【コラム】ガサツ人間のための、ゆるゆる美術鑑賞のススメ
毎月1回は美術館に足を運ぶようになって3年、ようやく「趣味は美術館巡り」と言えるくらいになってきました。
しかし3年前までアートには全く興味がありませんでした。ゴッホとピカソは「ゴッホ・ピカソさん」という一人の画家とすら思っていたような門外漢でした。
そんな僕でも美術館を趣味として楽しめ続けているのは、自分の中で鑑賞のハードルをぐんと下げて楽しめるようになったからです。鑑賞に、特別な知識も感性も使っていません。マジでゆるゆる観て楽しんでます。
そんな感じでも長く続けていると、「独自の視点を見つける」という力がちょっとずつ付いてきて、これホントに仕事のマーケティングでもnoteの物語づくりでも、役に立ってきてるんです。ほんとです。「良いものに触れ続ける」って最強の教育なんだなー、って実感してます。
そんな感じで、ゆるゆるやりつつ力にしていく僕なりの鑑賞方法を、今回はお伝えしたいと思います。
①「7日連続美術館巡り」で開眼した、美術館の楽しさ
アラサー独身男の大型連休は退屈です。
かつて一緒に旅行とか行ってくれた友人は家族を持ちはじめ、残された僕は「一週間も休みいらんなあ」と贅沢な文句を言いながら、昼夜逆転暴眠暴食の怠惰な連休を送っていました。
さすがに「これじゃいかん!」と思い、一人で逞しく連休を過ごす決心をしたのが3年前のお盆。僕の美術館巡りはそこから始まりました。
「広告の仕事をしているんだからアートくらい分からねば」とは常々考えていたけど、ずっと行動に移せていなかった。だから、いい機会だし「半強制的にアートを刷り込むお盆にしよう」と考えたのです。
そうして連日美術館に行きまくり、結局7日間の休みで9箇所を回りました。
一番良かったことは、なんだかんだで美術館が楽しくなったこと。3年経った今でも通い続けているほどなので。
連休中に美術館を巡り続けることを課したからには、苦痛の日々で終わらないように「いかに楽しむか」をあれこれ考えました。それが良かったようです。
そうやって珍しくも半強制的に美術館巡りに開眼した僕の、「圧倒的にハードルの低い美術館の楽しみ方」を今回はお伝えしたいと思います。
最近いろんなアート入門書が出ていますが、そのあたりの本も結構ヒントにしています。
②「美術館の作品には”何か”がある」という前提を持つ
世界には幾多ものアート作品があって、その中で美術館に展示されるものは、ほんとうに極々一部。プロ野球でいう2000本安打達成者くらいのトップオブトップたちです。
だから何かはあるんです。その作品が良いとされている理由が、何か。
これを前提として持って、美術館にある作品をまずは信頼することをお勧めします。「実は駄作でしたなんてことはないはず」と信頼して飛び込むのです。
そして美術館では、その「作品が持つ何か」を見つけることを目的にします。ここで大事なのは、正解を当てる必要はない、ということです。
というか僕には「正解」を当てられないんです。
当てられたら面白いだろうなとは思います。でも当てようとすると、作者や時代の背景などいろんな知識が必要になります。それは僕にはありません。ゴッホとピカソの区別はさすがにもうつきますが、それ以上は未だにからっきしなので。
だから当てるのではなく、「何か」を自分で勝手に決めてしまう、そして勝手に納得して楽しむ。僕は美術館をそういう場所だと思っています。
「冒涜だ!」「邪道だ!」と思う人もいるかもしれませんが、『13歳からのアート思考』などいくつかの本でも同じような考え方が結構書かれています。そんな心強い援護射撃もあり、「これでいいんだ!」と今は結構納得しています。
「勝手に決めていい」と考えると、気持ちも楽になります。音声解説のレコーダーを借りるか迷うこともない。そんなもん要らんのです。
次は、自分なりの”何か”をどうやって見つけるか、です。
③勝手に「問題」をたててしまう。
「天才!」「神の子!」なんて誰も言ってくれないモブ人生を生きてきました。だから僕はアートを前に立っているだけでは何も降りてきません。圧倒的音信不通です。
そんな僕がアートを楽しむためにいろんなヒントを得てたどりついたのが、「勝手に問題づくり」でした。
例をあげながら説明します。
作品を見ながら、ものすごく簡単でいいから疑問点を出してみます。
例えば、国立近代美術館の常設展に置いてある、岸田劉生の「道路と土手と塀」。長いので「土手」とします。
(近代美術館は現在撮影OKなので選びました。決して盗撮ではないです。マナーは守りましょう)
この作品への疑問は、「え?なんで土手描いたん??」とかでいいと思います。
次に、同じフロアにある藤田嗣治の「猫」。
これも疑問はシンプルに、「猫めっちゃ喧嘩してるやん。どうした?」にしましょう。
ほんとこんな感じの疑問の持ち方でいいと思ってます。そしてこのアホみたいな疑問を、問題として設定して絵を観ていきます。
・「土手」の問題:どうして作者は土手を描いたのか。
・「猫」の問題:どうして猫は激しく喧嘩しているのか。
こんな感じで問題を立てると、一つの作品を見る目的が生まれます。
そしてぱっと見で思いつくような疑問は作品の主題に関わっていることが多いので、それと繋げた問題を考えることで、自分なりの「何か」に十分たどり着けると思います。
④アートの中の全てをヒントにして、「何か」を考える
さて、作品に対して、勝手に問題を設定しました。ここからどう考えていくかです。
先ほど、「美術館の作品を信頼しましょう」とお伝えしましたが、それと同じような感覚で、作品に描いてあるすべての要素を信頼してみる。そこから出発しましょう。
これはどういうことかというと、例えば100×100cmくらいの割と大きめの絵の中で、3cmくらいで小さく老人が描かれていたとします。こんな小さな老人に意味はあるのでしょうか。
僕は、その老人にも何か意味はある、と思います。
なぜならそれは写真じゃないので、「いつの間にか入り込んでいた」ということはないわけです。
100cmの中の3cmといえども、作者は筆を動かして数分間はそれに集中したわけです。しかも美術館に飾られるような巨匠。何も意味がないわけがない。
そうやって考えると、先ほどの「どうして土手を描いたのか」という問題に対しても、絵の中のすべての要素がそのヒントとなり得るのです。
これは僕が鑑賞時にiPhoneに入れたメモです。
この時は、手前の方に描かれている溝が筋肉の筋みたいに見えなくもないなと思いました。
そう考えると全体が筋肉モリモリの男に見えてきたので、これは非生命の持つ生命力みたいなものを描きたかったのかな?と考えたのです。
同じように「猫」のメモです。
「土手」に引っ張られてまた「生命力だ!」というオチになっていますが、それもそれです。
これは絵に近づいてそれぞれの猫を見てみると、「思ったより喧嘩じゃなくね?」と思ったところから考えました。
という感じで、自分で勝手に問題を立てて、勝手に答えを決めながら鑑賞しています。
これらが合っているのかはわかりません。すみません調べてもいません。
でも自分なりの何かを決めたことで、自分の中でこの絵の意味が生まれて、ずっと心に残ります。それが楽しさになると思っています。
ちなみにメモをわざわざ取る必要はないと思います。僕は半年後くらいに見返すと面白いので、ざっとメモを残しています。頭の整理にもなりますしね。もしメモ好きの方なら試してみてください。あくまでハードルは上げすぎないように。
また追加でお伝えしておくと、すべての作品をじっくり鑑賞する必要はないと思います。ザッと観て気になった作品だけでいい。それ以外は思い切ってスルーです。じゃないと「立ちっぱなしでしんどかったー」という記憶だけ残って、次また行きたいと思わなくなります。
学校の課題でも仕事でもなく、あくまで自分の金で自分の楽しみのために行っているので、「めんどくせえ」と思うことはしなくていい。これ大事です。
という感じで、意外とハードル低く美術館が楽しめるということが伝わりましたでしょうか。
ただこれはあくまで僕の個人的な考えなので、もちろんきちんと背景や歴史含めて美術と向き合いたいという方は、正統的なアプローチをすべきだと思います。その辺りは自己判断で。
日本は美術館めちゃくちゃ多いですからね。しかも入場料は大体2千円もしないので、美術館巡りが趣味になると一気に休日の楽しみが増えますよ。
参考文献:さらに気になったら読んでみてください
「13歳からのアート思考」末永幸歩著
「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」岡崎大輔著
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