写真集に救われる人生_安達祐実「私生活」
どうも、とりです。「人生を変えた一冊」みなさま、お持ちでしょうか??私にはあります。安達祐実さんの写真集「私生活」です。ここで写真集を挙げるとよく驚かれます。確かに、小説や自己啓発本など言葉に溢れた本に比べて、写真集は娯楽の要素が強いものかもしれない。けれど、私は写真集によって生き方や考え方を学んできたし、自分自身を大きく変えるきっかけにもなったと思っている。だから「人生を変えた一冊」として堂々と安達祐実さんの写真集「私生活」を挙げます!!
写真集の感想文を書くことが好きなんですが、「私生活」だけは何度書いたことか分からない。noteにも書いていた。少し昔のなので、今以上に拙い文章で恥ずかしいのですが、気になった方は読んでみてくださいな。
今日は、私を救った「人生を変えた一冊」である「私生活」の感想を交えながら、写真集に救われるとは?みたいなことを私の経験を踏まえて書いてみようと思った次第です。
安達祐実「私生活」について
安達祐実さんの芸能生活30周年を記念して、安達さん自身が企画から制作に携わった写真集です。発売は2013年、集英社から。カメラマンは、現在安達さんの旦那さんでもある桑島智輝さんです。
この写真集に衝撃を受けたのは、まず「重さ」。私が今まで手にした写真集のなかでダントツに分厚くて重たかった。次に「毛穴」。アイドルやタレントさんの写真集ばかり見てきた私には衝撃的でした。 けれど「毛穴」が写されていたことによって、すっと写真を信じることができたし、私自身が変わるきっかけもこの「毛穴」にあったと思います。
私はカメラの前に立って、生きていることを許されている気がするのです。
約2年間、1万枚以上もの写真を撮りためたらしく、楽屋や安達さんの家、入院中の病室の中まででも撮っておられます。「私生活」はドキュメンタリー的で記録的な写真集なのです。上記は写真集にある安達さんの言葉で、私がとても影響を受けた言葉です。その後も、安達さんや桑島さんのインタビューを読んで、お二人を繋ぐ"撮る"という行為が持つ意味を感じ続けました。すると、存在という形、私という形が、ただここにあるだけなんだなぁと実感できて、なんだか嬉しくなるのです。
女優として、女性として、人間として、形として、着飾っても脱ぎ散らかしても安達さんで、写真に写る全ての安達さんが本物だと信じられる。「私生活」はそんな写真集なのです。
生きる価値がないと思ってた日々
少し私の話をします。かつて私は、とにかく自信がなかったのです。自分の考え方にも、言葉にも、容姿にも、表情にも。だから昔は写真がとても嫌いで、カメラ向けられたら余計に笑えないよ、なんてムスッとしてしまっていました。今はそんな過去も面白いんだけど、それらはずっと見返したくない写真たちで、捨てちゃった写真もあったりします。
そして自信がないから、自分の意見を発信することが苦手でした。思ったことを素直に言葉にしてしまう性格なのですが、私が発言したことに対してあまり共感してもらえないなと思うことが多く、どんどん自分の言葉に自身を失うようになりました。女の世界は特に共感の世界だから、みんなが「わかる!」と言ってることがわからない自分は存在価値が非常に低い人間だと思い込むようになっていきました。
暗い話はサッと終わらせますが、存在まるごと消えてしまいたいと思い続け、20歳のときにはうつ状態になったりもしました。自分がいなくても、世界は回る、だったらいらんやん……と。今思えばそりゃ世界は回るだろうよとなるけど、当時は本気で病んでたのです。。
そんな暗闇を生きていたときに「私生活」をたまたま購入しました。直感でタイトルと表紙に惹かれたことがきっかけで。安達祐実さんについて、当時はまだそんなに詳しくなくて、子役から活躍している若くて可愛い女優さん、みたいな印象だけだった気がします。だから、安達さんが好きで買った写真集ではないのです、実は。(今は大ファンです)。
「私生活」に救われた話
冒頭にも述べた通り「毛穴」が印象的で、それはとても重要で、もの凄く優しいものでした。安達さんという存在が、今を生きている形で、肉で、皮膚であることを示していて、私と同じく脆くも強く生存する人間であることを感じられたからです。
「私生活」の中の安達さんは、私が言うのも烏滸がましいけれど、オーラがなく、生きている感じがまるでしない人でもあるし、時に全力で、大地とともに生きている人でもありました。大きく笑った日や、大きく泣いた日があったとしても、次の日になればまたいつもと同じ日常が続いていて、そんな普遍さに頭が痛くなるけど、それでもその日をひとつ飛ばしすることなんてできないから生きるしかない。私が感じていた、感情の振れ幅や、生き続ける日々の虚しさを表現してくれているみたいで、涙が止まらなかった。私にとって、何よりもダイレクトな共感があって、支えとなったのです。
素直な言葉を吐いて、素直な表情をして、手が動くまま、足が動くままに身体を使って生きることって素晴らしい。それを写真に撮るという行為が生きた記録を残すことで、自分の存在を示すことに繋がる。私は私のままの言葉で、私のままの表情で、全てが私の生きた記録となるのだと、そう思えたことで写真に撮られることが好きになりました。どの一瞬も逃さずに、捉えていてほしいとすら思うようになりました。そして次第に、自分の言葉にも自信が持てるようになったのです。
写真集が人を救う
私にとって、悩んだり、悲しんだり、悔しがったり、喜んだり、楽しんだりする感情が、あらゆる人の中にあって、日々を目まぐるしく動かしているということを心から理解するきっかけとなったのが写真集です。そしてそれは、私自身の醜い姿やネガティブな感情をも含めた全てを肯定してくれているものでもあります。
写真はどんな言葉よりも素直で事実に忠実。中でもポートレートと呼ばれるものは、人が生きたことを証明する、優しくも頼り甲斐のある表現。だから、人を救う力があるし、私も救われたんだと思います。
そう思うから、やっぱり私はステキな写真集を広める文章を書きたいし、現代を生きる人々の些細な感情を肯定してあげたいなと思うわけです。
まとめ
思いつきで駆け足で書いてしまいました。たまに無性に感動したり、泣きたくなったりすることがあるんだけど、そんな時は「私生活」を手に取ります。その度に違った感情が湧き出てくるから、多分また「私生活」の感想文は書きたくなる。何回書いても、これが全てだって言い切れない奥深さがあるから、写真は面白いですねえ。
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