連載版「十束神剣百鬼夜行千本塚」 #3
地上に這い出て、月を見上げて、肺を刺すような冷たく澄んだ夜の空気を吸い込んで実感した。魔窟の暗闇と静寂は僕にとって心地よいものであった。地下の淀んだ空気は郷愁を感じさせるものであったのだ。そして〈歪徒〉との戦いは楽しかった。何より魔剣の獲得は心が躍るものだった。後ろ髪を引かれる思いもあるが、明日また来るのだ。次こそは地図と行燈を忘れずに持って往こう。それでも僕の腰には拾ったばかりの二振りの魔剣が吊られている。初日の戦果としては悪くない。もっと魔窟の奥まで潜れば、もっと多くの魔剣を集めれば。きっと父上の首にも僕の刃が届くことだろう。
「……ところで若様。そのように禁制の立派な品々を見せびらかすように堂々とぶら下げて帰路に就くつもりなのですか?」
僕の腰に忍者の手が伸ばされる。主君の身を案じる家臣の目ではない。僕が台所で刃物を持った日には、母上も同じ目で僕を見ていたのを思い出す。
「いえいえ、この期に及んで若様から大切な得物を取り上げようとは思いません。ですが街道を往く旅人に魔剣を見られれば面倒なことになるかもしれません。さりとて道なき道を往けば、同じように人目を憚る夜賊に狙われる恐れもございます。ですので……」
言うが早いが、視界が一瞬にして塞がれた。包帯だった。剥がそうとするより早く両腕が拘束された。悲鳴をあげる猶予も無い。一瞬の浮遊感と眩暈。
「……忍者の道を通りましょう。はい、お屋敷に着きましたよ」
嘘ではなかった。もう父上も兄上も戻らない母屋と、僕が育った離れ座敷が目の前にあった。紛れもなく今朝、僕が飛び出した阿刀田邸であった。此処から魔窟の入口までは歩いて一刻、輪入道に乗っても半刻はかかる筈だ。咄嗟に夜空を見上げるも、月の高さは変わっていなかった。つまり何かの術で僕を眠らせてから此処まで運んだのではない。瞬間移動だ。まるで魔剣と同様に禁じられた〈魔法〉ではないか。忍者の術である以上は、種や仕掛けがあると相場が決まっているものなのだが。
「私の術を探ろうとしても無駄です。いいから早く、お風呂に入ってくださいね。その間に私は夕餉の支度を済ませてしまいますので」
……風呂というのは、かつて父上や兄上が浸かっていた温泉のことであろうか。古来より侍の屋敷には温泉があるものだ。というより、温泉が湧いた土地に居を構えるのが侍の習性だったと言ってもいい。それも湯水で心身を清めるのみならず、只人が言うところの「地獄」から立ち昇る瘴気を吸い込むことを好むのだ。かく言う僕は、ずっと忍者と一緒に内風呂で身体を洗っていたので理解の及ばない領域の話ではあった。温泉の作法のことは判らないが、どのみち僕の不作法を咎める者は誰もいない。此処で父上と兄上は湯に浸かりながら、どんな話をしていたのだろうか。父上は既に家を出られた。不老不死の侍も加齢による狂気、即ち精神の劣化からは逃れられぬ。父上の場合は母上の面影のある村娘を見つけては地位に物を言わせて祝言を挙げては殺して食べるのを五十日周期で繰り返すようになったと聞かされている。そこで狂った親を倒すのは子の役目だ。親を討ち取って身の証を立てねば侍の子は家を継げぬ。だから侍は孫を抱けない。侍に出来る親孝行とは、即ち親を越える力を示すことに他ならない。阿刀田家の当主を討て、との御触書が出されたのが新月の晩のことだった。父上を討つべく、少数の忍者を連れて兄上が家を出たのは満月の晩のことである。湯に浸かりながら僕は夜空に浮かぶ立待月を見上げた。きっと兄上は戻らないだろう。そして次の新月までに兄上の無念を晴らせねば、忽ち阿刀田家は取り潰しである。(続く)
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