コミュ障で社会に適応していない私が今までの人生を振り返る壮大な自分史(25)
最近趣味のことばかり書いているので、そろそろ自分史シリーズに戻っていきたいと思います。
高校生になってから数学を諦めて政治経済の勉強にのめりこんだことを書きましたが、実は現代文も得意科目と言っていいほどの好成績を残していました。
趣味史でも書いたように漢字だけは得意だったのですが、文章を読み解く問題について得意だという意識はありませんでした。
現代文が得意という自信
現代文に得意意識を持ったきっかけは、高校に入って最初の定期試験でした。得意の数学だけは絶対に1位を取ろうと意気込んで臨んだのですが、数学の結果は1位と4点差の3位でした。2位とはわずか1点差であり、項と係数の意味を理解していればあと2点は取れていただけに悔しさが残ります。
しかし40人中3位と言う結果から、進学校でも数学なら勝負できるという手ごたえをつかむことができました。
本題はここから。現代文が返される段階で、他の科目はすべて返却されていました。
驚くことに、現代文以外のすべての科目で1位を獲得した人物は同じ人間で、クラス内ではさっそく伝説と化していました。
いよいよ現代文の時間。講師が1位の点数を黒板に書きだします。
その点数を見たとき、自分かもしれない、と根拠のない予感を抱きました。
講師が私の名前を告げたとき、詳しくは覚えていませんが、嬉しいような照れくさいようなよく分からない感情がこみ上げた気がします。
ちなみに現代文の2位はレジェンドで、たしか1点差だったと記憶しています。
これまで国語に対して得意意識も苦手意識もなかったのですが、このテスト返却をきっかけに意識が変わりました。
クラスからもすごいやつだと認識された気がします。
理系クラスで国語が好きになったきかっけ
もちろん、実際にはそこまで現代文が得意だったわけではありません。
理系の人が大半を占める理数科の中で、相対的に点数が取れただけなのです。その証拠に、国語の点数上位3人は毎回固定されていました。私、レジェンド、のちに青山の文系学部に進む人というメンバー構成です。
残念なことに、これ以降国語の点数で1位を取ったことはありません。トップ3には入れましたが、トップは青学文系かレジェンドというパターンが多かったように思います。
国語(現代文)との関係
大学時代、恋愛を題材にした短編小説を書きました。
小学生のころから読書が好きでいつか本を書いてみたいという思いがあり、大学生の時間があるタイミングで形にしました。小説を完成させるまでの過程や反響については、別の機会に書こうと思います。
新卒で入った集団塾は理系講師として入社しました。しかし、文系講師が不足していた関係で国語を担当することになりました。
さらに、現在の会社でも高校生に現代文の指導をしています。
何となく解く現代文
ちなみに、高校時代には現代文の解き方について確固たる基準を持っておらず感覚で解いていました。そのため、模試を受けるたびに正答率にばらつきがありました。
実は、高3を指導している今でも現代文の解法を心得ているわけではありません。
正直、その場のノリで指導している感さえあります。
用意した問題の解答とその根拠を教える表面的な指導しかできなかったことを、心の中で申し訳なく思ったりしています。
・小学生で漢字と読書を好きになる
・高校で定期テストクラス1位になる
・大学で小説を書く
・集団塾と個別指導塾それぞれで国語を指導する。
今までの人生を振り返ると、数年おきに国語のことを好きになっている気がします。
国語に瞬間的にハマったことはありませんが、その分長い期間にわたって国語を楽しむことができました。
英語教育の前に国語教育が先
個人的な考えにはなりますが、小中学生に英語教育をする前に、まずは正しい日本語を読んで書けるようにするための教育を進めるのが先だと思います。
日本語で論理的に思考できる能力を身につけてから英語を学ぶのが順序と言うものではないでしょうか。もちろん、中国語でもいいですし、ヨーロッパの言語を学ぶのもありでしょう。
相対的に得意なことを頑張るという選択
おそらく、高校で理数科に入っていなければ国語を好きになることはなかったでしょう。たまたま相対的に国語が得意であっただけで、文系クラスに入ればもっと国語が得意な人はたくさんいたでしょうし、40人中10位くらいの成績であれば国語が得意と言う意識はわかなかったと思います。
理数科に入ってたまたま1位の点数を取ったことで国語が得意と言う意識が芽生え、国語を好きになりました。皆さんも、相対的に得意なもの、周りの人に比べてうまくできることを究めてみてはいかがでしょうか。