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【エッセイ】そういえば僕ら、漂流民をやめたんだった
ここ数週間、引っ越しを考えていました。
上京して墨田区に越してきたのが6年前。金もなく、東京のことも分からずに選んだマンションに、結局6年以上も住み続けました。築40年以上でオートロックもない、くたびれた昭和のマンションです。
この家は嫌いではなかったけど、あの頃より東京も詳しくなったし、何より給料もきもち増えたので、そろそろ少しいい家に越すのもいいかな、と。
そうやって新天地を探し出したんですが、
結論、引越しはまだいいや、と思い至りました。
わかっちゃいたけど、東京の家はたけぇ……
「え、キレイだけど狭っ!これで12万?!」とか、
「礼金2ヶ月って何?私利私欲もっと隠せよ!」とか、
理不尽だらけでどっと疲れた。
とにかく、今よりちょっと良いレベルの生活に移るために、スクーター2,3台分の引越し費用を出さなきゃならんことにうんざり。一旦ゆっくり考え直すことにしました。
さてどうしようかと考える中で、少し前のベストセラー『サピエンス全史』の内容を思い出していました。
定住せずに移動しながら狩猟採取で暮らしていたかつての人類の方が、現代人よりストレスは少なかったかもしれない、と著者ハラリさんは語っています。
たしかに村落の生活は、野生動物や雨、寒さなどから前よりもよく守られるといった恩恵を(中略)もたらした。とはいえ、平均的な人間にとっては、おそらく不都合な点の方が好都合な点より多かっただろう。
ーユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史(上)』ー
人類は定住を選んだことで、増え続けるモノやすぐに崩れる生活衛生に気を使わないといけなくなった。積み重ねた暮らしを守るために働き続けないといけなくなった。循環しない人間関係にずっと神経を削らないといけなくなった。
マジで余計な事をしてくれたな、先人たちよぉ。
彼らが定住を選んだから、僕はいま、多大な労力と金をかけないと墨田区のボロマンションから離れることすらできないのだ。
人類よ、なぜに滞ることを選んだ!
……と、かなり変な方向に不満が向いていました。
うん、人類の定住化に対して僕が個人的に悩んだところで仕方あるまい。
狩猟採取だってそれなりに大変なことはあったでしょう。マンモスに踏みつけられても労災はおりないわけだし。
それに今も引越しが出来ないわけでなく、高いハードルを越えるのが面倒だと考えているのは僕自身です。
定住を選んだ人類社会で、うまく生きていくことを考えなければいけないんでしょう。
で、考えました。
体はここに滞らざるを得ない。
でも心は、滞って澱まないようにしよう。
僕の計画はこうです。
まずは、今の生活で無くても困らないものは捨てます。いわゆる断捨離。
そしてハウスクリーニングを入れます。6年間で滞って澱んだものを、徹底的にきれいにします。そしてカーテンを変えて、雑貨も選び直し、家具も一部買い替えます。
6年前の僕ではなく、今の僕の、今の感性で生活を描きなおすのです。
多少お金はかかりますが、引越しに比べたら安いものです。それで澱みがなくなるなら。
とりあえず、この前の週末に断捨離からスタートしました。捨てられない性格というのは分かっていたが、無印良品の紙袋や、年賀状についてくる日本郵政からの挨拶の紙まで残してて、さすがに呆れました。
60リットルのゴミ袋6個分の不要物を処理しました。これだけでも気分はかなり違う。
ここからの総入れ替え作業にも期待が湧きます。家は変わらないけど、新しい生活に向かっているワクワク感。少しずつ、詰まりが取れて、澱んでいたものが流れはじめた気がします。
何万年もむかしに、僕らは漂流の暮らしをやめました。かわりに家や集落を得ましたが、一緒に、要らない澱みや詰まりも請け負わなければならなくなりました。
いつでも帰る場所があることは大事。
でもずっと同じ場所に留まっていると、だんだん新鮮さがなくなっていきます。そうやっていつのまにか、毎日に満遍なくつまらなさがこびりついてしまう。
だからせめて、心だけは澱まないようにしたいですよね。日々、旅先みたいに生きたい。
引っ越し検討をきっかけに、暮らしをちょっと見直した6月でした。