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海外に行くことはチャンスだ、と教えてくれた、駿台予備校の恩師。

16歳でやりたいことは見つかっている

野村證券の社長さんのインタビュー記事を読んでいたら、「好きなことは、高校生くらいに見つかっている。自分は既に投資とかに興味があった」とおっしゃっていた。確かに、私も、高校生の頃に通っていた予備校で知り合った英語の講師の方にとても大きな影響を受けたと思いました。今回は、その予備校講師の先生の思い出について、書いてみたいと思います。

駿台予備校での出会い

私は小学校6年生の1年間をドイツの小学校で過ごし、地元の札幌に戻りました。公立の中学校、高校に通い、NHKラジオと独学で英語の勉強は頑張っていたものの、先生も全員日本人で、日本語訛りの英語に落胆していました。

高校2年生の時、受験に備えて駿台予備校に通い始めました。そこで五島先生と出会いました。五島先生は、東京外国語大学を卒業後、花王のアメリカ支店で働かれた経歴をお持ちでした。人事部で働かれていて、その当時も多くの若者に影響を与えていた、と駿台のスタッフさんが教えてくれました。五島先生は、エチオピア難民のニュースをテレビで見て、ただ見ているのが嫌で国境なき医師団になるために、北大医学部に入学されました。そしてバイトとして札幌の予備校で英語を教えてくれていました。

世界を見ている人

五島先生は、私が人生であった中で、世界を見ている最初の人だったと思います。

五島先生は社会派でした。コソボ難民の勉強会を主催し、パラリンピックの通訳もされていました。授業の後には、最年少で司法試験に合格し、アフリカの新しい法整備に関わる東大生の記事など、発展途上国支援関連の資料を配布してくれていました。

先生の授業を受けている他の生徒の多くは受験生で、先生が主催するイベントに参加する時間がないようでした。私は高校2年生で暇だったので、先生が主催するイベントに何度か参加していました。そして、それ以上に授業が終わった後、講師控え室で先生と話すのがとても楽しかったです。

人生哲学

五島先生に会うまでは、漠然とサラリーマンだけにはなりたくない、と思っていました。ところが五島先生は「サラリーマンは会社を利用して自分のやりたいことができる職業だ」と言っていました。

私が、先生に憧れて、国際的な仕事をめざし、13年間もサラリーマンを続けたのは、先生も昔は花王のサラリーマンだったからかもしれません。

その頃父がタイに2年間海外赴任になりました。私は一緒についていくか迷いました。両親は、「帰国子女枠で受験をする英語力は、2年では身につかない。受験に不利になるから日本に残った方が良い」と言い、私はそれに従いました。

でも五島先生に話すと、「人生で逃しちゃいけないのはチャンスだけ。タイに行くのは君にとってチャンスだと思う」と言ってくれました。

結局、タイには行かなかったのですが、「人生で逃しちゃいけないのはチャンスだけ」という五島先生の言葉は今でも私の人生の教訓になっています。知らないことをすること、海外に行くこと、そういうのはみんなチャンスと思えるようになりました。

39歳の今、思うこと

五島先生のような社会派にはなれなかったけど、世界に出る行動力だけは真似できたように思います。未だに自分の人生は迷いばかりで、昔のようにがむしゃらに生きることもできなくなってきているけれど、五島先生に憧れていた頃の自分を忘れずに、気持ちを新たに頑張りたいと思います。

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