助けるひとと助けられるひと
わたしの息子は563gで生まれ
生死の境を彷徨い、半年間入院しました。
現在は死にかけたのが嘘のように
体は健康そのもので元気いっぱいで
なんの心配もないのですが、
”知的な遅れ”があり、特別支援学校に通っています。
最近、”あつまれどうぶつの森”をきっかけに
美術品に興味を持ちだして、
「ママ、彫刻ってなに?」
と聞かれて、うまく答えられなかったので
実物を見に、美術館へ行きました。
障害があるから、
ふつうの子みたいに
たくさん勉強して、
何者かなるというのは難しいだろうから
なんでもいいから
好きなことを見つけて、
どうにかひとりで
生きていけるようになってほしい。
そのための芽を
親であるわたしが見逃してはならない!!
と、いつも
か細い(←ウソ)双肩に
ガンガンに力を入れて思っているのですが
そもそも、
ひとりで生きて行けるようにならないと
ダメなのだろうか?
と、考える日もあります。
↓見返り美人図がお好きらしい。
息子が生まれてから
障害児には様々な行政の支援が
あることを知りました。
例えば、医療費が無料だったり
こちらの記事でも書いた
放課後等デイサービスだったり。
助けてくださる方に
感謝すると共に
ふと思ったことがあります。
助けてくれる人たちが活躍するためには
”助けが必要な人”の存在が
不可欠なんじゃない?
と。
助けが必要な人がいるから
助ける人がいて
助ける人は”ありがとう”と言われて
嬉しい気持ちになる。
いつか、息子も助けられる人ではなく
助ける人になって欲しいと思うけれど
助けが必要な人で居続けることも
助ける人になることと同じくらい
尊いことなんだろうな・・・
と思いつつも。
せっせと美術館へ行ったり
図書館へ行ったりして
息子の興味のあるものを
伸ばそうと必死になるという
矛盾の中で今日もわたしは
息子と共に生きています。
歩き疲れたのでふたりでお茶♡