モデレーターとして「やらない」勇気
1.はじめに
このnoteでは、モデレーターとしてどういったことを意識すべきか、ということを綴ってきた。
モデレーターとして色んなことをやっている手前、言いづらいところではあるが、「やらない勇気」も大事だと思っている。
なぜ「やらない勇気」が大事なのか。そもそも「やらない勇気」とは何か。それを書いてみたい。
2.何を「やらない」のか・なぜ「やらない」のか
(1)「やりすぎる」人
モデレーターとしてやる気がある人は、往々にして「やりすぎる」傾向にある。責任感が強いのか、張り切っているのか、自分にできることをやらなければいけない、と思い込んでしまいがちだ。何を隠そう、私もそういう時期があった。
たとえば、配信者に関しては、配信者のマネージャーのようにあれこれ世話を焼く方向に行ってしまいがちだ。コメント管理に関しても、「初見さんいらっしゃい♪」のように、過剰なまでのサービスをしてしたり、過剰な規制をしてしまいがち。
というように、意気込みすぎて、必要以上のことをしてしまう傾向にある。そして、それが「有益なことをたくさんやりすぎる」というのであれば、単に「働き過ぎだから無理をしないようにね」で済むのだが、「場合によっては有害な行動になってしまう」というのがここでの話だ。
(2)「やりすぎ」が良くない理由
最終的には配信者の意向次第なのだが、そこまでいくのは弊害をもたらすし、やりすぎだと思っている。
配信者が、モデレーターにマネージャーとしての役回りを求めているならば、それで良いと思う。しかし、そういった役回りを求めていないのに、マネージャーのような役回りをしてしまうと、配信者も視聴者も「この人は何か勘違いしているのではないか」という疑問を抱いたり、あるいは視聴者から「思い上がってるのではないか」という悪印象を抱かれたりしかねない。
コメント管理についても、モデレーターが「初見さんいらっしゃい♪」という挨拶をしたり、あるいはコメントも何もしてない視聴者に「◯◯さんいらっしゃい♪よければコメントしていってね☆」みたいな挨拶をする人が見受けられる(Twitchなどでは視聴者名を表示できる)。これ、視聴者からしたら逆に敬遠したくなるのだ。視聴者は配信者を見に来ているのであって、モデレーターを見に来ているのではないから、反感を買いやすい。それに、「少し配信の様子を見て、合いそうだったらコメントしてみようかな」という人や、「コメントする気はないけど、見てみよう」という人にとっては、コメントする圧力をかけられているような気がして、居心地悪く感じて立ち去ってしまう。配信者がそういったコメントをモデレーターに求めているのであれば、それでも良いと思うが、配信者が特に求めていないのにモデレーターがやってしまうのは、メリットよりもデメリットの方が大きくなってしまう。
他にも、「任された以上は、責務をまっとうしなければならない」と意気込みすぎて、少しでも問題がある(ように見える)コメントを片っ端から削除したりしてしまいがちだ。そうすると、やはり視聴者の反感を買いやすいし、さらに「なんかあのモデレーター、すぐ削除してくるし、コメントするのやめよっと」となって、コメントが減り、活気もなくなっていく。それに、必罰主義のような発想に陥ると、不適切に思える単語が目に入った瞬間に「これはBANしなきゃ!」という思考が先行してしまうので、誤BANするリスクも高まる。
というように、善意に基づく行動であったとしても、視聴者に様々な萎縮効果や不快感を与える危険性が高く、ひいては配信者にとって逆に不利益になることが少なくないのだ。
(3)なぜ「やりすぎる」のか
そういったことがなぜ起こるかというと、つまるところは意識の問題だと思う。
基本的な考え方として、モデレーターが何かをやる場合、基本的に常に負の効果が発生すると考えてもいいと思う。それを凌駕する正の効果が生じるならば、やってもいいと思うが、それを凌駕するものがないならば、やらない方がいい。「別にやったところで誰か困るわけではないからいいでしょ」と思うかもしれないが、大抵は何かしら負の効果が生じるのだ。
モデレーターのコメントというのは、良くも悪くも目立つ。だから、モデレーターのコメントが並んでいるだけでも威圧感があって、普通の視聴者はコメントを萎縮してしまうのだ(同接が少ない配信だと起こりがち)。
他にも、モデレーターが視聴者を処分すれば、多かれ少なかれ他の視聴者に対する萎縮的効果は生じる。誰しもが納得する処分であれば、「不当な言動はやめておこう」という正当な萎縮的効果しか生じないが、疑問のある処分をすれば、「何やったら処分されるか分からない」という不当な萎縮的効果が生じてしまう。
そして、モデレーターというのは、見た目からして普通の視聴者と違うので、ただでさえ「特別感」が出る。その「特別感」を鼻にかけるような言動があったり、それを前面に押し出すような言動があれば、一気に反感を買う。
というように、モデレーターというのは、何か行動する時点で、常に負の効果がするといっても過言ではないのだ。その自覚は必要だろうと思う。
だから、モデレーターとしてやる気や責任感がある人ほど、「今私がやろうとしていることは、本当に意味のあることなのか。やらないという選択肢もあるのではないか。」ということを、行動に移す前に一旦逡巡した方が良い。
往々にして、怠慢だと思われることを危惧してしまったり、暇で手が空いていることに不安を覚えて、「やらない」という選択肢を選ぶことが難しかったりする。それでも「やらない」という選択肢を選ぶ勇気は大事なのだ。
3.「やらない」勇気
と書くと、「お前は実践しているのか」と言われるかもしれない。
悪目立ちしている手前、言いづらいところはあるが、一応これでも「これはやった方がいいか。やる必要性に乏しいか。」というのは、行動に移す前に考えるようにしている。その上で、「これはやらないとまずいだろう」「うざがられるかもしれないけど、時限要素が強い(今教えないと取り返しがつかない)から今言った方がいいだろう」という場合には、行動に移すようにしている。逆に、「そこまでやらなくてもまあいいか」と思ったときは、中断して行動をやめるということも少なくない。
だから、やる気のあるモデレーターには、何か行動に移す前に「それ本当にやる必要ある?やらない勇気も大事ですよ?」と伝えたい。そうすれば、きっと良い塩梅になっていくだろうと思う。