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平等な「命」だからこそ!!

徳洲会創設者の徳田虎雄さんの訃報を報道される中で、「ある言葉」が特に印象に残っているここ最近です。

「命だけは平等だ」

この言葉が自分に突き刺さっていました。
正直徳田さんの名前を報道で初めて知ったし、「誰??」というくらい全然知りませんでした。

この「命だけは平等」ということをかみ砕いてみる・

・生まれたときはみんな同じ
・特別なことは一切なし
・無くなっていい命はない

自分なりに「命だけは平等」ということはこんな感じなのかと・・・

生まれてからの道「人生」は、誰がどう進むかはわかりません。
本人がどうなりたいか、なにを夢みるのか、そしてどう進んでいくかという考えがあるぶんだけ、どのようなものにもなっていける。

それが「命だけは平等」「無くなっていい命はない」ではないかと思う。

「命は平等」の反対に平等ではないものがやはり存在します。

「命」の長さ(生きれる年数)

これ「長さ」というものは、残酷でほんとうに不公平だとしか言えません。

・病気になってしまう
・事故に遭って生きられない
・生まれてもすぐ息絶えてしまう
・生きれる長さを決められてしまう

平等な命なら、生きれる長さをそれなりに与えてあげてほしい。
寿命にも差があるのは仕方がないが、短い人は余りにも短すぎる。

子どもでも容赦なく病気だの、生まれても病気持っているとか、挙句には原因不明のためおなかの中で終わってしまったり・・・
なんでなだろうね・・・

医療は弱者のためということも、徳田さんは言っていたそうです。
弱者(適切な医療を受けれない人)とか、困窮して治療ができないとか、受けたくても受けれないのが少なからずあります。

そのために、自分の人生を全うされたのだと思います。
なんとか患者を救いたい、治療したいとかがあったからこそ、団体を立ち上げられたと感じています。

最終的には、ご自身が難病(ALS)になられましたが、それでも与えられた命一生懸命だったと思います。
政治の世界で色んな違法なことをしたとか言われていますが、ダメだったこと、ふさわしくなかったこともありますが、「命だけは平等」で与えられたから、そこからの人生はご本人にとってやりたいことをできたんではないでしょうか。

「平等な与えられた命」は、いつおわりがくるなんてわかりません。
これは、だれにもわからないし、予測も難しい。

だからこそ「やりたい事を全力でやる」というように、悔いのない人生を送るというのは、こうじゃないかと思います。

医療というのは、今後まずはなくなりませんが、いまよりもっと助かる命、
笑っていられるように進化をし続けてほしいです。

だから!!やりたいことは、後悔ないようにやり切ってほしい。

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