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子の成長を見とどけたい
子の成長を見とどけたい。
親なら誰しもがそう願って日々を過ごすはず。
産まれてきて、日に日に成長を感じて、歩き出す。
歩き出したら、しゃべるようになる、自分の意思を持ちイ
ヤということをいうようになる。
保育園生活、小学校、中学校、高校、大学、就職、結婚、我が子が自分の子を持ち、自分にとって孫ができる。
大体の人は想像するんじゃないかな。
健康で何不自由なく元気で過ごせる。
誰もが当たり前に思うこと。
しかし・・・それは当たり前ではなかった。
ある日突然当たり前は当たり前じゃなくなる
病気・障がい・事故・事件など・・・
ついさっきまで笑いながら楽しかったことが、一瞬でできなくなる。
もしくは、明日最悪生きられないかもしれない。
「ただいまー」と言って帰ってくるはずの我が子が、帰ってこないかもしれない、最悪の場合、変わり果てたものになるかもしれない。
自分は何ができるのか
最悪の場面にならないためには、自分は何をしたらいいのか。
日々を生きるために尽力する
これは自分の想像と解釈ですが、「生きよう」です。
生きて生きてその先を見れば、パートナーがいて家族を持つご縁があるかもしれない、家族・子どもを持つかもしれない。
これは絶対はないし、ご自身のタイミングなどもありますが、生きていればかなえれる機会があります。
そこで人生を閉じてしまうと何もありません。
しんどいし、投げだしたくなるかもしれない。
答えは「NO」です。
人に頼ってもいいし、泣きじゃくりでもいい。
踏みとどまって生きましょう。
人に当たって罪を犯しても誰も喜ばないし、逆恨みしても誰も救われない。
そうなる前に助けを求めてください。
自分も2人の子をもつ父親の端くれです。
子を失う怖さやあの残酷な時間はもう二度と味わいたくもないし、誰にも味わってほしくもありません。
そのためにも、まず「背中で見せる」。
自分が先頭を切って生きることを体現し、我が子に示す。
そして、天に昇ってしまった子たちにも、生きることを見せてあげたい。
自分が見れなかった人の生活・未来を形は違えど、味わってほしい。
そして、こうしてnoteを書いてますが、自分自身もまた命が当たり前にあるとも限りません。
日々感謝(おごらず謙虚に)生きます。
「監察医朝顔」の新春特番を見て感じた記事です。
当たり前だったことが真逆の最悪の結果になってた。
生きてることに感謝し、自分が最悪になる前に踏ん張ります。