ラァス・オブ・ワースレイヤー【邦題:落命館の汚仕事(オシゴト)】
方法は何でもいい。まず手始めに一人殺す。すると、この山荘に集まった連中は必死に考えるはずだ。「犯人は一体どんなトリックを駆使したのか」とな。だが、そこに暴かれるべき計画も崩されるべきアリバイも無ければどうなるだろう。おれが最も怪しいならば、おれが犯人ではないと考えるのではあるまいか。名探偵どもが疑心暗鬼のミステリーと格闘している間に、おれは悠々と次の獲物を仕留めればいいのだ。
【無人の山荘に残された手記】
始めに死体ありき。談話室の冷たい床に横たわる宿泊客を前にして、おれの胸中に去来したのは混乱と恐怖ではなく後悔だった。まんまと殺人事件の第一発見者に仕立て上げられてしまうとは。おれは冷静だった。今に始まったことではない。この山荘では毎年、誰かが死ぬからだ。その「誰か」というのは決まって外部からの招待客で、蒸発しても誰にも騒がれないような孤立した人間、或いは何らかの厄介ごとを抱えた人間が選ばれるのが常だった。今、おれの目の前でくたばっているのは人間狩りの人狼だ。遂に今年は狩る者が狩られたか。第一発見者として、そして何よりも山荘の管理人として、おれは《遠吠え》で他の宿泊客を呼び寄せる。
死体を囲んで宿泊客の全員が一分と経たずに談話室に集まった。長老と、その下女。それから弁護士、教師に、会社員。こいつら全員が人殺しの人でなしだ。吹雪に閉ざされて孤立する冬の山荘に人間を招待して、殺す。それから犯人捜しの推理合戦を繰り広げるのが彼らの年末年始の過ごし方だった。
しかし、時代の流れというものか。この山にも来年の春には大手通信会社の基地局が建てられる。つまり山荘がクローズドサークルではなくなってしまうのだ。今年は静かに「ミステリー同好会」の解散式を開くことにしようというのが長老の意向だった。人狼の、人狼による、人狼の為のゲームは終わったのだ。その筈だった。
長い沈黙。死んだのは医者だった。仲間からはドクターと呼ばれていた。そして人間の病院の世話になるわけにはいかない人狼の面倒を見る闇医者でもあった。おれに視線が集まる。「お前が殺したのか」とでも言いたげに。だが、おれは人間としても人狼としても半端者の下位種《ルーガルー》だ。その出来損ないに同胞を仕留められたとあっては自らの依って立つものが揺らいでしまうとでも思っているのかもしれなかった。そこで口火を切ったのは長老だった。
「……談話室には何の用で来た?」
『話し相手など誰も居ないお前が談話室に何の用で来た?』とまでは言わない温情が長老にもあったらしい。不覚にも目頭が熱くなる。おれは手紙を差し出した。それは管理人室のドアと床の隙間に挟まっていたものだった。
あなたの秘密を知っています。
今夜12時
談話室に来てください。
「……秘密?」
「何か後ろ暗いことでもあるのか」
手紙を回し読みした二人のセンセイがおれに詰め寄る。「おれの秘密」など無い。あるのは「山荘の秘密」だけだ。そうだろう?
「とにかく、警察に電話を……」
会社員が部屋を飛び出ようとするのを瞬時に回り込んで下女が制する。叩けば埃の出る山荘だ。既に失うものなど何も無いおれが警察に余計なことを漏らさないかが不安なのだろう。毎年、おれが死体を埋めている場所とかな。
「……我々の問題は、我々が解決する……」
長老が言い放つ。一年ぶりに見る彼は昔より随分と老け込んで見えた。会ったばかりの彼は若く、それに輪をかけておれは幼く、そして狼男(この頃は人狼という呼び方を知らなかったし、メスはいないとの思い込みもあった)の仲間を探そうなどとは夢にも思わなかった。この優しい人と、いつまでも一緒に過ごせればいいと思っていた。
いずれ人狼の仲間が増えて、一つの群れを形成するようになると序列のような見えない階段が乗り越えられない壁として立ちはだかるようになった。学歴、表社会での肩書き、人脈。学校にも通っていない、戸籍があるかも怪しいおれには最初から勝ち目のない戦いが始まった。次第に長老は何処までもおれを遠ざけるようになった。その「何処までも」離れた冬の山荘が、今ではおれの寝床であって、おれの仕事場だった。
「じゃあ、死体はどうするんですか?犯人が見つかるまで、ドクターをこのまま床に寝かせておくんですか?」
震える声は会社員のものだった。彼は群れで最も若い人狼だ。だから考え方が人間のそれに近い。身寄りも後ろ盾も無い招待客が死ぬのを間近に見るのは楽しいが、身内がくたばるとなれば話は別か。長老の視線が、そして全員の視線がおれに注がれる。
「この山荘には、まだ死体袋の予備が十分にある。そうだな?」
荒れ狂う吹雪の中、おれは裏庭にドクターを埋めてロビーに戻って来た。暖炉の傍で全員が何やら話し合っている。ドクターは山荘が餌食にしてきた落伍者とは違う。人間社会での表の顔があったのだ。彼の死を如何にして隠蔽するかで話し合っていたらしい。確かにおれでは力になれそうにない議題だった。おれとて今までの犠牲者と似たような身の上だったからだ。事態を丸く収めるのならば吹雪が収まり次第、おれを口封じして全員で下山するのが最も確実であろう。やれるものならやってみろ。占拠された暖炉に見切りをつけて管理人室のストーブで暖を取ろう思った瞬間だった。何かが何かを叩く音。最初は理解できなかった。それは誰かがドアを叩く音だと。そんな筈は無い。外は見渡す限りの猛吹雪だったのだ。頼りない吊り橋を渡って、山道を登って、この山荘に辿り着ける人間などいるのだろうか。ドアを叩く音は止まらない。ノックするのは誰だ?おれがドクターを埋めているところを目撃した登山客かもしれない。思い切ってドアを開け放つ。
「どうも!アガタです!……遅れてすみません」
その姿を見ておれは心臓が止まるかと思った。現れたのは死んだ筈のドクターではなかった。山荘の餌食となった犠牲者でも、雪山の怪物でもなかった。その方が幾らかマシだったに違いない。往年の名探偵を想起させる鳥打帽。ケープの付いた丈の長い外套。
「あんた、何者です。この山は私有地ですよ」
「百歩譲って山に立ち入るまではいいでしょう。でも、この山荘に部外者を入れるわけにはいかない。何用か知らんが、即刻お引き取りいただきたい」
二人の「先生」が突然の訪問者から長老を守るように進み出る。昔のおれを思い出させる健気さだった。おれが報われることは遂に無かったのだが。
「これは緊急避難です。外の吹雪をご覧になりましたか?それより何より、私は求めに応じて此処に来たのですから。これを皆さんに」
長い髪、柔らかい声に、桃色の唇。服装ばかりに意識が向いてそれどころではなかったが、どうやら招かれざる客は……本人は招かれたる客だと主張している……女性であるらしかった。未だに事態の吞み込めないおれに近付いて不思議な紙の束を渡してきた。それはきっかり人数分の名刺だった。全員に配ってくれということらしい。おれが下働きの下男であることを看破してのことだろうか。その紙片には《モデル事務所ヴィクトリアン・ダイナスティ》とやらの刻印が施されている。記載された電話番号と住所を信用するなら、どうもアガタと名乗る彼女は麓の町から来たようだ。
「呼ばれた?誰に?」
「この中の誰かですよ」
「……何をしに来た?」
「ナニって。モデルのデリバリーを電話で手配されたものですから」
「その服装は何だ?」
「私の趣味です。同時に私を選んだ客の趣味でもありますな」
「モデル?あんたが?」
ニセ探偵は胸を張って頷いた。おれには人間の美醜は分からないが、確かに顔の造形は無難にまとまっている。外套の上からでも女性のそれだと見て取れる体型。それに気付いた人間狩りどもの目が窄まるのを、唇がめくれ上がるのを見逃さないおれではなかった。彼女を呼んだのは長老だろうか。この山荘で探偵をモデルに宣材写真でも撮るつもりだったのかもしれない。さぞかし絵になることだろう。この山荘が宿泊施設として外部に開かれたものであったならの話だが。しかし、この山荘は人狼の狩場として機能しなくなると同時に取り壊されると聞かされている。何か込み入った事情があるのかもしれないが、おれには特に知らせる理由が特に無いというのも頷ける。最悪の場合、長老ではない誰かの独断によって個人的な愉しみの為に呼ばれた「被害者役」だということもあり得る。考えるのは後回しだ。先んずれば人を制す。泥を被ってでも先手を打て。勇気を振り絞って、おれは叫んだ。
「おれです。おれが呼んだんですよ、探偵さん」
(続く)