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550円で奪った命と無期懲役~東京駅・コンビニ店長刺殺事件~

平成14年7月21日早朝

男はその日、いつものように始発電車の切符を買い、東京駅と八王子駅を結ぶJR中央線に乗り込んだ。
早朝5時とはいえ、この季節はすでに外は暑い。男は八王子と東京駅を往復するその電車に乗って、睡眠をとるのが日課になっていた。
6時45分、電車が東京駅に着いた。寝付けなかった男は、空腹を覚えとりあえず東京駅に降り立った。
ふと目についたコンビニに入り、そっと辺りをうかがう。
「大丈夫、これまでも一度もバレなかった」
おにぎりとパン、そしてコーヒー牛乳を隠し持ったまま、男は店を出る。
男はそれまでもこの店で何度も万引きをしていた。東京駅構内のコンビニという立地上、客が多く混雑する中での万引きは楽勝であった。
しかし、この日男の行動の一部始終を店員が見ていた。

事件概要

平成14年7月21日午前6時50分ごろ、JR東京駅構内1階の新幹線中央乗り換え口付近にある「サンディーヌエクスプレス東京センター店」で、パンやおにぎりなど計4点、550円の品物を万引きした男が店員に咎められるも逃走、追いかけてきた店長の桶田順彦さん(当時33歳)に捕まった。
事務所に来るよう促す桶田さんに対し、当初は渋々従い事務所付近まで戻った男が突然抵抗し、桶田さんと格闘、その際に隠し持っていた刃渡り7センチのペティナイフで桶田さんの腹部を刺した。
男は刺されてもなお立ち向かってくる桶田さんを振り切って逃走、東京駅地下一階への階段を下りていく姿が防犯カメラ映像と、近くで仕事をしていた納入業者らに目撃されていた。

男は髪がぼさぼさの長髪で、年齢は30代、口とあごには髭もあった。桶田さんともみ合った際に眼鏡を落としていたため、普段は眼鏡をかけていると推測された。
桶田さんを刺したことで服に返り血などもついている可能性があったが、男の服装は黒っぽい服装であったようで、その後の目撃情報はなかった。

桶田さんは腹部に深さ7センチの刺し傷を負い、出血性ショックで死亡した。

早朝の東京駅構内という公共の場でなされた惨劇、しかも犯人は刃物を持って逃走中ということで、その日のニュースはこの事件一色であった。
防犯カメラの映像はすぐさま公開されたが、翌7月22日、親族に付き添われた男が立川署に訪れ、桶田さん殺害を自白した。

男は大森秀一(当時34歳)。事件当時は無職で、住所不定だった。
桶田さんを刺したことについて、「逃げるにはこうするしかないと思った」と供述。
さらに、大森は執行猶予中の身であったため、たとえ万引きであっても露見すれば即刑務所となることを恐れて、逃げるためにあらかじめ刃物を用意していたこともわかった。
大森は他のスーパーでも何度も万引きをしており、そのナイフも万引きしたものだった。

大森のそれまで

大森は昭和43年に東京で生まれた。幼いころに両親が離婚したため、小学校2年の時に弟とともに児童養護施設に預けられることになる。
小中学校へはそこから通い、中学卒業後は寿司職人見習いとして都内の寿司店で働いた。
しかし、わずか1か月で店を辞めると、すでに再婚していた実母の紹介を得て親戚が経営する水道設備会社で働けるようになる。
実際には7~8年勤務していたようだが、給料が入ると無断欠勤をするなど勤務状態は芳しくなかった。
ただ、親戚の会社ということもあってか、そのような態度でも置いてもらえていたようではあった。
親戚の水道設備会社を辞めたのちも、一つのところで長くは勤まらず、何度も転職を繰り返した。
平成6年には結婚し、娘二人にも恵まれたが平成12年に離婚、娘たちは妻が引き取った。

この頃から大森の生活はさらに自堕落になっていく。

平成13年には親戚の水道設備会社で再び働いていたが、5月半ば、大森はその会社をまた辞める。
辞める前に同僚から借りた12万円だけを持ち、神奈川県川崎市で生活するようになった。生活といっても、昼間はパチンコ店に通い、夜は漫画喫茶で寝泊まりするというもので、その生活は3か月に及んだ。
その間も、おそらく金がなくなりかけると実母宅へ帰っていたと思われ、実母の再婚相手の目を盗んで金の無心もしていたようだ。

しかし、そんな生活を実母も義父(実母の再婚相手)も到底許さず、実母から金を引き出せなくなっていた。
そのため、8月には東京都内の実母宅へ帰る電車賃すら使い果たしてしまい、切羽詰まった大森はたまたまエンジンをかけたまま路駐してあった車を盗み、実母宅へと向かう。
実母と義父の留守を見計らい、実母のクレジットカードを盗み出した大森は、それで10万円ほどキャッシングする。

大森はその金をまたパチスロに費やし、勝手に行ったキャッシングもすぐに実母らの知るところとなり、当然のことながら叱責された。
しかし義父が大森を許し、その代わり実母が生活する家に戻って、しっかりと仕事をするよう言われたようだ。
その後いったんは職安の紹介で水道工事会社に配管工として採用されたが、なんとそこも1か月もせずに辞めてしまう。
何かがあったわけではなく、これまでと同じ「給料が入ると無断欠勤」のようなことで、給料20万円程度をもって再びパチスロにのめりこんだ。

その20数万円を10日程度で使い果たした大森は、新宿区内で食料品を万引きして警察に引き渡された。
その際に、正当な理由なく果物ナイフを所持していたため10万円の罰金を科せられてしまう。
さらに、その三か月後には夏に川崎市内で盗んだ自動車の件で逮捕され、懲役1年執行猶予3年の判決を受ける。

大森はその後、再び実母方へ戻り、そこで水道工事の仕事に就くが、やはりそこもすぐに辞めてしまう。
根気よく、時には叱咤しながらも大森の更生を願った実母と義父は、5月半ば、もう一度実母の弟に頼み込んで弟が経営する水道工事会社へ就職させた。
この時、義父から「(転職は)これは最後となるように頑張れ、ただし、再び同じこと(勝手にいなくなるなど)をしたらその時は二度と家に入れない。浮浪者にでもなれ。」と最後通告を受ける。
今度こそという気持ちを持っていたと大森は言っていたようだが、義父の愛情や恩を考えることが出来なかったのか、またしても給料日の翌日である6月29日から大森はパチスロに興じてしまう。
金を増やせばそれだけ遊べる期間が長くなるという理由で、八王子駅周辺のパチンコ店で開店から閉店まで台に座った。
センスゼロの大森はその日、10万円負けた。もはやリアルウシジマくんである。
その後も当然実母方へは戻れず、八王子駅周辺のパチンコ店で遊び、夜は漫画喫茶で寝泊まりする生活を始めたが、スロットで勝つこともなく、1日当たり1万円のペースで消費していく。
7月10日の時点で所持金は5万円程度になり、かといって激怒しているであろう実母と義父の家には到底戻れず、大森はどうにかして「生活にかかる出費」を減らすことを考えた。
そこで思いついたのが、食料品の「万引き」だった。

桶田さん

事件の被害者となった桶田順彦さんは、昭和44年に生まれた。
父親は警察官、母親は専業主婦というごく普通の家庭で育ち、その後茨城県立藤代高校を経て青山学院大学法学部へ進学、そこで司法について学んだ。
卒業後は司法試験を目指して勉強に勤しむ傍ら、大学在学中からアルバイトをしていたJR東日本子会社「日本レストランエンタプライズ」にそのまま就職した。
平成12年には東京駅構内のサンディーヌエクスプレス東京駅店の店長に就任し、さらに慶応大学大学院の通信課程で経営学も学んでおり、仕事と勉強をしっかり両立させていた。
ファストフードなども取り扱う店舗だったためか、調理師免許も自ら取得し、司法試験以外の勉強にも積極的だった。
プライベートでも、平成7年当時に勤務していた別の店舗で同僚だった女性と交際しており、平成13年からは一緒に暮らしていたという。

警察官の父親を見て育ったこともあり、人一倍正義感が強かった。
高校時代もふざけてやるべきことをやろうとしない級友らに、「ちゃんとやろうよ」と声をかけたり、ことの大小に関係なく不正には毅然と対応する性格だったという。

コンビニで責任のある立場に立ったときも、アルバイトに対して叱咤する一方で、ミスをしたアルバイトに対して明るく言葉をかけ、ラーメンをおごるような優しい面も持ち合わせていた。

33歳。まだまだ夢を追い、プライベートも充実していた順彦さんは、大森と同世代でありながら、この二人のそれまでと日常は正反対であった。

一審懲役15年からの無期懲役

東京地裁で行われた裁判では、大森が出頭してきたことが自首にあたるかどうか、殺害の動機があったかどうかなどが審理された。
検察は強盗殺人により無期懲役を求刑していた。

大森は確かに刃物を携帯してはいたが、それをもってハナから「殺害することも視野に入れていた」といえるかどうか、という点が議論になった。
執行猶予中であった大森には、なにがなんでも捕まってはならないという事情があり、そのためにはたとえ相手に怪我をさせても逃げおおせなければならないという動機があった。
ただ、地裁では、「当初より相手を殺害したうえで金品を奪うという典型的な強盗殺人とは異なる」とした。
また、結果として奪った商品をその場に残して逃げた点も斟酌の材料となった(ここら辺理解しがたい)。
そして、自首についての議論では、特徴的な外見に加え、現場には遺留品(刃物、眼鏡)があり、大森が自首してこずとも特定から逮捕に至るのは時間の問題であったとしながらも、事件後3日での自首により、捜査の一番重要な部分が省かれ、いわば捜査の進展に大きく貢献(?)したとされた。
事件後、防犯カメラの映像や特徴などが広く報道され、すでに親族の間では大森の犯行であることが確信となっていた。
そこへ連絡してきた大森に対し、逃げ切れないなどと説得し、親族に伴われて大森は出頭したという経緯がある。
たとえ促されての出頭であっても、被害者が死亡していることを把握したうえでの出頭であることで、悔悟の念がなかったとも言い切れないと地裁は判断した。

判決は強盗殺人の法定刑の中で無期懲役を選択はするが、自首軽減によって懲役15年の判決を出した。

検察は当然控訴した。弁護側も「殺意はなかった」として控訴した。

平成15年11月7日、東京高裁控訴審判決。
一審の判決は自首軽減を重要視しすぎているとし、また、たとえ550円という被害金額であってもその結果の重大性、事前に刃物を用意し、格闘中ならいざ知らず、すでに観念したかのように見せかけて相手がいわば油断している状態でいきなり刺すという残虐性を重視すべきとして一審判決を破棄、求刑通り無期懲役を言い渡した。
大森は量刑不当として上告したが、棄却され判決は確定した。

万引き対応への批判

550円の食料品を万引きし、店員を殺して逃げたという事件の内容から、さまざまな意見がネット上を飛び交った。
当初は被害者の順彦さんへの同情ばかりだったのが、いつからか風向きの違う意見が多くはないが見受けられるようになった。

「万引き被害がほぼ毎日ある」としていた順彦さんが勤務していた店舗を含め、東京駅構内にある250の店舗から出された万引きの被害届は、この事件も入れて半年間でたったの3件だった。
万引き防止のため、万引きをしようとする人の心に訴えるステッカーなども作成され、コンビニエンスストアのオーナーらが加入していた「全国万引き防止協会」がそれらを店内に貼ったりもした。
事実ステッカー導入以降、万引きが激減したが、コンビニの運営本部から「客への印象が悪い」などとクレームが入り取りやめにもなった。
この頃は、店側も「低額商品の万引きでいちいち被害届など出せない(鑑識などで実質その日は閉店状態になることも理由の一つ)」という考えが強かったようだ。
同じころ川崎市内の書店で、少年が本を万引きして見つかり警察に引き渡された直後に逃走、その後電車に轢かれて死亡するという事件があった。その時、「たかが万引き」で少年を結果的に死亡させたとして店主に「やりすぎではないか」といった批判があり、店主は店を閉めるまでに追い込まれていた。
そういった経緯もあり、なぜか被害を被る店側が何の対策も取れないというような異常事態になっていたと言える。

しかし、順彦さんはその状態を危惧していた。

大森のケースより以前でも、順彦さんは万引き犯を3~4人捕まえていたという。しかし、上記のようなこともあり、警察に突き出すようなことはせず、料金を支払わせ諭していたと同僚らは証言する。
一方で、事件のあった年の3月、順彦さんに万引きを「注意された」女がその逆恨みで店のパンに針を混入させるという事件が起きていた。
普通、注意されただけで済んだ場合は逆恨みには発展しそうにない気もするが、後に大森の裁判が進むにつれ、その注意の仕方に問題があったのではという声が出た。

大森は順彦さんに追いかけられ捕まえられたのち、髪の毛をつかまれて事務所まで連行されたという。
また、大勢の人が行きかう駅構内で「この野郎!ちょっと待て」などと叫び、「お前金持ってんのか」などと聞いたこと、髪の毛をつかんだまま、頭を押すような形で連行したことなどが『やりすぎではないのか』との批判の的になった。
世論の中には、やはりその金額に対する順彦さんの対応が飛躍している、といった論調のものもあった。
川崎で起きた万引きした少年がその後逃走して電車にはねられて死亡した事件でも、数十件の「直接的」なクレームがあった。ほとんどが女性で、死亡した少年の母親と同じような世代であろう30代~40代だったという。

今回の事件では、比較的若い世代を中心に批判が起こった。ただそれは、決して大森に対する同情や万引きを軽く見ているということではなく、この順彦さんと大森との境遇の大きな違いが影響していた。

同世代でありながらかたや司法試験を目指す社会人、かたや中卒で無職の自堕落男。今でこそ、何の同情もされないと思われるが、この頃はどこか頑張っている人をあたかも傲慢な人であるかのように見る向きもあった。決して恵まれていたとは言えない大森の幼少期と、健全そのものの家庭で育った順彦さんとのいわゆる「埋めようのない格差」を他人事に思えない人もいた。

抜け出そうとしなかった男

大森は確かに複雑な育ち方をした。弟とともに施設に入り、かなり長く施設で暮らした。
ただ、そんな人は大森だけではないし、その後高校へ進学し、自分なりに努力を重ねている人の方が多い。施設で暮らしたことはハンディとは言えない。

しかも、母親もその再婚相手も、なにかにつけ大森に対し世話を焼き、職の斡旋をし、なんとか大森を自立させようとしていた形跡がある。
クレジットカードを悪用して無断で借金をした大森を義父は早い段階で許してもいる。
周囲の人々にしても、何度も無断欠勤をしたり勝手に辞めたりする大森を見捨てたりはしなかった。
それをことごとく踏みにじってきたのは大森その人本人である。
なんどもチャンスはあった。孤立もしていなかった。にもかかわらず、その状況から抜け出す努力をしていない以上、何の同情にも値しない。

最近でも、貧困やその人の責ではない、親の事情による不遇に対して過大ともいえる擁護論(すべてがそうではない)が出ることがある。
本人が自立できない未成年であれば話は別だが、そうでない場合はもはや自己責任としか言えない。

刑事事件の判決の後、順彦さんの両親は大森を相手取って2006年、損害賠償訴訟をおこした。
大森は服役中であったが、その法廷に出廷した。
そして、「一生をかけて償う」と口にした。

順彦さんの父は、通夜の席でも捜査関係者をねぎらい、少しでも東京駅が安心して利用できるようになってほしいと話した。
民事の裁判においても、大森を責めるというより、自身が犯した罪を理解してほしい、そういう思いを口にした。

550円の窃盗で人を殺し、最低でも30年はおそらく服役するであろう彼は、今どの程度その罪の重さを理解しているのだろうか。


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