正義マンと頂き女子‐依存大国ニッポンを蝕む病理
日本国民の足並みを揃える国民性ゆえに、自国の発展を阻害しているという話は私が改めて語るほどのことでもないだろう。世界でもっとも成功した社会主義国の異名を持つ我が国日本は、極限状態において根性という土台に足並みを揃えることで第二次世界大戦及び、戦後の復興において目覚ましい力を世界に提示した。しかし、太平洋戦争も戦後の焼け野原からの復興も、我々にとっては不可避の責務であり、それを回避してしまえば人並みの生活を送ることはおろか、人間としての尊厳すら守ることが出来なかっただろう。日本は外圧に対応することにかけては国際的にみて大秀才な国家なのである。しかし、戦争と貧困の時代は終焉を迎え、戦うべき外的要因を失った日本国民は迷走し、無意味な仲間割れを繰り返している。
現代ではインターネットで有名になることで、金や名声を簡単に手に入れることが出来る。有名になれるかどうかということはある程度のギャンブル要素を孕んではいるが、良くも悪くも衆目を集めることが有名になることの前提条件になっているようなところもある。その結果、差別化のための攻撃行動が実名、匿名を問わずに過激化している。匿名の攻撃行動は、2chのようなインターネット黎明期からある掲示板の民意が、目立っている個人を攻撃するという図式で永らく存在している。匿名性がゆえに書き込む個人には人を破滅させるような強大な力は持っておらず、あくまでも意見が大衆化した場合のみ、人海戦術的に個人を精神的および物理的に追い詰めるような強大な力になる。ネット掲示板には教祖や先導者となるような人物が存在するわけではなく、『何となく皆が思っていること』の集積が攻撃行動のトリガーになっていた。哲学者の東浩紀はこのようなネットの民意のことをルソーの一般意志から着想を得て、一般意志2.0と呼んだ。インフルエンサー時代の到来とともに一般意志2.0は、その匿名性を破壊し、彼らの代弁者としてインフルエンサーを祭り上げた。その最たる例が正義系インフルエンサーである。彼らは彼ら自身の影響力を使い一般人の不道徳を弾圧する。相手も同じくらいの影響力があればぶつかり合いも成立するが、彼らの影響力がゆえに一般人は成すすべがない。一見いじめに見えるが暴力で人を支配するという構図は警察や軍隊がその役割を担っている。正義系インフルエンサーと警察や軍隊の唯一の違いは彼らが行う自治行為に法律の後ろ盾があるか否かである。
正義マンは誰が生んだ?
自称犯罪撲滅Youtuberのフナイムが乃木坂46のコンサートチケットを転売する転売ヤーを羽交い絞めにして私人逮捕したことが賛否両論を巻き起こしているらしい。この事件の以前から自称マルチ商法撲滅YoutuberのKENZOや自称世直し系Youtuberの令和のタケちゃんなど、この手合いの正義マンは確実にインターネット上で市民権を得ている。暴露系Youtuberのコレコレや元関東連合の瓜田純士によるタバコポイ捨ての注意なども有名だ。これらの動画は見ていて良い気分に離れないが、世の中の人の一定数は世直しコンテンツがお好きらしい。私は彼らが気持ち悪いと思う一方で彼らを生んでしまったのは日本社会であり、出る杭を叩いて突出した行動や個性を許さないという我々日本国民の一般意志なのではないかと考えている。
日本では政治的な主張をする人間は敬遠される傾向にある。それは政治的な問題が難しいからではない。政治的な問題は簡単に語ることが出来る。1つの政治的な問題に対して自分は賛成か反対かを感覚ベースで答えることから始める。次になぜ自分はその感覚に至ったのかということを深堀していく。この二段階のプロセスを経ることで自分の政治的なスタンスを導き出すことが出来る。逆に言えば賛成か反対かを直感で答えられない問題というのは自分が興味のない分野であるので無理に語る必要はない。日本が核武装するべきか否かという問題は語れずとも、大学教育を無償化すべきか否かを語ることは容易なのは、大学という身近な問題で将来子供を持つ親になる可能性のある若者にもキャッチ―な主題であるからだ。話は逸れたが、我々は難しさを言い訳にして自分の政治的なスタンスをひた隠しにする。あなたが世の中に対する自己主張をしないことはあなただけの問題ではない。1人の抑圧的無意識は大きな集団的無意識を作り上げ上述したような正義系インフルエンサーを作り出す。そうして作り上げられた正義マンが、日本を突出させようとする人材を殺してしまうのだ。
頂き女子りりちゃんの逮捕
日本を社会主義にしている要因として最も多いのが、我々の持つ依存体質とそれを許す寛容さである。正義マンが発生するのは、彼らが同調圧力の代弁者としての分かりやすい意見や行動を提示してくれる点にあるだろう。有り体に言えば、正義マンは思想なき教祖なのである。皆が何となく賛同している道徳に同調することを簡単にしてくれるツールとしての役割があるのだ。この問題が表面化したもっとも有名な事件は、山上徹也の起こした安倍晋三銃殺事件と統一教会問題である。山上徹也の母親が統一教会の熱烈な信者であったことは、山上徹也の逮捕後の調書やマスコミの取材などで直ぐに明らかになり、被害者救済法の成立に向けて国会が動き出す事態にまで発展していった。依存性の高い薬物を規制する法律は古来より存在していたが、ついに思想や宗教に対して法律のメスを入れるに至ったのだ。依存性の観点で言えば、薬物やギャンブルと宗教は同格の立ち位置にまで格上げされたと言ってよい。共産主義の父であるカール・マルクスは『宗教は民衆のアヘン』であると喝破した。宗教という麻薬が社会に蔓延すれば、薬物の離脱症状による無気力で社会が回らなくなるだろうと考えられていた。彼の唱えた共産主義というイデオロギーもまた多くの無批判な信者を抱える宗教と化してしまったのは皮肉である。共産主義という考え方は管理社会を前提とするイデオロギーであるため、民衆の自立を信じるよりも依存の要因となる者を排する動きを推し進めようとする思想が強い。社会主義国家である日本も、少なからずマルクス的な依存からの自立を否定する思想を持ちながら社会が回っている面がある。
依存要因を排斥する流れは、ついにビジネスや思想にまで及ぶこととなった。先日、頂き女子りりちゃんこと渡辺真衣(25)が詐欺幇助の疑いで逮捕されるという事件があった。渡辺真衣はパパ活において高額の金銭を顧客から受け取る方法を情報商材としてnoteで販売していた。その手法は暴露系Youtuberのコレコレのチャンネルでも取り上げられ2年ほど前に一度炎上していた。その動画が拡散され有名から無名まで多数のYoutuberが取り上げた。パパ活noteの内容についてはコレコレの動画で詳細を話しているので、下記動画を参照して欲しいが、主な手法としては同情を誘えるような嘘を会話に散りばめ、それらの伏線を最終的に回収し結果として高額なお金を獲得するというものらしい。嘘をついて金銭を騙し取るという箇所が、詐欺行為に該当するのかもしれないが、人間関係において相手の言うことを無批判に信じる頭の悪い人間を擁護する気にはさらさらなれない。元々パパ活など、個人事業主が無許可で行う売春行為のようなもので、その売り手である彼女たちの言葉を真に受けて高額な金銭を支払うなど笑止千万である。
彼女の逮捕にはコレコレの動画の影響が少なからずあったことは間違いがない。現在の容疑はあくまでも詐欺幇助であり、彼女のnoteを使って稼いだ別のパパ活女子たちの詐欺を幇助したということが容疑となっている。孤独な中年男性がお金を払って若い女性との時間を購入する。そこに多少の虚言が混ざっていたとしても、それは政府や警察権力が取り締まるような問題なのだろうか。統一教会や渡辺容疑者を法律で潰したところで、統一教会の狂信者やパパ活おじさんたちは、搾取されなかったお金を有意義に使うだろうか。そもそも資産の有意義な使い方など他人が定義できるような性質のものではない。強い依存体質の者たちにとって、高額の金銭で自身の孤独を癒すことこそ『有意義』な使い方なのではないだろうか。今日本に必要とされているのは弱者を搾取する強者への規制ではなく、弱者の底上げではないだろうか。依存は孤独から生まれる。孤独は社会的動物として生まれたヒトの進呈機能の一部であり完全に抹消することは出来ない。しかし、自分の対人関係の傾向性を分析し、強者側に回ろうと向上に尽力することは出来るはずだ。弱者を救うコンテンツも大義名分の下に弱者を虐めるコンテンツも、どちらも社会的病理の表象なのである。
弱者を無視しよう!
世界196か国という膨大な国家があれど、ホストクラブがビジネスとして成立している国は日本だけであり、キャバクラですら世界から見れば超マイノリティ―の産業である。日本人は孤独に対処する力を養わず、金銭による解決を図ってきたために孤独耐性および孤独対策力を失ってしまった。弱者たちがそこに安住するのは勝手だが、彼らが作り上げた悪い平等主義が突出した人間の個性や才能を殺している。何かを学び創造力を養うはずだったはずの学校教育は就職予備校と化し、テンプレートな受験勉強を乗り切る力を付けさせるだけの無意味なものになっている。もちろん、受験勉強を頑張るという成功体験は青春期において非常に重要な活動であるのは言うまでもないが、青春期の努力が社会に出た後の人生を永続的に決定してしまうのはつまらない。受験勉強が人生のピークだった窓際族の中年男性が、何も頑張らずに年収1000万円稼いでいる一方で、日夜読書や情報収集に余念がない自己主張のある若者の就職先がないというのはおかしな話だ。能力がないから会社にしがみ付くという精神性も依存体質の一種である。肩書では人間の本当の価値は図れないという綺麗事は、弱者の依存によってかき消されてしまう。
我々が今すべきなのは弱者を徹底的に無視することだ。勘違いしないで欲しいのは、ここでいう弱者とは障害者やLGBTのような少数派に属する人たちのことではない。多数派という既得権益に安住し、思考なき道徳で他人を攻撃し続ける大衆である。彼らの既得権益を破壊するためには、多くの偏った意見が必要なのである。意見を出しつつも、最終的には『色々な意見を受け入れて頑張りましょう』という結論に落ち着いてはいけない。また正論風意見や自己啓発なども無名の発信活動には一切不要である。そんなものはもうすでに有名人が数多く発信しており、その有難いお言葉を信じる思考停止人間たちから可処分時間を搾取し続けている。
今必要とされているのは感情論である。SNS上であれば、匿名性を利用し多少過激な感情論を提示することは出来るが、顔や声を出して尖った意見を発信することは難しい。だからこそ、それができると思われる無名発信者に対しては積極的に激励を送っていこうと思う。また弱者男性や毒親サバイバーなどの愚痴コンテンツも徹底的につぶしていこうと思う。
まとめ
私事ではあるが、7月末に退職して丸々1か月就職が決まっていない。7月中にも就職活動を行っていたことを考えると2か月間一切内定を貰えない状況だ。私の能力を私自身が客観目線で見ることは出来ないので、あくまでも自己評価になってしまうが、陽キャ哲学普及協会の魅力と能力が、品川駅を死んだ目をしながら歩くサラリーマンたちより低いとは思えない。日本を現状維持させるためだけのロボットしか社会に参画させるつもりがないのだろう。薄々感づいてはいたが私は私の発信活動で社会に対抗し、生活も賄うほかないのだろう。そのために最近休みがちだったYoutube投稿とnote執筆を再開していこうと思う。ぜひ応援して欲しい。