慶応理工生が40日で私大医学部へ②
僕は、幼少期からとても恵まれた環境で育ちました。
親は、程よく放任主義で程よく教育熱心でした。
父親は開業医で母親は専業主婦、兄と姉がいて現在は二人とも医者をやっています。
僕は、何不自由なくネットやテレビを使用してるうちに、ぼんやりとした「中心地・東京」に対する憧れを抱くようになりました。
そして、非常に短絡的ではあるのですが、東大を2度受験し、落ちました。
そして完全なる滑り止めの慶応理工に進学しました。
僕にはADHDのような”変人基質”がありますが、何を勘違いしたか、いろいろ身の丈に合わない活動を慶応生活のスタートダッシュとして始めました。
・授業が同じクラスの女子に、ほとんど絡みがないのに告白してみたり。
・テニスサークルに入って、今思えばダルい飲み会に何度も通ったり。
・そこそこの体育会系の部活に入部したり。
・軽音サークルに夏から入り、三田祭(学園祭)でライブしたり。
・そのバンド組んだ女子に振られたり。
・居酒屋バイトしてみたり。
結局、クラスの女子とは気まずすぎて授業どころではなく、テニスサークルは夏前に辞め、バイトは3日で辞めました。
一方で、体育会系の部活に関しては2年の秋まで継続でき、一緒にヨーロッパを旅できる仲の友達も当時はいました(後述)。軽音サークルでは、今でも友達が二人います。
そして、学生の本分である、学業についてですが、
完全にやる気はありませんでした。
東大受験で培った貯金を切り崩して2年に上がり、気付けば、何の興味も分かない、「電子工学科」という所に属していました。
そして、延々とやる気のない僕は、同じクラスに友達もおらず、部活の同期と、サークル時代の数少ない友人と時間を過ごしていました。
そんなときに、部活の同期がスペイン旅行に一緒に行く人を探していたので、参加することにしました。
この旅行が慶応を辞める最初のトリガーとなったと今では思います。
スペインのカタルーニャ美術館に行き画像のような景色を目の当たりにしました。
すると、なぜか自然に涙がこぼれました。
地元よりも、東京だのスペインだのと好きこのんで来たのに、親から死ぬほど距離的にも心理的にも離れてしまっていて、死ぬほど寂しさを感じたからです。
もうとり返しがつかないんだろうと当時は思いましたが、なぜか医学部に通うことで取り返しがついてしまっています笑