我が子を失いたくなかった母親が負うべき罪は何か~長崎・新生児遺棄事件~
平成25年4月24日
とうとうこの日がやってきてしまった。
先延ばしにする間に、なんとか方法を考えるはずだった。しかし、あっという間に十月十日(とつきとおか)は過ぎ去っていった。
鈍痛は次第に強烈な痛みへと変わったが、もう後戻りはできない。
疲労困憊ではあったが、女にはまだやるべきことが残されていた。
足元には血まみれのバスタオル。それをそっと、手に取った。
草むらの赤ちゃん
「なんか、赤ん坊の声がしませんか?」
その日、ガスボンベの交換に訪れたガス会社の社員は、その家の敷地の草むらから、か細い猫のような、赤ん坊のような泣き声を聞いた。
とりあえず家人にきいてみようとインターホンを鳴らす。応対した主婦にその旨告げて、ガス会社の社員は自ら警察へ電話していた。
ガス会社の社員の通報を受けた警察署員と救急隊員が駆け付け、その家の裏庭からリュックサックが発見された。
そして、中には毛布にくるまれた生まれたばかりの女の赤ちゃんの姿があった。
すぐさま救命措置が取られ、赤ちゃんは低体温症ではあったもののなんとか一命をとりとめた。
警察は乳児置き去り、遺棄事件として捜査していたが、その後、その家の主婦・酒井千絵(仮名/当時33歳)が自宅で生んだ女児を毛布でくるんでリュックサックに入れ、裏庭に放置したことを認めたため、保護責任者遺棄容疑で逮捕した。
千絵はその女児以外に5人の子どもを持つ母親だった。
取り調べに対し、千絵は、「経済的、体力的にもう育てることは出来ないと思い、捨てるしかないと思ってしまった」と話し、このまま放置すればすぐに死んでしまうかもしれないことを認識していたとして、殺人未遂に容疑を切り替えられて起訴された。
しかし裁判では、千絵の母親としての葛藤、事件を起こすに至った経緯が語られる中、考えられない夫婦関係が浮かび上がってきた。
月収15万円の7人家族
千絵は、10年前に23歳で今の夫と結婚した。その翌年に第一子を出産後、平成21年までの間に4人の子供に恵まれた。
しかし、一家の収入は多くはなく、子供が増えればその分出費もかさみ、事件当時夫の月収は15万円ほど。
千絵もパートなどで家計を支えてはいたものの、出産前後数か月は休まざるを得ず、そのたびに職を変える羽目にもなった。
児童手当等を家計の足しにしながらなんとか生活を維持しようとしたものの、公共料金を払えないこともあり、一家の生活は困窮していくばかりだった。
にもかかわらず、2010年には5人目の子供を妊娠してしまう。
夫は家庭のことには無頓着で、子供はもういらないと言いながらも避妊をすることはなかった。
それでも千絵は妊娠を夫に告げた。そこで夫が言い放ったのが、
「中絶してこい」
という一言だった。
夫婦関係についてはあまり詳細が分からないが、千絵にとって夫は反論できる相手ではなかったという。
中絶を命じられた千絵だったが、そもそも中絶費用もどう捻出すればいいのかという家計において、すぐに行動に移せるはずもなかった。
そしてなにより、千絵自身の中で「中絶などしたくない、生みたい」という、ごく当たり前の感情が大きくなっていく。
大きくなるおなかを隠しながら、中絶してきたと夫には話した。
そして、平成23年の春、意を決して飛び込んだ病院で出産した。
夫には「なぜ嘘をついた」と責められはしたが、千絵にしてみれば無事この手に我が子を抱けただけでもう良かった。
しかし、平成24年の夏、千絵はまたも妊娠してしまう。
残された選択肢
この時も夫は、千絵に中絶を命じた。費用のことで逃れようとしても、「児童手当を費用に充てろ」とまで言われたという。
経済的なことを理由にできなくなった千絵は、今回は中絶しなければならないのかと思い悩んだが、それでもどうしても中絶できなかった。というか、したくなかった。
再び、子供はおろした、と夫に嘘をつき、膨らんだおなかは便秘だと言い張った。
訝しがられる事を恐れたのか、それとも経済的な事情だったのか、或いはそのどちらもなのか、千絵は妊娠8か月を迎えるまで保険会社で働いていた。
前回同様、妊婦検診など行けるはずもなかった。日に日に膨らむおなかを見ながら、何とかしなければならない、前回と同じように飛び込みで出産してしまおうか、などと悩む日々だったが、何の策も講じられぬまま、4月24日を迎えた。
朝、子供達を学校へ送り出した後、千絵は産気づく。
風呂場で陣痛に耐え、昼前に破水するとその後は30分で女の子が生まれた。
千絵が最初に思ったのは、「かわいい」という母としての感情だった。
と同時に、夫の顔と、ただでさえ貧困真っただ中の生活、そして自分自身が子育てをする体力が限界にきていることを千絵は考えたという。
小さな手足をばたつかせる我が子のへその緒を切り、お湯で洗い流した。小さな命を抱いて、それでも千絵は決断しなければならなかった。
掴んだバスタオルを我が子の顔にかぶせてみた。息をする力がまだ弱い新生児なら、あっという間に窒息するのではないか、そう思ってした行動だったが、必死で生きようと手足をばたつかせる我が子を両腕に感じ、バスタオルを払いのけた。
ふと、千絵の妊娠も出産も、まだ誰にも気づかれていないことに思い当たった。
「どこかに捨てれば・・・」」
急いでリュックを持ってくると、毛布に包んだ我が子を押し込め、ジッパーを閉めた。
「ごめんね、ごめんね・・・」
誰かが拾ってくれるかもしれない、病院で引き取ってもらえるかもしれない、私が育てられなくても、誰かが育ててくれるかもしれない・・・
千絵はリュックを持ち出した。
母の負うべき罪は何か
裁判では、件の夫が証人として出廷した。
家の中のことはすべて押し付けていたと夫は認め、中絶して来いと言う夫の言葉がどれほど千絵を傷つけたか、にも、今更ながら非を認め、妻が戻ってくることを望んでおり、そして今後はしっかり協力していくと言った。
弁護側は当然、千絵が追い詰められていった経緯や、避妊に無頓着だった夫への丁寧な批判、そして、なにより結果として千絵は我が子を殺害していないことを訴えた。
検察は逆に、まだ肌寒さの残る屋外へ放置したことが非常に危険な行為であった事から、懲役4年を求刑した。
結果は言うまでもないが、執行猶予がつけられた。検察側も控訴しなかったところを見れば、検察側も千絵の境遇に一定の理解を示していたと取れる。
千絵は「誰かが拾ってくれればと思った」と言うが、矛盾がある。
拾ってほしかったならば、なぜ家の敷地内、しかも裏庭に「置いた」のか。そんなの家族か野良猫以外誰も拾わない。
千絵は、自ら母として育てたかったのだ。他の子どもと同じように、望んで生まれてきたこの我が子を育てたかった。
この、当たり前の感情と同時に、この状況ではこの子どころか、今いる子どもたちにもさらに大変な思いをさせてしまうのではないか、とも思ったのだろう。
夫の協力が望めないのは千絵が一番知っていた。
この母親が負うべき罪は何か、と考えたとき、複雑な思いに駆られる。
遺棄したことは責められるべき点だが、千絵は家の中でかすかに聞こえる泣き声を聞きながら、「寒いかな、つらいかな」と出産直後にもかかわらず眠ることもせずに気にしていた。
「ガス屋さんには本当に感謝しています」
裁判では、気付いてくれたガスの担当者にも謝意を述べた。
一方で、行政の関係者らは、千絵の妊娠に気付いていた。しかし、本人に確認しても認めないことから、それ以上突っ込めなかったという。
もしも千絵が相談出来ていたら、遺棄などせずとも子供の行き先の選択肢はあった。一人で生んで隠すつもりだったのであれば、それこそ施設に預けるということも可能性はあった。
おそらくだが、千絵にはそんな知識がなかったのではないか。
ちなみに、相談出来る環境じゃないとか、相談しにくい雰囲気がどうとかいうのは違う。どれだけ行き届いた相談員相手でも、相談窓口であっても、本人がダメなら無理なのだ。
もっと厳しい事を言うと、避妊は片方だけの責任ではないし、中絶したくない、かわいそうだからでなんの案も持たずにきてしまったことだ。保健所からかわいそうというだけで犬猫を引き取り続けて自爆する人に相通じるものがある。10代の年端もいかぬひよっこではないのだ。5人の子を持つ33歳の大人の女性だったのだから。
千絵が負うべき罪は、しっかりと自分で考えることを放棄していた点だろう。
幸いにも、千絵が生んだ6番目の子どもは特に異常もなく元気に育った。千絵は、いつか娘が真実を知ったとしても、愛情を注ぎ続けると話した。
事件から6年、母に望まれて生まれてきた子供は、どんな形であってもいいから、元気にしていて欲しいと願う。千絵も、笑えているといいと思う。
参考文献:朝日新聞社会部 「母さんごめん、もう無理だ」幻冬舎