修論とかいう詰みゲーに関する一考察
Ⅰはじめに
本論はゆる言語学ラジオ非公式アドベントカレンダー(図1)の一環として制作された。交流の土壌を作っていただいたゆる言語学ラジオの水野氏とMr. ホリモト,および当カレンダーの発起人であるらこらこ氏をはじめとしたゆる言語学ラジオサポーター・用例諸氏にこの場を借りて謝意を表する。
本論の内容は「アカデミック向いてない」だけであり,ゆる言語学ラジオ本編とはそこまで関係がないことはご了承願いたい。
図1. ゆる言語学ラジオ非公式アドベントカレンダー
先行研究により,多くの修士課程生が修論は詰みゲーであると考えていることが示されており(e.g., Kashimoto, 2022),筆者の修論も詰みゲーであることは周知の事実である。
本論は筆者の修論が詰みゲーとなった経緯と背景を分析し,修論を詰みゲーにしないための対策について考察することを目的とした。
本論が後進の学生諸賢の修論(あるいは卒論)が詰みゲーとなることを回避するための一助となることや,「修論って何?」というシャバの諸賢からの同情を得やすくなることを願ってやまない。
なお筆者は心理学(認知心理学および実験心理学)専攻であるが,なるべく専攻や筆者特有の事情には触れないように心がけた。しかし,以下は全てn=1の体験談であることに留意されたい。
加えて筆者は今年度限りでアカデミアを脱獄予定の修士課程在籍者であり,大した研究能力がない。それにも関わらず修論について論じているため,研究チョットワカル諸賢は,この先の節に目を通すことを推奨しない。一匹のメタモンが戦闘不能になる可能性があるためである。
Ⅱ修論はなぜ詰むのか
本節では,主に「修論ってなぜ詰むのか」という問いに対して,筆者の経験を記述した。
したがって,「修論は詰みゲーだよね。わかる。」という非シャバ育ちの諸賢は読み飛ばしていただいて差し支えない。
筆者が詰んだ個所は序論である。
序論とは研究の導入である。何故この研究をするべきなのかを,先行研究によってこれまで分かってきたことや,社会的な背景から説明をする場である。そこで,本節では筆者が序論で詰んだ理由を以下に考察した。
1. 先行研究の読み方が雑で,書くのに必要な知識が足りなかった
ここで言う「読み方」とは,①1本の論文の読み方と②読む論文の選び方(論文の探し方)の2つを指す。
①1本の論文の読み方が雑だった。
筆者は「全訳はしないが,おおよその内容を把握する中で,1段落ずつの内容を1行程度にまとめ,PDFのメモ機能で記録する」という方法を取っていた。当時(M1次)は以下のように考えていた。
上記の発言は途方もなく間違っている。論文の中身などすぐに忘れるし,メモには大したことは書いていない。これは英語論文なのか日本語論文なのか(あるいはその他の言語なのか)の如何を問わない,真理である。
一度読んだ論文の内容を再度細かく読み直すのは,特に時間のない修論が佳境に入ってからの時期にはできるだけ避けたい行為である。
②読む論文の選び方が雑だった。
筆者は「新しめの論文の方がよさそう」などという根拠のない方針に従い,テーマ×出版年で読む論文を探すことが多かった。
しかし,研究とは巨人の肩に立つことである。古典的研究の知識なしで,新しい研究のみで作られた巨人は,見た目はいかついかもしれないが,中身はモロモロである。骨粗しょう症でALSの範馬勇次郎のようなものだ。
加えて,その読んだ論文の読み方も①で述べた通り雑なため,序論を書くための知的資源は大層お粗末なものであったことが示唆される。
2. 研究意義をゆるっとしか考えていなかったので,
「修論の研究意義」が書けなかった
これは筆者を始めとした「とりあえず実験やってデータ集めるのが楽しい勢」あるあるだが,「この辺のことが研究されてないっぽいから実験したろ!」という勢いでデータを取ろうとする姿勢がある。
筆者というぺーぺーM2の主観ではあるが,そのような姿勢で進められる研究も大変に意義があると考える。データは蓄積されればされるほど後世の役に立つので,よい(p-hackingとかはしちゃだめだよ)。
しかし修論ともなると,そうは問屋が卸さない。修論ではそのテーマについて
・どのような概要か
・どのようなメカニズムで成立しているか
・今までどのような研究がされてきたのか
・その結果どのようなことが分かってきたのか
・逆にどのようなことが分かっていないのか
・それが分かるとどのような良いことがあるのか
などのことをきっちり書く必要がある。
筆者自身も,これらについて ふわっ とした方向はあったのだが,きっちり書けと言われたところ,何もわからなくなってしまった。
このように,研究を始めた段階でどのような研究意義があるかを固めていないと,修論を書き始めてすぐに詰む。
しかし,この研究意義が固まらないという問題も,雑な論文の読み方が引き起こす知識不足に起因すると言えるだろう。
したがって,修論を詰ませないためには,先行研究の読み方が重要なのではないだろうか。
Ⅲ修論を詰みゲーにしないために
著者と同じ轍を踏まないためにはどうすれば良いかについて,前節で挙げた「専攻研究の読み方」という点に焦点を当て,著者の考えを3点に分けて以下に記した。
1. 先行研究を読んだ後は,内容が一目で分かるようまとめるとよい(1本の論文の読み方について)
先述の通り,読んだ論文の中身などすぐに忘れるし,メモには大したことは書いていない。そのため,論文は「何のためにしたか」「何をしたか」「どういう結果になったのか」くらいが一目でわかるとよい。
筆者の研究室の後輩がこれらをフォーマット化し,読んだ論文をパワーポイントに1ページ/1本でまとめていて,大変有用なやり方だと感じた。どこで習ったのかは明らかではない。
2. 手広く論文は読んだ方が良い(読む論文の選び方について)
古典的研究を読め。ということは勿論であるが,ここでは筆者が研究意義を書きやすくするためにどうすれば良かったのか,に着目した上で論じる。
研究意義というものは,得てして相対的なものである。
例として「「ゆる言語学ラジオのパーソナリティである水野氏」について研究したい場合を考える。この場合,「Mr. ホリモトの身長が167cmであることは明らかになっているが(図2),水野氏の身長は不明である。」という問が考えられる。
このように「Aについては分かっているが,Bについてはあまり分かっていない」場合「B(i.e., 水野氏の身長)を特定し,B全体(i.e., 水野氏の個人情報)について知見を加えること」が研究意義として成立する。
筆者も修論において,ざっくりとこのような問を立てていた。
しかし筆者は「まだ分かっていないこと」についての先行研究の調査は行ったが,「すでに分かっていること」については調査が足りなかった。
具体的には水野氏の個人情報については身長以外の本名・生年月日・住所を特定したが,Mr. ホリモトの個人情報は身長以外特定していなかった,という次第である。
それでは すでに分かっていることについて,どのように調査すれば良いのだろうか。結論としては「そんなこと分かってたら今頃苦労してない」であるが,役に立ったかもしれない方法を2つ以下に挙げる。
①論文の引用・被引用論文から探す
引用論文とは,その論文が参考にした論文であり,被引用論文とはその論文が参考にされた論文である。
当然,関連した研究が引用・被引用するので,役に立つ論文を見つけやすい。
②Connected papersを使う
Connected papersは,関連した論文のリストを可視化するツールである(図3)。
古い論文はあまり表示しないか,どういう訳か引用文献にない論文も見つけてくれるので,上手く使えば関連研究が簡単に見つかるかもしれない。
3. それでも修論は詰む
最後に「論文の読み方」とは関係のない筆者の主張を記す。
修論はそもそも詰みゲーなのである。
研究に足を突っ込んでから精々3~5年の赤子にできることなどたかが知れている。論文を読むにも時間がかかる。データ収集も下手。研究テーマのことも全然わかっていない。
それなのにも関わらず,修論ではそこそこのデータを集め,そこそこの議論をすることが求められる。
そりゃあ無理に決まっているのである。
筆者は「量より質だが,質は量で補える」をモットーに生活している。他に上手いやり方があると感じても,それが分からないうちは我武者羅に作業するのも一手ではないだろうか。
M2が「修論無理!!!!」と叫ぶのは宿命,そして伝統芸能なのである。
なお,観測した日には「まぁまぁ飲めよ」と言って酒を差し出すのが得策である(諸説あります)。
Ⅳおわりに
筆者がアドベントカレンダーの提出日に本日を選択したのは,1か月後である1月6日が修論の最終提出日であることに起因する。
したがって12月6日現在,筆者の序論は未だ詰んでいるし,最終章である総合考察でも詰むことは想像に難くない。
今後の研究では,総合考察で詰まないための論文の読み方や修論の進め方について検討されることが望まれる。
あまりにも時間が足りなかったため,制作中に現れる「節分けがMECEじゃないな~」「説明足りなくない?」などとほざくイマジナリー堀元たちは力尽くで黙らせた。そのような拙文ではあったが,ここまでお読みいただいた各位には厚く御礼を申し上げたい。
このような修論批判をそこはかとなく書き連ねはしたが,修論は楽しい。
ある1つのテーマをこれほど突き詰めて,実験をしたり資料を集めたりして,考えをまとめる経験などそうそうできないのではないであろうか。
修論は楽しい。
修論は楽しい。
修論は楽しい。
そんな夜を探してる。