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かつてテラスハウスで一喜一憂した私たちへ
「私たちは、シュンにならなければいけない。」
かつてテラスハウスをリアルタイムで追いかけ、その様子に一喜一憂していた、私(現在東京在住)、そして親友(現在関西在住)の”私たち”はそう言うのだった。
この言葉を、その当時の私たちが聞いたらまず理解ができないであろう。なぜなら、あまりにも人間を表面でしか見ていなかったからである。一人一人の発言・行動を深くまで見ずとやかく言う。なんて愚かな人間だったのであろうか。
テラスハウスの最後のシーズンの配信から4年。今私たちは、「ボーイフレンド」を観る。
私の話
4年。この間にいろんなことがあった。ちょっとありすぎちゃったのかもしれない。細かいことは割愛するが、4年という時間の中で私の支えになったのは、他でもなく”ゲイコミュニティー”である。時に親友としてあたたかく受け入れてくれ、時に赤の他人を超えて透明な存在にしてくれる、大きな大きな器に精神を支えてもらっていた。
そうする中で、コミュニティーの中で友達がたくさんできた。そんなこともあって、最初はちょっと戸惑った。コンテンツの一つとしていいのか、戸惑っていたら、みんなキャッキャしながら観てたから、拍子抜けした。
男女という関係に縁がない(筆者はストレートである)人生なので、改めて男女としてのあり方を冷静に、とても丁寧に考え直していた最中のコンテンツでもあったため、それを観る目はもうかつての私の目ではなかった。
親友の話
私をコピペしたような彼女。こうも馬が合う人間は他にはいない、なぜお前は男じゃないのか、老後に互い独身だったらパートナーシップ制度を利用しようと顔を合わせては話す仲。
まあそれは地に足つかない女なので、イギリスにワーホリに行って帰ってきたかと思えば、知らん国の男と付き合ってる(これが後に大事件になる)
私たち
お互いに(主に男女関係で)疲弊していたのは確かだった。
まず、「ボーイフレンド」を先に観たのは私。1話だけ観て何かしらの感想を伝えようと思っていたが、気付けば最終話が終わっていた。大急ぎで連絡したけど、何も言うことがないのが正直なところではあった。言うことが無いというか、言うべきでは無いというか、言いたくないというか、、、、、???という気持ちを伝えたら、彼女はすぐ理解してくれ、観ていたIWGPを途中で辞めて観てくれた。
数日経って、彼女に会いに行く約束をしてたのでその夜強制的にほぼ最後まで観させた。やはり感情は直接会って現場で共有した方がいい。
その場でも、これまでの私たちだったら、こいつがあかんとかそれはないわとか言うてたけど、今はもう、まあ、そう言う人間もいてるよなあ。と一旦受け止められる器ができたよな、と言う話をした。
「ボーイフレンド」それは恋愛の教科書ではなく人間の教科書でした。