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「本読んでて偉いって!!こいつ馬鹿!!」画面パンチ→お前のレベルが低いだけ

「野菜食べてて偉いって!!こいつ馬鹿!!」

(画面パンチ)

「野菜は美味しいから食べるの」

これはR1芸人のホリエモンが考案したキレ芸。

こんなどうでも良いことでキレてるホリエモンをみてみんな笑う。確かにどうでも良いことだけど、かなり本質的な憤りである。俺も「思想強いねー」とか「本を沢山読んでて偉い」とか言われたら同質の憤りを感じる。そういうシチュエーションでは憤りを悪態に変換しても大人げないので、ホリエモンのように画面は殴らない。その代わりに皮肉を返すようにしている。

「毎日パチンコやってて偉いね」

「毎日オンラインゲームやってて凄いね」

「毎日ショート動画を見てて凄いね」

俺にとっては上記みたいなレベルの発言をされているように感じる。勿論、上記の行動はどれも凄くないし、ただの馬鹿にしか見えない。こいつらはパチンコやゲームが読書より楽しいという価値観が一般的だと思っている。だから苦行(思想的取り組み)をしている人間を褒めたり、冷笑したりするのだろう。こちらからしたら全然苦ではない。寧ろ楽しい。俺が凄いんじゃなくて、お前らの基準が低すぎるだけに過ぎない。それを俺を特殊な人間にして、全体のレベルを下げようとしてることが愚かしい。凡人が秀才を天才であると評価する構図である。主観の話なのだから放置すればいいが、これだけは伝えたい。『俺の周りには俺以上の天才はゴロゴロいる。お前の低い視座で分かった気になるな!!』こういったことをホリエモンは言語化せずに画面を殴るパフォーマンスで伝えたかったのかもしれない。

ひろゆき型宗教

先日、武井壮の切り抜きが流れてきた。武井壮は元陸上選手のタレントである。そんな彼に対してスーパーチャットで『人見知りのメカニズム』を質問しているユーザーがいた。本当に絶望。それくらい自分で調べろよ。本を読めとは言わないまでも、グーグル検索するとかすればよいのに、人見知りの専門家でも何でもないタレントの武井壮に金払って質問する馬鹿がいることに驚愕した。ひろゆきの生放送にも沢山いる。これはひろゆき型宗教と呼ばれる新たな潮流である。頭が良さそうなインフルエンサーが視聴者の短文の質問だけを読み解いて、背後にある質問者の悩みを全てを理解して回答するのは無理である。でもひろゆきや武井壮は奴らのメンターであり教祖だから、話せば何か解決の糸口を作ってくれるはずという算段なのだろう。しかし、インフルエンサーも専門家ではないから所詮はグーグル検索に毛が生えた程度の回答しかしない。質問者に思考力がなければ、スーパーチャットの無駄遣いである。ライブ配信ってインタラクティブのように見えるが、実際はそうではない。チャットが高速で流れる都合上、文章の長さは限られるし、インフルエンサーが質問者のパーソナリティーを理解していないから頓珍漢な回答になりがちなのは否めない。答えを出したいなら対話をするべき。自分の考えを他人にぶつけて、返ってきた反論に対して自分なりの意見をさらに述べる。これは弁証法という技術で、結論追及の基本。

情報収集→一次思考→対話→二次思考→モヤモヤ→再度の情報取集

このステップはそんなに難しいものなのだろうか。陰謀論者はかなり惜しいところまで到達している。足りないのは対話からの二次思考、そしてその後に感じるモヤモヤ。夕方の図書館には高齢者しかいない。大型書店は賑わっているが、一番混んでいるのは入ってすぐの話題本平積みコーナー。それは書店員が売りたい本であって、君に必要な本ではない。落ち着いて自分にはどのような知識と思考法が必要なのかを考えよう。物事を簡単に評価するな。判断だけが思考ではない。ある芸人のコントを見たときに面白いか否かを判断するのは感情の働きに過ぎない。感情論はもちろん重要だが、つまらないなら何故つまらないかを考察する。自分の感情を萌芽させているものは何か。それを最初は1400文字程度でいいから文字起こししてみると良い。Xのポストが140文字なのだから、10ポスト分の意見を書くのである。これになれたら考察の量を2倍にしてみる。感想の羅列だと考えれば無限に記述できる。世間一般で売られている一般書は全て『それってあなたの感想ですよね』に集約される。だがそれでよい。良いと悪いの2文字で全てを済ませてしまうよりは余程マシである・陽キャ哲学も何故異世界転生系のライトノベルが性に合わないのかを考えた記事がある。参考にして欲しい。

文学→愚痴の美学
思想→解明の論理

SNSに突発的に書いた文章は文学であることはあっても思想まで昇華することはない。SNSはインフルエンサーでない限りは碌な反論がない。文章にすれば、ある程度の読解能力がある人から読んでもらえる。ハードルを設定して、そこを越えてくればよし、越えてこないなら無視。越えなくても動画コンテンツは馬鹿でも視聴できるから、陽キャ哲学のコメント欄には的外れなコメントが多い。しかし、noteやnote解説コンテンツには質の高い人材が集まる。やはり、ある程度のふるい落としは正しい。境界性知能の問題はNPO法人や専門家に任せよう。私たちは全ての人を救えるわけではないのだから。自身のポジショントークが包摂している人達と連帯するしかない。

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