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父さんとのお別れ

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4/18の朝、

父さんが亡くなった。

69歳だった。

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わたしの父さんは一級建築士で、

仕事が生き甲斐のような父さんだった。

元々は、赤羽の団地の家庭に生まれ育ち

結構いろいろ苦労していたらしいけど

建築士になるためにがむしゃらに

勉強熱心に頑張っていたみたい。

父さんが残した仕事の功績も

わたしはほんとに凄いなと尊敬してる。

東京駅丸ビルの(地下フロア)設計や、

広尾のフランス大使館。

学校やお寿司屋さんなどなど、

わたしの知らない世界でめちゃくちゃ頑張って

いたと知れば知るほど驚きと感心。

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うちの家族は、父、母、わたし、弟。

とても、不器用ないびつな家族だった。

お母ちゃんとお父ちゃんは仲が良くなくて、

そのことが子供の頃から悔しくて悲しかった。

ただ、

不器用ながらに

父さんはわたしと弟には

いろいろ買ってくれたりして

尽くそうとしてくれていた。


ただ

仲良し家族に憧れすぎて

とにかく

私はずっとちびまる子ちゃんの家庭に憧れてた。


私には中学のころから

音楽やいろいろな夢中になるものが

見つかったから18歳で実家を出て

自分で幸せを見つけていこうと飛び出した。


でも自立して飛び出して気がかりだったのは

父さんのことだった。

わたしは父さんに幸せになって欲しかった。



建築士の仕事は充実していたかもしれない。

でも、家族は決して円満ではなかったから。

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ちょうど10年前の春、

某ブランド時計のビルの仕事に関わっていた時期、

父さんがクモ膜下出血と脳動脈流破裂で

倒れた。

その日から父さんが設計士に戻ることはなかった

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そして10年後の春。

父さんとのお別れ。


元気だったころは

お酒もタバコも好き。

いつも終電で帰宅して早朝には出勤してた父さん。


うん、

今でもわたしには設計士として

元気だった姿しか思い出せない。



お別れはきのう。

コロナ禍の影響もあり、

家族三人だけの家族葬。

棺の姿は信じられなかった。

でもぐっすり寝てるみたいな

お顔だったからよかった。


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棺の中に手紙をいれて

お別れをした。

手紙を書いてる時に涙は溢れたけど

最後のときに涙は出なかった。

最後に手紙を渡せたからだとおもう。

気持ちはいつでも伝えなきゃいけない。

後悔はだめ絶対。

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私の名前は絵里(えり)

由来は父さんがサザンが好きで、

いとしのえりーから名付けてくれた。

裏の由来は、絵が好きで故里を愛す子に

なるようにだったみたい。うん。 

絵里になれてよかった。

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屋上に上がると

今日も空はでかくて

綺麗だ。裏切らない空。

きのうからの疲れが

空の綺麗さに浄化されていく。



ここまでブログを

読んでくださり

ありがとうございます🌙



おやすみ日曜日。


えりー。

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