生きるために必要なこと
こちらで「医療的ケア」について書きました。
医療的ケアは、その人にとって生きていく上で必要なことであり、なくても生活はできる人もいますがとてもしんどいことでしょう。
酸素吸入をしないと呼吸ができない、胃ろうからしか栄養が取れない、気管切開しているから痰の吸引が必要、生きていくためにはなくてはならないものばかりです。
必要なことではありますが、「やりたくない」「みんなと同じじゃなくなる」など色んな理由でケア状態になりたくないと思う人もいます。
体には、チューブがついたり、お腹に器具がついたり、喉には吸引する為の器具がついたりなど周りとは違うことが嫌なひともいる。
胃ろうや気管切開で、カニューレを交換すること必要があり痛みがでたりするのかな?不安を理由になかなか踏み出せなかったりもする。
医療的ケアは、苦渋の決断でせざるを得ない場合と、そうでない場合があります。
例えば、痰の吸引を口径からしていて本人はとても苦しいし、喉を傷つけることを毎回しないといけないと、本人も介助者もかなり辛い。
そこを「気管切開」という選択をすることによって、苦しみもなくなったり介助者の辛さもなく、お互いに楽になる場合もあります。
子供たちは、痛いや怖いというのが1番最初に考えるところ。
利便性や生活のしやすさはまた二の次になりやすい。
そして自分が周りと違う状態・変なものをつけないといけない見た目の問題もそのうちの一つです。
「医療的ケア」を活用する・そうせざるを得なかった・活用してお互いが楽しく生活できるようになった。
絶対にしよう!!
しないほうがいい
したくない
どの思いもその人の本音の声だと思います。
一番言えることは・・・・
何が一番の選択なのか、嫌というほど話し合う
本人の思い、介助者の思い、どんな生活がしたいということを隠さずすべてさらけ出していくことです。
やりたいこと・生活にはなにが必要なのか、これがあったらできるよね
といった感じでしょうか・・・
生きるために必要な「医療的ケア」は恥ずかしいことでも、みじめでもなんでもありません。
目が見えにくいからメガネをするのとおなじで、生きていくために必要なことなだけです。
是非とも優しい無視でその人にとっては必要なことなので見守ってください