綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件
この事件は、昭和から平成へ変わる数か月の間に起こった事件で、当時中学1年生だった私は報道などで概要を知り、あまりのことに強烈に印象に残っている。
また、当時はヤンキー雑誌として有名だった「ポップティーン」に、被害者の顔写真入り記事が掲載されており、愛読していた私はその被害者の女子高生のアイドル並みの可愛らしさにも驚いた。
事件の概要は、あまりに有名であるので改めて文字にする必要はないだろう。本来は、40日間に及ぶ暴行、レイプでの殺害であるから、この呼び名はおかしいんだけれども、コンクリート殺人と言えばこの事件といえるほどのインパクトがあるため、こちらでもそのように記載しています。
概要はWikipediaに判決文のリンクがあるのでそちらを参考にされたい。
監禁の現場
現場は東京都足立区綾瀬。細かい住所は大島てるに載っている。家の前の路地まではGoogleカーが入っていけないため、ストリートビューで家の前まではいけないが、当時の報道映像と比較すると、区画整理なども行われておらず当時のままといったように見える。
当然、現場の家は建て替わっており、現在は関係のない方が住まわれているはずだが、何も知らずに住んでいるということはないだろう。
この事件さえなければ、なんてことない普通の一画。公園がすぐそばにあり、陽もよく当たる場所だ。隣の家とはひしめき合って建っているとはいえ、都会ならば普通だろう。
しかし、当時の報道でも言われていたが、近くにパチンコ店やカラオケスナックなどがあるような立地ではない。夜ともなれば静かだろうし、昼間でもそう多くの車が行きかう場所でもない。事件が発覚するまでの40日間、近隣ではなんの騒ぎにもならなかったのだろうか。
あらかじめ断るが、近隣の落ち度をあげつらっているわけではない。近隣住民がこの家の騒ぎをいわばスルーせざるを得なかった理由があったと考えている。
実際に、事件発覚当時の報道での近隣の方の証言によれば、多くの人が「あの家は」というような言い方をしていて、普段から敬遠されていたように思える。
ステレオを大音量でかけるなどの異常行為は日常茶飯事で、かつ、不特定多数の若者の出入りがある。けれど、「あの家」にはちゃんと両親が住んでいるのだから。
騒音は昼間の1~2時間だったと、ある住民は言う。あまりのうるささに時計で測ったのだそうだ。その時以外は、悲鳴や大声等は聞こえなかったという。今にして思えば、暴行を働いている間、ステレオをかけていたのかもとその住民は言った。子供も証言している。年末辺りに女性の「やめて」という悲鳴を複数回聞いていて、次第にそれは弱々しくなっていた、と。
出入りする若者たちも、なぜか玄関からは出入りせず、ちょうどベランダの前にある電柱をよじ登り、直接ベランダから2階の部屋へ出入りしていたという。見かねた近隣住民の通報で、電柱の管理者が足をかけるステップを取り外した。道にたむろする少年たちを注意した人もいた。しかし、「この道路はお前だけのものか」などと中二病丸出しで返され、相手にするのをやめた。
事件当時の「あの家」の玄関先には、犬がいた。報道陣に目を向けることなく、玄関先でまるまっていた犬。あの犬は、被害者を見ていたのだろうか。ふとそんなことを考えた。
被害者少女のいわれなき中傷
もう30年近く前の事件でもあり、当時の報道は過激であった上に正確でもなかったため、記憶に基づいていろいろ言うのも憚られるが、なんせ当時はその被害者の外見が悪い方へ作用していたと感じた。
そして、30年経って今でも、被害者に対する中傷をする人もたまに見かける。
先述の通り、被害者はとにかく当時の女子高生としてはかなり可愛い部類に入ったであろうと思われるが、それゆえに、一部の変な大人に「被害者は決して加害者の反対側にいた少女ではない」と言われる羽目になってしまった。
ネット上でも被害者の写真は見ることが出来るが、目のぱっちりした顔立ちに、当時はやりだった聖子ちゃんカット(?)のような華やかなヘアスタイルが、見る人によったら「派手な少女」「不良少女」に見えたのかもしれない。たしかに、私が住んでいた四国のド田舎でこんなお姉さんがいたら、「不良少女と呼ばれて」いたかもしれないが、東京だよな・・・
被害者はアルバイト帰りに事件に巻き込まれたということで、被害者が通っていた八潮南高校ではアルバイトが禁止されていた、だから、隠れてアルバイトをするなんて不良に違いない、というような批判も出ていた。
しかし、アルバイトが禁止されていたかどうかは確認できていないし、そもそも被害者は就職も決まり卒業を控えた3年生であり、卒業旅行へ向けての旅費を貯めるためのアルバイトということで、ごくごく普通の行動としか思えない。アルバイトの内容も、段ボール工場、プラスチック工場、あるいは缶詰工場といった情報しか出ず、決して楽な、ましてや不良と関連付けられるようなアルバイトでは全くない。しかも、週に2回、時間も推測ではあるが午後8時頃には終えていたと思われる。
この事件当時に生まれていない世代も親になる年齢であり、あちこちの掲示板やサイトでこの事件について質問している人がいるが、その中にも稀に、
「暗くなるまでアルバイトさせるのもどうかしている」
といった意見も見かける。
たしかに、私も子を持つ親だが、アルバイトに限らず夜間の外出は心配であるし、たとえそれが塾だろうがアルバイトだろうが友達と食事であろうが同じだ。
「娘を迎えに行ってさえいれば・・・」それは被害者のご家族が一番思っていることだろうが、アルバイトをしていた被害者に落ち度はないし、ましてやそれを許したご家族に責任などみじんもない。
言いたいことは、「この被害者だったから狙われた」わけではないということ。誰でも被害者になり得た事件であったということ、若い女性でさえあれば。
午後八時半と言えば、まだ人通りもあっただろうし、仕事や塾帰りの人も、その場所にはいなかったかもしれないが常識的に考えてどの通りにもいる時間帯である。しかも、拉致現場は民家もあり、牛乳販売店の前である。灯りのついていた家も多くあったはず。
決して、被害者が通った帰り道は、被害者が責められるほど危険な場所でもなんでもなかった。普通の人たちが普通に暮らしている場所だったのだ。
被害者少女と、タバコの話
被害者少女が中傷された理由はまだある。ひとつは、被害者少女がタバコを吸っていたという話だ。
これは、監禁場所となった家の母親と、出入りしていた少年が見たという証言である。母親が言うには、ずっと家にいるから嫌だなと思っていたが、タバコを吸っている場面を見たので、母親の中で自分の息子たちと「同類」の少女だと思った、と。
その上で、ある時加害少年らに脅されて自宅へ「探さないで」といった電話をさせられている被害者少女から電話を替わったか、何らかの理由で被害者少女の母親と会話をした(※出典を失念)、という話がある。
その際、加害者の母親が「お宅のお嬢さんはタバコを吸いますか?」と聞いたところ、被害者少女の母親とされる電話口の女性は「えぇ、吸いますけど?」とこともなげに言ったというのである。
また、出入りしていた少年の一人(中心となった加害者少年4人ではなく、その他の少年。この事件で特別少年院送りとなった)が、監禁されていた被害者少女を12月中旬に部屋で見た際、他の少年らとタバコを吸いながら、笑いあっていたというのだ(出典元:藤井誠二 著「少年の街」p117)。
この少年がこんな嘘をつく必要性もないため、事実なのだろうとは思う。しかし、だからと言って被害者少女に落ち度があったことにはならない。(というか、私も田舎のヘタレヤンキーだったが、中学生のころからタバコは吸っていたもんね。)
このような証言が出たため、被害者少女は完全な被害者とは言えないといった無礼で下品な批判をする人間が出てきたのだろう。
しかし、加害少年たちが「リンチ」の一環として、少女に対しタバコを2本同時に吸わせるといったことをしていたことを考えれば、もしも被害者少女が事件以前に喫煙の経験があったとしても、一般的な「喫煙する未成年」の図とは違っているのでは、と思う。
また、監禁現場の家の母親が電話で話したという相手も、そもそも被害者少女の家族かどうか定かではない。不特定多数の別の少女らも出入りしていた可能性はあり、その少女らの家族だった可能性もある。
そもそも、喫煙してたからってそれがどれだけの落ち度と言えるのだろうね。
「なぜ逃げなかったのか」という、愚問。
ある程度の年齢以上の誘拐、拉致監禁などの事件で必ず言われるのが、「なぜ被害者は助けを求めなかったのか、逃げようとしなかったのか」ということ。
北九州の監禁事件しかり、新潟の監禁事件しかり、最近では千葉大生による中学生誘拐監禁事件でも言われたことだ。
それらの多くは、被害者がある程度の年齢にあったこと、完全に拘束されたり、外出ができない状態ではなかったこと、外部との接触(ネットなど)が可能だったことがあったために、「じゃあ逃げれるじゃん!」という意見が出たのだ。
しかし、それはバカバカしいと言わざるを得ないし、想像力の欠如も甚だしいと言える。
新潟の事件は詳しくないため言及しないが、少なくともこの綾瀬の事件においては、被害者に対して加害少年たちは「父親は電車事故で死んだ」と言ったかと思えば、「嘘だよ、生きてるよ」と言い、安堵した被害者を見るやすぐさま「本当は死んだんだよ」などと混乱させ、精神を不安定にさせ追い込んでいる。
経験のない人にはわからないかもしれないが、このように人を惑わせ、精神的に追い込むことが「好き」な人間は割とたくさんいる。
簡単なところでいえば、男女関係でも「愛してる」と言ったかと思えば気のない素振りをしたり裏切り行為をして相手を混乱させるのが好きな人もそうだ。
何が嘘で、何が真実かわからなくなることほど、人間の精神を破壊することはないのではないだろうか。ましてや、そこに暴力や性的な暴力行為が含まれていればなおさらだ。
実際、家族に電話させ、「探さないで」などと心にもないことを言わされているわけで、「もしかしたら家族は自分を探すのをやめたのでは?」といった不安も抱えていただろう。実際に、その電話の後被害者少女の家族は捜索願を取り下げてしまっていた。
何度も殴られ、人間の所業とは到底思えない残虐な行為の限りを受け入れる以外になかった被害者に、自力で逃げられたはず、助けを求められたはず、と言えるのだろうか。
被害者少女の姿は、近隣住民にこそ見られていないが、同居の両親とは食事を共にする機会もあった。しかし、この両親が屁のツッパリにもならないヌケサクであることは、それ以前に被害者少女は悟っていたと思われる。鍵もかかっていない監禁部屋のドアを、ドアの前に建つことはあっても父親がそのドアを開けることはついぞなかった。母親は「早く帰りなさい」と、さも少女が自発的にこの家にいるかのような言い方をした。被害少女の住所と名前をきいた父親の胸ぐらをつかんだ少年に対し、どうすることもできない父親の姿を見て、助けを求めても、バレたらきっとこの親とまとめてリンチされるのが関の山。そんなふうにしか思えなかったとしても不思議ではない。
また、加害少年の一人によって、コンビニに車で連れ出されたこともあった。その時、別の少年に目撃されているが、その少年によれば「うすぎたない女」であった(出典元 藤井誠二 著「少年の街」)ようで、たとえ他人(コンビニの店員)に助けを求めても、異常事態だと認識されるには少女の18歳という年齢では難しかったとも言えるだろう。その街では、そんな少女は少なくなかったからだ。
その街と、大人。
私は足立区という街を全く知らない。であるので、あまりに勝手なことを書くと申し訳ないし、怒られるかもしれない。
話がそれるが、以前「ザ・ノンフィクション」という番組で足立区竹ノ塚のでスナックを経営する女性のドキュメンタリーを見た。
彼女は生まれも育ちも足立区だが、それはそれは美しいと評判の女性だったそうで、50歳になろうとする現在でも確かに「昭和のヤンキー」的な意味でのきれいな女性である。
しかし、そのドキュメントを、その女性を見るうちに、足立区という街の「なんとなく」が見えた気がした。その女性は50歳になろうとしている今になって、なんと子供が欲しいと言い出した。普通は、「年齢的にもうダメポ」と思うところを、彼女はそう思っていない。「子ども欲しいから結婚したい」と。ダメ元とかそういうのではなく、彼女はどうやら「知らなかった」ようなのだ。妊娠するにはもう限界を超えているということを。同棲している彼も、彼女を諭すことなく病院に付き添っているあたり、同じようなものかと。
そんなことは学校で習わないにしても普通に生きている女性ならば知識として知っている。医学が発達したとはいえ、40歳以上、ましてや50代目前の妊娠率はゼロに限りなく近いということを。
そういう人が普通なのがこの街なのかなぁとぼんやり思った(足立区の皆さんごめんなさい)。
ただ、その当時のことを思えば、なにも足立区だけが特殊だったとも言えないような気もする。
テレビでは金八先生、歌を歌えば尾崎豊の時代の少し後、という時代だったと思うが、日本中がヤンキー全盛だった。そして彼らは、今の時代で事件を起こした子供よりもはるかに筋金入りだったと思う、悪い意味で。
事件の大きさは別にしても、親は子供に立ち向かえなくなっていたのは今に始まったことではない。
だから、足立区という街に問題があるとは思えない(あるのか?)が、この事件の親たちはそろいもそろって残念過ぎたのは間違いない。
言い換えれば、残念な親の子供だから、集まって力を合わせる(?)しかなかった、とも言える。
監禁場所を「提供」した両親は、近隣住民からも「あの親だから」と言われていた(当時の報道による)。
中心となった4人の両親は、両親揃っている場合もあれば、母子家庭もある。職業も、医療関係、ピアノ講師、証券会社勤務、スナック勤務などさまざま。
しかし、どの親も子供に対してはいつのころからか「遠慮」なのか「叱らない育児」のつもりなのか、子供に対してかかわりが希薄になっていく。
加害少年の一人は、幼いころ厳しくしつけられ、時には体罰もあったという。にもかかわらず、ある時から父親はそれをやめ、あろうことか少年に「自分が間違っていたとわかったから(暴力は)やめた」というのである。
それを聞かされた子供の気持ちは、「あぁ、お父さんはわかってくれた」となる…わけないだろー!!!ちーがーうーだーろー!!!
そんなことを言われて終わりにされたら、子どもの心は置いてけぼりである。
環境が悪い、で済まされることでもない気がする。少なくとも、監禁されていた家の近隣の人々は親に対して苦情を申し入れていたし、直接注意する人もいたという。
それを、まともに受け取ることをせず、ひたすら現実から目を背けたのが彼らの親だった。
監禁や暴行の事実を「あの家」の親は知らなかったというが、そんな馬鹿なことはあるはずがない。知らなかったのではなく、知ろうとしなかっただけだ。
被害者少女が亡くなったあと、母親は監禁部屋の掃除を行い、カーペットまで替えている。暴行で血膿が飛び散っていたというその部屋の惨状を見て、何も思わないはずなどないのだ。それを、ひたすら見ないふりをして、黙々と証拠隠滅したのだ。「私は何も見ていないし、何も聞いていない、だから、何も知らなかったのだ」と自分に言い聞かせて。
それは、自分の息子がした罪さえも、というより、息子の存在すら否定していたのだろう。
それから・・・
有名な話だが、ナンバー2の位置にあったという少年は、出所後人権家と養子縁組するなどして苗字を変え、何食わぬ顔をして暮らしていたが、出所して5年にも満たない2004年、男性を拉致監禁したとして逮捕。バカなの?
しかも、出所後また足立にもどっていたわけで、あれだけの事件を起こしてもしも更生したのならば、たとえ故郷であってもなかなか足を向けられないのではないだろうか。しかも、被害者少女の自宅も近いわけで…
こいつは周囲にこの事件のことを出所後吹聴していたというから、ハナから反省など全くしていないし、この先も反省することはないのだろう。
また、主犯の男もすでに出所したが、なんと2013年に振り込め詐欺の受け子(笑)として逮捕されているというダサさ。完黙だったそうで不起訴・釈放となったが、今頃どこで何をしてるんだろうな。
それ以外にも、この事件は多くの人が知っていた、現場を見ていたといううわさもあるが、出所後なおべらべらしゃべりまくっていることを考えれば、当時から多くの人間を監禁部屋に呼んでいたというのもあながち嘘でもなさそうだ。
2018年8月24日追記
そしてさらに驚くべきことに、この監禁場所となった家に住んでいた少年が、駐車をめぐるトラブルで男性に暴行、あげく刃物で首を指す事件を起こして逮捕された。
当初、その名前が特徴的で、さらに年齢も合致したことでネット上で犯人の一人では?と言われていた。
その後、コンクリ事件を取材し少年の実名報道に踏み切った当時文春にいた関係者が本人であることを認めている。
男はトラブルメーカーと言うよりも危険人物とみなされていて、普段から奇声を発したり他人に絡むなどの行為を行っていた。
同居女性がいるらしいが、もうなんか世に出しちゃいかん人間だわこいつ…
被害者の男性が命には別条がなかったのが幸い。