いを幾つかの段階に分けて、一つひとつみていきましょう。
ハルマゲドンという名称は、様々な場所で、様々な状況で、人類最終戦争的な意味合いを含んで用いられていますが、来るべきハルマゲドンはまったく違うことが理解していただけるかと思います。
第六の鉢 - 黙示録16章12-16節 - i) メギドの丘に集結する反キリスト軍
第六の鉢の裁きが注がれると、ユーフラテス川が干上がります(12節)。こうして、反キリストの軍勢が大河を越えてハルマゲドンに集結します。聖書学者の中には、日の昇る方から来る王たちを「中国軍」と解釈する向きもありますが、これはラッパの裁きで登場する「二億の軍隊」の起源を「中国」と想定していることから派生しているようです。そもそも2023年調べでは、中国軍の兵士は234万人で、「二億」には全く及びません。聖書では「東方の国」とは常にバビロンやメソポタミア地方を指す言葉です。したがって、この王達は、メソポタミア地方から上ってきた王たちであると分かります。現代の中東情勢を鑑みると、イランやイラク方面からやってくると考えられます。「イスラエルを地上から抹消する」と息巻くイランの現行政権を見ると無きにしも非ず、ですね。
反キリストは、同盟国の王たちに参戦するよう促します。この戦争は最終的なユダヤ人撲滅を目論む世界規模の戦争に発展します。これは「偽りの三位一体」(サタン・反キリスト・偽預言者)の働きによるもので、悪霊の働きが強くなり、戦いに乗り気でない王たちをも奮い立たせます(14節)。15節は信者に対する励ましです。16節ではヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所が登場します。映画の「アルマゲドン」をはじめ、最終戦争、あるいは最終兵器的な意味合いで一般的に用いられていますが、本来はこの中東地域で将来起きる戦争を表す言葉です。
ハルマゲドンの原語は「ハル・メギド」。「メギドの丘」という意味で、イズレエルの谷の西側に位置しており、現代では観光施設が隣接する場所です。筆者も二度、足を運んだことがあります。歴史的にも戦略的なロケーションで、イスラエル最大の谷に抜ける場所を守る要所となります。メギドの丘からイズレエルの谷全体を見渡すことができます。ガリラヤの低地である、この大きな谷に、ユダヤ人撲滅のため、世界中の軍隊が集結します。
この低地で戦いは行われません。イズレエルの谷、メギドの山は、軍隊が集結するだけの場所で、実際の戦いは別の場所で行われます。
ii) 大都市バビロンの崩壊
反キリストは、悪名高い、あのバビロンを再建し、世界の首都として制定します。この都市は政治的な意味合いを持つだけでなく、経済の中心地としても栄えるようです。このバビロンは「奥義のバビロン(Mystery Babylon)」と記されているため、正確なロケーションは分かりません。おそらく、時が来るまで伏せられることでしょう。あくまで筆者の個人的な意見ですがこの場所は文字通り、イラクのバグダッドと考えます。EU諸国と考える人もいるようですが、これは近年、欧州に反キリストを連想させる建造物やしるしが多く確認できるためでしょう。
ハルマゲドンの戦いが始まって間もない段階で、このバビロンが突如破壊されます。破壊に関しては聖書にも幾つか言及されています。
この大都市バビロンに対して、多くの者が立ち上がります。彼らは反キリスト軍に敵対する勢力で、反バビロン勢力となります。目的は悪の大都市バビロンの破壊。都市の破壊に手を貸す者達は、わたしに聖別された者たちと呼ばれていることから、彼らが信者であることが分かります。異邦人の信者で結成された勢力。映画『スターウォーズ』に登場するレジスタンス軍のような立ち位置なのかもしれません。大都市バビロンの陥落は、ソドムとゴモラのそれと似ています。バビロンは悪霊たちの幽閉される場所となり、人が住めるところではなくなります。
破壊に伴い、バビロンは悪霊たちの巣窟となります。再臨したメシアが治める千年王国の間、バビロンは悪霊たちが幽閉される場所となります。バビロンに対する裁きは、他と比べても重いものとなります。あっという間に燃え広がる火によって、この大きな街が滅ぼされる様子が描かれます。バビロン陥落後、バビロンに依存する者達の間で嘆き声が上がります。これらは主に以下のカテゴリーに収まります。①反キリストに従属した七人の王たち、②商人たち、③流通ビジネス関係者がこれに当たります。
七人の王は、遠方から大都市バビロンの方向に立ち上る煙を見て、大いに嘆きます。彼らの富も地位もバビロンあってのものだからです。彼らはイズレエルの谷、メギドの丘から、その様子を覗い知ることになるのです。 この頃のバビロンは世界経済の中心地で、ビジネスや貿易が盛んな都市でした。ところが突如、この街が災難に見舞われます。王の富も商人たちの富も煙のように消えてしまいます。貿易で富を得ていた者たちも、都市を襲った突然の災害に声を失います。
※参考聖句:エレミヤ50章~51章:破壊の様子。黙示録18章1-24節にも同様の内容が記されています。
iii) エルサレム陥落
驚いたことに、反キリストと世界の同盟軍は、バビロン陥落の知らせを受けても、街に戻ろうとはせず、エルサレム進軍を推し進めます。反キリストは、サタンの意向を優先するためです。サタンの意向とは、ユダヤ人を地上から一掃すること、メシアの再臨を妨げることに他なりません。
地のすべての国々は、それに向かって集まって来る(3節)。イズレエルの谷(メギドの丘)に集結した反キリスト同盟軍が南下して、エルサレムを包囲。イスラエルは、国家として1948年5月独立していますが、ここで再び、エルサレムが異邦人の手に落ちます。この際、エルサレム住民の半数は、捕虜となり、残りの半数は何とか生き長らえます。
その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする(ゼカ12:3)。サタンに発破をかけられ、自らを奮い立たせてきた反キリスト同盟軍ですが、なかなかエルサレムを陥れることがかないません。神御自身が介入され、残って戦うユダヤ人たちを強めるためです。反キリスト軍はかなりの痛手を被ります。神の介入は、4-9節に記されています:
メシア再臨の前、エルサレムにおける戦いでは神御自身が介入され、この日、イスラエルはかつてのダビデ王のごとく強くされます。異邦人の軍勢は、エルサレムに攻め上り、ユダヤ人を一掃しようと目論見ます。ところが神は、イスラエルの指導者を薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにされ、周りの異邦人勢力を焼き尽くします。ミカ 4:11-5:1にも同様の記述がありますが、ここではその後の展開にも言及しています。エルサレムはここで、敵の前に陥落します。
イスラエル軍の反撃は、文字通り神がかっているのですが、最終的にはイスラエル軍は敗れ、異邦人勢力がエルサレムを制圧します。彼らは、指導者を捕らえ、その頬を杖で打つと記されています。さらに、ゼカリヤ14章2節にある通り、都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯されます。エルサレム住民の半数は捕虜となりますが、残りの半数は逃げ延びます。この逃げ延びた人たちがイスラエルの希望となります。
iv) ボツラにおける反キリスト軍
この段階では、ユダヤ人とその指導者たちの姿は、最早エルサレムには見られません。この時既に彼らは、ボツラ Bozrah (エドムの地で南ヨルダンにある現ペトラ)に移動しています。ハルマゲドンの戦いにおける、サタンの主要な目的は、ユダヤ人抹殺であるため、反キリストの軍勢は南下し、ボツラへと下っていきます。逃げ延びたイスラエルの指導者と民がそこにいるからです。
イスラエルのレムナント(残れる者)たちを滅ぼし尽くそうと、諸国の軍は集結し、ボツラへと下ります。そしてこの時点で …..
メシア再臨まで、あと3日。
(以下、キリストの再臨に続く)
※引用、および参考:
・Dr. Arnold Fruchtenbaum; "The Footsteps of the Messiah: - Revised 2020 Edition"
・メッセージステーション ヨハネの黙示録講解メッセージ
文中聖書引用:
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会