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人と比較し続けた人生から解放された今日までのこと【4】
33歳の今、人と比較することを辞める術を見つけて、人生で1番体が軽い。
今日までのことを、ここにつらつらと書いていこうと思う。
【1】はこちらから
高校2年の頃、「このままでは、どこの大学にも行けません。」と担任教師から宣告を受けた。
そりゃそうだ。
偏差値40ほどの高校で、ほぼ最下位の成績だったのだから。
それでも、全くないとは少しだけ驚いた。
進路について考えた。
唯一、教科の中で美術が好きだったので、何か作品を作りたいという思いで、ネイリストかメイクアップアーティストへの道を希望した。
進路のことを伝えるため、父に会いに行った。
両親が離婚してからも、半年に一度は会いに行っていたように思う。厳しい父なので、金髪の髪に黒彩スプレーをふりかけ、ネイルもメイクも取って行った。
「必ず、大学に行きなさい」
それが父の意向だった。
自分の希望を反対されたことへの悲しみや反発よりも、私はまだその方向への可能性が信じられていることに驚いた。
私には難しいと思うけどな…とは思ったが、単純に自分に向けられた期待が嬉しかった。
そうして私は、そこから約1年死ぬほど勉強した。
この頃、母は彼氏ができて帰ってこなくなった。
姉は私の面倒をよくみてくれた。
勉強をたくさん教えてくれた。
勉強の仕方から教えてくれた。
勉強をし始めた私に喜んでいるのが伝わってきた。
期待をしてくれてありがとうと思った。
人生初めての成功体験
すべての学校行事を休み、とにかく勉強に打ち込んだ。
根本が伸びた髪色を染めにいく時間も惜しかったので、金髪から黒髪になった。
ひたすら単語を覚え、過去問を解いた。
そうして、私は無事に志望校に受かった。
高校の同学年の中では、1番の高学歴になった。
家族の中では、もちろん褒められた大学ではなかったが、これが私の人生で初めての成功体験だった。
学校では大変に褒められた。
ギャルの友人たちからの羨望の眼差しを受けた。
「きっと大物になるよ」と担任が私に言った。
私は嬉しかった。
この件で、勉強を教えてくれた姉への恩や信頼が増し「この人にならって生きていくのが正しいのだ」と思った。
母は彼氏と一緒に住むことになり、姉と私は父の元に帰った。
そこからは、姉は母のようでもあった。
その若さで私の面倒を見るのは大変だっただろうと思う。
初めて、得意なものを見つける
飲食店でのアルバイトで、私は初めて自分の得意を見つけた。
それは接客だった。
接客が評価され、取材がくるほどだった。
掃除も売り込みも誰よりも上手くできた。
私はこれが得意なのだと思った。
姉は勉強ができたが「天然」と称されるタイプであったので「もしかしたら、働く上では妹が勝つかもしれないね」なんて冗談を、久しぶりに会った母が言った。
私は初めて自分の人生に可能性を感じた。
もしかしたら、もしかしたら。
母は覚えてもいないだろうその一言に、心が震えるほど嬉しかった。
きっと、私には仕事の才能があるのだと思った。
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大学4年になり、その淡い希望は簡単に打ち砕かれた。
12月に内定の取り消しを受けたのだ。
仕事の才能どころか、就職すらもまともに出来なかった。
スタート地点にすら立てず、私は大学の友人たちから、100歩も1,000歩も出遅れることになった。
姉は立派な会社に入り、忙しくしていた。
そこからしばらく、海外で過ごした。
発展途上国でボランティアをしたりして、なんとか自分自身に存在意義を持たせようと彷徨った。
帰国後、テキトウに会社を選び入社した。
大学生活で就活をした時のような情熱はもう残っていなかった。
そこは後に、社会を震撼させるほどの問題を起こすようなブラック企業だった。