バブルの頃#186:IF
読者の皆さんも、「もしもあの時にこうしていたら」という意思決定に関する後悔なり、別の可能性があったかもしれないという局面を何回も経験されていることでしょう。
すでに忘却してしまっている昔のIFは別として、直近の選択肢には多少の未練が残ります。そうしたものを振り切ることは、難しいことですが、加齢により気力が衰えてくると、じっとしていると忘れることができるような気がしてきました。「損切り」とか「危機管理」とか「リスクヘッジ」とかいって、リスクとリターンを比較考量することができるかも知れません。
いまだに忘れられないのは、外資の日本法人を解散し、次の職場を探していたときのことです。日本の同族会社の典型ともいえる企業に15年在籍して、そこから友人の誘いにのって外資に転職しました。その100%外資企業に在職中、同僚が次々と転職する中で、危機管理を怠っていました。在職中に人材登録をし、ヘッドハンターに会うなど考えられませんでした。日中は日本企業、夕方からドイツ、深夜には米国と連絡をとりながら、一歩さがれば土俵の外という緊張感のある仕事をこなしている中で、一番仕事に集中しているときに次の職場を探すということはできませんでした。同族企業で滅私奉公のような「しがない勤め人」をしてきたので、いつも逃げ出す用意をすることに抵抗がありました。御恩と奉公みたいな感じで、真面目に働けば報われるという勘違いです。
ともかく、初めて再就職活動をすることになりました。いろいろ相談にのってくれる方がいました。その方と再就職活動の進捗を酒肴に何回が会いました。そのうちにその方の会社に誘われ、勢いで決めました。先方が役員会で採用を決めたという連絡があったその晩、ヘッドハンターから電話があり、米国企業が日本法人設立に向けて日本人の代表を探しているということでした。先に決まった日本企業をドタキャンして、このオファーに挑戦することは、できませんでした。(今ならできるかも知れませんが、肝心のオファーはないでしょう。)
当時は、もしあの時ヘッドハンターの誘いにのっていたらどうなっていただろうかというつまらない考えが「ぼうふらの浮き沈み」のように、浮かびました。今は、あの時ドタキャンして周囲の信頼を裏切らなくて良かったと思っています。欧米企業とのビジネスチャンスは一時逃したかも知れませんが、一番大事なのは、目先の利益追求より、中期的な先行投資を含む信頼性の確保だと思っています。