No.5「針」(2021/6/6)
太線で描かれた町に来ている。
町といっても山間の、四方を山に囲まれた擂鉢状の小さな集落である。規模は村にも満たないが、昔の名残で「町」と呼ばれている。
この町を訪れる手段は当然バスだけである。細い毛筆で描かれた道路の上を、ゆらゆら走るバスから落とされないよう、集中しているうちに辿り着く。
バスが行ってしまうと、あたりは町の音だけになる。バス停の足元にはコンクリート三面張の川がどうどうと流れ、町の景色の境界になっている。
こちら側の山には広葉樹が茂り、暖かな木の葉ずれが聴こえる。
川向うの急斜面には太線の宿屋が犇めき合って建っている。宿屋の上には濃墨で描かれたヒノキが聳え立っている。
――あそこだ。
ヒノキが香ったかと思うと、空から風が降ってきて、広葉樹の表面をもしゃもしゃ飛び跳ねた。跳ねてるうちに洗練されて、風はまんまるの玉になった。風玉を肩に乗せ、僕は橋を渡った。
渡った先の橋詰には、ちいさなバーのドアがあった。「バー」と書かれたドア以外には、名前も壁も屋根も無い。ドアを開けるとハイスツールが一脚置かれ、座面が45rpmで回転していた。風玉の回転数を33rpmにセットし、ハイスツールに座らせた。回転数の軋轢が生み出した可聴帯域外の周波数に、山が共振し始めた。
山の振動に伴い、宿屋たちが何かしらの秩序をもって前後上下左右へと移動を開始した。ある太線はさらに太くなった後に倒れて傾斜路となり、ある太線は分割して階段を形成した。他の太線たちも寄り集まって壁や屋根になり、所々に開口が出来た。無駄に思える中二階や地下室まで、太線の小部屋は軋みながらどんどん増殖する。
このままではいけない。
僕は頃合いを見計らい、風玉を肩に戻した。
山は止まり、僕の前に直線階段が現れた。両脇には太線の小部屋の積層が迫り、人ひとりがやっと通れるくらいの幅だ。階段はヒノキの根元まで続いているように見える。狙い通りだ。
僕は風玉を肩に乗せたまま上り始めた。
上り始めて数時間、いつの間にか小部屋は途切れ、階段が階段梯子に変わっていた。梯子は相変わらず狭く、段板は古く角が落ちている。僕は遥か上空のヒノキを見つめ、慎重に歩を進めた。
そこから更に数時間、雲から垂れ下がる夾竹桃を潜り抜けたあたりで、小さな老婆が下りてきた。
梯子段はかなりの高さになっていて、縄や鎖の手すりも無い。段板はますます狭く細く、これじゃあ避けようがない。
老婆はどんどん下りてくる。あと7段……あと5段……あと3段まで来た時、老婆は突然小さくなり、そのままひとり狼狽えている僕の股を潜った。まさかの挙動に驚き、股の下から覗いてみると、老婆は再び大きくなって下りて行った。
一安心して顔を上げると、僕はヒノキの洞の中に居た。今夜の宿に到着したのだ。
ようやく辿り着いたことで気が緩み、老婆のことを女将さんに聞いてみた。
「そうですか、行き会いましたか」
浴衣の用意をしながら、女将さんは顔を上げずに続けた。
「あれは亡者です。股を潜ったんなら大丈夫ですよ」
女将さんは浴衣の柄を引き剥がし、手早く丸めて太い針を作った。
そのまま板の間を滑り、針を囲炉裏に突き刺した。
何か毒性のにおいが立ち昇った。
ヒノキから針(針葉樹)
夾竹桃から毒
この夢はそんな連想で見たんだろう。