連載版「十束神剣百鬼夜行千本塚」 #5

高嶺家の姫君である姉上が僕の部屋にやって来た。如何なる御用向きがあってのことであろうか。考えるまでもない。兄上のことである。きっと試練に向かう直前に「帰って来たら祝言を挙げよう」など言われたに相違ない。その兄上から何日も音沙汰が無ければ、男子の帰りを待つ乙女としては関係各所に問い合わせようと考えるのも自然な成り行きであるといえよう。

「今頃は祝勝会、さもなくば葬式の最中であるかと思うていたのですが」

僕に向けられた姉上の視線には毒が含まれているように思えた。「何故お前が生きている?」とでも言いたげだ。有為の人である兄上は生きて戻らず、無為徒食の日々を過ごす弟である僕は今こうして忍者が茶碗によそう白米を口に運ぶ手を止められないのだから無理からぬことではあった。

「姫様、まだ皆無カイム様は試練より戻られません。御用件があれば私めが伝えておきますが……」

僕の茶碗に白米を装う手を止めない忍者が口にした名前は兄上の幼名だ。ちなみに僕の幼名は路傍小石丸ろぼうのこいしまるである。そして家督を継げずに阿刀田家を潰してしまえば僕は幼名を本名として一生を過ごさねばならないのだ。別段それは構わないが、只人に交わり泥に塗れて田畑を耕す暮らしなどは御免被りたいと思っている。

「長子たる皆無カイム殿は我が家の婿養子に、代わりに私の妹を阿刀田家の次男にれてやるというのが両家の間に交わされた取り決めであった……というのは知らぬ存ぜぬ、ということですか」

全くの初耳である。あの兄上が婿養子になるなど、それは寝耳に味噌汁の衝撃であった。小糠三合こぬかさんごうことわざを知らない兄上ではあるまい。否、了承したとすれば在りし日の父上であろうか。だとすれば既に父上の身には狂気の影が忍び寄っていたのだとしか思えなかった。

「……それが若様。両家の❝格❞の違いを鑑みれば、それほど不当な取引とも言えないのですよ。阿刀田家は、この地に於ける武門の棟梁とも言える高嶺家との繋がりを得る。そして高嶺家には家を継ぐべき侍の子がおりません」

侍の子がいない。今の高嶺家は当主も妻も侍だと聞いている。しかし生まれたのは只人の女子が二人ばかりであった。旧弊と呼ぶ者もいるが、少なくとも今日の制度に於いては侍の家を存続させるには男子の侍が家に居る必要があるのである。侍とは何か。只人とは何が違うというのか。それは、この国に住まう者なら誰もが知っている。生まれながらにして歯が揃い、髪は長く、立って歩いて、言葉を話すのだ。そして長じれば額に角を生やすことになる。僕は四つ目でしくじった。もし僕が真っ当な侍だったならば第一声、生んでくださった母上に感謝を述べるべきだったのだ。赤子だった僕は口を噤んだまま、その場で生みの親の手を捻ってしまったのを覚えている。その結果が今の、離れ座敷と言う名の座敷牢での暮らしである。

「……改めて訊きましょう。お前は、此処で何をしているのですか?」

(続く)


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