妊婦が怖い
はじめに
妊婦恐怖症の話です。
倫理的に、社会的に不快な表現があるかもしれません。
ちょっとでも嫌だなと思ったら閲覧をご遠慮ください。
決して妊婦さんに対して何かを言っているわけではなく、この記事は自分自身の気持ちの整理であり、配慮されるべくは妊婦さんであることに変わりありません。
漠然とした恐ろしさ
最初に、私は妊娠経験はもちろん性交渉経験も無い20代女性。性自認は女、恋愛対象はわからない。男性恐怖、性嫌悪がある。上記の要因があり、また機会が無く恋愛経験は無い。
親曰く「自分が一生結婚とか妊娠できないから嫌なんじゃない?」。もしかしたらそうなのかもしれない。が、嫌というのには語弊がある。嫌なのではなく、恐ろしい。
だって、出てくるまで不完全、むしろ体内から出てきて尚不完全な生命を、薄い腹の肉1枚と、服という布数枚を介してかなり無防備にさらけ出している。本人からしたらさらけ出してはいないのかもしれないが、大きいお腹を見ると身構えてしまう。
わたしがもしうっかり転んだりして、彼女を巻き込んで地面に倒れてしまったら命が失われるかもしれない。ぶつかったら、その衝撃で彼女の体内にある脆い生命に傷がつくかもしれない。そんなことを考えてしまい、妊婦さんがいる通路は迂回するようになった。
エイリアン
体内に存在する生命の脆さも怖いが、しかし根本的には妊婦さんそのものが怖い。白状すると、私は妊婦さんのことをエイリアンだと思っています。脳と身体を持ち、自我によって活動する本人以外の別の命が、その体内に存在していることが怖い。
自分以外の生命が、自分自身の体内で、自分自身の意思とは別に、自分の栄養素を使って成長することって恐ろしくないのか。
自分の身体や臓器が思うように動かないことには不満を抱くのに、なぜ自分と臍の緒がつながった別の生命が思ってもいない動き(突然腹を蹴るなど)をすることは喜ばしいのか。
ひとつの身体に、自分以外のふたつめの生命を育んでいる。ひとつの胚から、3,000gまで自分の摂った栄養素を、こちらの意思とは関係なく受け渡して育て上げる。こわすぎる。
恐怖とはわからないことである。わからないものが怖い。わたしにとって、その最たるものが妊婦なのだ。ずんだの妖精みたいな喋り方になってしまったのだ。
幼い頃の経験が関連しているのかも
なんで妊婦が苦手なのかと考えるより前から、苦手なもの。”臍”。お腹の真ん中についているあれ。本当に苦手。この文章を打ち込みながらも、なんかすごいざわざわしている。へそこわい。薄皮で内臓と繋がっている感じがとんでもなくこわい。口の中とかお尻の穴とか目とか耳とか鼻も、体内に繋がる穴という点では同じだと思うんだけどへそだけが怖い。ズボンのゴムとかが当たるだけでも変な汗が出るくらい嫌。
ちなみに関係あるのかないのかわからないけれど、母が幼い私に胎内記憶をきいたところ「毒蛇に嚙まれた」と言っていたらしいが、話を紐解いてみたところ、お腹の中で臍の緒が首に絡まって死にかけたことを言っていたのかもしれない、とのことだった。もしかして、最古のトラウマ?
また、小学校中学年くらいだったかの理科の授業で妊娠についての勉強をした。その際”胎盤”がなぜか嫌で仕方なくて、教科書の胎盤の図が描いてあるページが見れなかった。
栄養を受け渡すためだけに作られ、最後には出てくる。なんとなくすごく怖かった。今でもそう。胎盤食って初めてインターネットで見た時、しばらく食欲がなくなった。どうしてそんなことを まあそういう文化もあるんだよな…多様性
あと性的虐待から来る男性恐怖も回り回って妊婦恐怖症に関係するんだろうか。許せねえな…
おわりに
自分がなんで妊婦恐怖症なのかを思いつくままに書き連ねてみた。もう、マタニティマークや、妊婦さんの絵だけで怖いくらいには妊婦恐怖症。
友人が妊娠したらどうしよう。10か月と10日は会えない。さみしい;;
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