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タスクシュートと割り込みと偶然の力

前回の記事を読んでくれた人から、ここはどうなってるの?聞かれたので今日はその回答を。ちなみに前回の記事というのは以下です。

「自分が全部やると思ってて妻がやってくれるのは、やるつもりのことをやらなくてよくなるという点で楽になるというのは何となく理解したけど、じゃあ逆にやるつもりじゃなかったことをやらなければならなくなった時はどうしてる?」

こんな質問でした。

やるつもりじゃなかったこと、これは要するに「割り込み」と言っていいかと思うんですが、僕自身は「割り込み」に対して可能な限りその場で対応しています。

ある日のタスクシュートをスクショしたものです。

この中でいわゆる「割り込み」は『大雉を撃つ』と『子どもたちに必要とされた』の2つです。

『大雉を撃つ』というのは絵文字が示しているようにトイレの大きい方でして、こればっかりは漏らすわけにもいきませんし、お腹が痛いという体の反応に答えないわけにはいきません。人によっては「割り込み」とは言えないと思うかもしれませんが、ここでトイレに行くことがタスクシュート上に書かれてはいなかったので。

もう一つの『子どもたちに必要とされた』ですが、この時はトイレに入っている僕に学校から帰ってきた次男が「新聞紙が欲しい」と言ってきました。雨で靴の中まで染み込んできたので、乾かすために入れておきたいとのことで。

これら2つのいわゆる「割り込み」はいずれも他者からの要望です。お腹が痛くなるのは身体から、新聞紙が欲しいと言ってきたのも次男から。

この要望にすぐに応えないという選択肢も確かにありますし、以前はそのようにしていたこともありますが、最近はこの「割り込み」にも意味があるんじゃないかと思えるようになってきて、逆に対応できることはすぐに対応しようという心持ちになってきています。

ここら辺の心持ちについては詳しく話すと長くなるので、また書きたいと思いますが、そもそも僕らが生きている日々の実際はこんなことの繰り返しじゃないかと思います。

やろうと思っていたことだけで1日が終わるなんてことはほぼ無いし、自分が考えていた理想の1日なんてのは崩れて当たり前、プラン通りに進んでいくなんてのは勘違いも甚だしいと今では思っています。

だったら、この「割り込み」という偶然はなんとか良い方向に活かしていけばいいわけで。

例えばこの日は次男くんと濡れた靴に詰める新聞紙を丸めながら少しの時間ですが楽しく会話しました。これは次男くんに新聞紙を用意してほしいと言われたという偶然、言い方を変えれば「割り込み」が無かったら起きなかったわけです。

そんなものは大したことない、偶然を良い方向に変えたなんて大袈裟だと思われる方もいるかもしれませんが、僕はそんな些細なことを大事にしたいと今は思います。

タスクシュートを使っていればこのように「割り込み」を良い方向に捉え、偶然の力を利用できるようになります。少なくとも僕はそう考えられるようになりました。

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