引退後の横田慎太郎【再発・再々発】
こちらの記事の続編になります。
引退後、球団からジュニアコーチの要請を視界の不安により辞退しました。
地元鹿児島県に戻り、講演活動・執筆活動を行っていました。
地元鹿児島県での活動
引退後は、主に自身の闘病生活を伝えるために講演活動や執筆活動を行っていました。
一人で誰にも頼らない生活を送りたいと一人暮らしをしていました。
この一人暮らしには、どんな思いがあったのかな?と思いました。
闘病生活中は、いろんな方々にたくさんのサポートを受けて生活してきて、今の自分があると思ったのかな?
だからこそ、ここまで回復したよ!自分も病気したけどなんでも挑戦できるよ!との思いがあったのかなと想像してました。
再発なんて・・・
2020年夏ごろに、足腰の強い痛みを感じ始めたことで再発がわかりました。
この時はコロナウィルスが蔓延し始めたばかりの時で、完全に隔離。
なにより抗がん剤などで免疫が下がっている中で、感染や病状の悪化など
どれだけ辛かったことか想像がつきません。
そんな横田くんは再発の治療も乗り越えて復活しました。
どれだけ辛い治療も乗り越え、あきらめずに向かってきました。
そして、どんな状態になっても野球がそばにあり、母校の鹿児島実業高校の試合を観戦したりととにかく野球が大好きでした。
再々発・・・
2022年に再々発がわかりました。
3回も悪い腫瘍が悪さするとかどれだけかよ!!と思いました。
この時に腫瘍の影響で右目を失明していたとのことでした。
そんな中でも、失明をしても講演会や活動をやめることなく行っていた。
会場の手すりや階段の感覚をたよりに、ひとりで登壇していたそうです。
ここまでの状態になってまで続ける理由はなんでだろう、つらい思いまでやることではないだろうとおもいますよね。
このときの横田くんは自分の状態にある程度の覚悟があったのかもしれません。
自分の命が尽きる前、体が動き続けるかぎり伝えたいと思ったのでしょう。
ありがとう横田慎太郎
7月18日 横田慎太郎は28年の生涯を終えました。
6月9日の誕生日は家族で祝えてとてもみなさん本当に嬉しかったと語られていました。
苦しみから解放されて、もうなにも悲しむことなく、自分の大好きな野球を思う存分やってほしいです。
旅立った先は、必ずグランドがあり野球があります。
ホームラン打って、グランドを泥だんごになって駆け回る姿しか思いつきません。
ありがとう 横田慎太郎
あなたの姿は消えることはありません。
旅立ったさきから、見守って悪さする病気をバックホームでやっつけてください。
どれだけ気を付けてもスポーツ選手でも病魔にやられます。
横田くんが見せてくれた姿は、まさに諦めないそのものです。
元来スポーツ選手は諦めが悪く負けるのが大嫌いです((笑))
そんな内面もあった横田くんならではの姿だったのかもしれません。
みなさんも悔いなく普通の生活を送れますように、心からお祈りします。