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現実世界へ戻ってきた

お疲れ様です!ゆうきです。
今回は黄泉の世界から現実世界へ戻った時の事をお話します。

目が覚めた瞬間

目覚めは、普通に寝て起きた感覚でゆっくり目がひらきました。
目は開くけど・・・体が・・手が・・足が・・・


「動かない」

自分の中で時間が病院に到着してから止まっていました。
なので自分は、どこにいるのか?自分がどうなっているのかも
全くわかっていませんでした。

身体が動かないなら、声かけて・・・・・
「・・・・・・・・」自分は大声でしゃべっているはず・・・

「声も出ない」

この時自分の体が全く動かない、声も出ないとだけわかりました。
わずかな首の動作で横を向くと、妻がないていました。
「なんで泣いとる?」→妻「自分が事故にあったのわかる?」
とそのようなやり取りをしていました。

ICUの面会時間は、昼60分 夜60分の計120分
それも家族だけ(無論子供は面会禁止)で娘には会えず・・
しかし、2時間の面会時間でもとても貴重でしたし安心しました。
しかし、面会が終わり家族が帰るとずっと泣く泣くの時間でした。
一人になる恐怖・また死んでしまうんじゃ?など負の感情が支配し
寝ることもできず、眠剤を飲んでも眠れず、むしろ寝たくなかった

黄泉と現実をさまよう

この時、寝てしまったらまた黄泉の世界へ入っていき
目が覚めると現実世界へと往復していました。
なので黄泉と現実が入り交じり、世界観が混乱していました
来れるはずののない人が来ていたり、あり得ないことがおきたり
自分以外のひとはみんな目が点でした。

この時点でもまだ身体は動かせず、人工呼吸器をつけ、動くのはコールを押すための左手と首のわずかな可動のみでした。

両サイドには2台の点滴台にMax装備された点滴、飲み薬はコップの
半分が埋まる量を飲んでいました。

ある種の薬物漬けと言われてもいいような量でした。
痛みは外傷というより、神経に痛みが走る感じ、マシンガンのように
連続して発生したり、デカい痛み→しばらくなし→デカい痛み
といったように一定の感じがなく、予測不可でした。

痛みと並行して発熱によるしんどさも尋常ではありませんでした。
当初は、平常で38℃台、ピークで40℃近く、下がって37℃後半
ピークの時には叫び、喚き、ナースコールいらずでした。
この痛みは、本当に死んだほうが確実に楽でした・・・
生き地獄というのが本当にピッタリというくらい・・
食事ももってのほかで、点滴からの摂取で食べれず、水分も口径からはなし
人工呼吸器と叫びすぎで喉と口内はカラカラでした。

次回

とここまでは目が覚めて、世界の交錯や痛みとの闘い
人間の生活には程遠いことを耐え抜いていました。

次回で人工呼吸器が外れ口径からの摂取開始です。

内容が濃すぎて区切ります💦

是非、次回もご覧ください。





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