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ケアの分類だけど・・・

ケアというのは「肌」「心」「身体」などがある。
物でいえば「メンテナンス」「手入れ」のあたる。

人の中にはもう一つの「ケア」が存在します。

緩和ケアもそのうちの一つにあたります。

緩和ケアは、これ以上の治療の効果が見込めなかったり、現状施す治療がなかったりしたときに、積極的な医療を施さず本人の望んだ生活を助けてもらうケアのことを指します。

病原体を倒すというより、抑えて静かにしててもらう

この表現が分かりやすいかなと思う。

なぜ緩和ケアのことを話そうと思ったかというと、、、

ケアと表現されるけど裏を返せば病に負けた
来るべきときを待つ時間

ただ待つだけでなにもすることがないともいえる時間。
自分はこの「緩和ケア」という言葉に今?がついています。

否定するどうこうではなく、その言葉について考えた。

緩和ケアを受けるご本人・その家族もどんなきもちであるのか
積極的な治療がないから少しは肩の荷が下りたかもと思えるのか、小さいお子さんも親御さんが帰ってきてうれしのか。

親御さんも我が子が病院でなく家での生活ができる嬉しさ、兄弟姉妹もみんなで一緒に生活ができるから嬉しいと思えるのか。

その想いはご家族それぞれ違って当たり前だと思います。

緩和ケアは、少しでも大切な人たちと思うような時間を過ごす。
やりたかったことをやる・学校に通う

今までは制限でできなかったことをどうやったらできるか考えて行動する期間でもあると思っています。
逆に緩和ケアの期間だからこそいいアイデアが浮かび、やりたいことことがうまくいったりするものなのかとも思う。

苦しい治療をしなくなった分穏やかに過ごせたり、メンタルが安定して日々の体調も良くなったりもあると思う。

「緩和」と「治療」

緩く和ますと治す

やっぱり意味もちがうし、やることも変わってきます。

本人の意思、家族の意見、医師や医療従事者の意見を全て交えて、なにが一番最適な判断になるのか。

簡単に決めれるものでもありません。

治療はもうせずに家に帰りたい
やれること全部やってみたい
緩和ケアで過ごしたい

これ以外の決断された方・上記の判断をされた方も選択した判断は間違いではありません。

選ばれた判断は悩んで苦しんで決められたこと。

周り指摘されたり横やりされる筋合いもありません。

決断を自分は敬意をもって称えたいと思います。

これが自分の「緩和ケア」に対する現状の意見です。

場面において辛い決断をしないといけない時があります。
いきなり決めないといけない時もあると思います。

一人で抱えることをせず頼れるところに頼って最善の判断をしよう。

そのために最善の判断ができるように心身ともに整えることもとても大切なことになってきます。

頑張りながら頑張らないでください。

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