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カモネギ彷徨記スタートに寄せて

1週間のインフル渦にまみれていた。病児保育という変則的な保育体制と外勤が続いて,ワンオペ主婦ワーカーが倒れずになんとか乗り越えられたことに自分を称えたい。

日常は常にいろんな出来事が起きて,変化することが前提だ。それが生きるってことだ。いちいち,動揺していたら,身が持たない。

だけども,脳って奴は(=体),一度,神経回路(ニューロン)ができたら,書き換えが容易ではない。

せっかく,新学期を乗り越え,2学期を乗り越え,3学期をスタートさせた2019年度の後半。こうして予期せぬインフル渦が襲来すると,ルーチン化していた(習慣化)日常がとたんに非日常に変化する。

その変化に耐えうるためには,もちろん,夫と子どもの頑張りが前提。なのだけど,日本のお母さんはただでさえワンオペでさらに,求められることが多すぎる子育て状況なので,自分で自分を奮い立たせ,修正し改善していかねば何事も始まらないのだ。

この修正は,頭の中でシュミレートしたイメージをどう,現実の行動に落とし込み,そして,不具合を見つけて,整えていくというビジネスの基本,PDCAサイクルだ。

P Plan 計画
D do 実行
C check 評価
A action 改善

これ,仮説検証型の心理学実験計画と一緒で,ざっくりいうと,行動を数量化する量的な研究というワケ。

仮説 
方法
実験実施結果
考察

わたくしはこの流れを訓練されてきているので,どうも,1人の症例から丹念に分析する質的な研究というものはよくわからない。

でも,日常で出会う出来事というのは,量的な考察を得るよりも,圧倒的に質的な考察を得るものが多いだろう。そして,その人にしかわからない気づき,つまり,心理学用語でいう,経験をさらに昇華した洞察をもたらすだろう。

と,硬いことを書いたけれど,要するに,心理学用語で理論武装したけれど,

実際は「また!へんなことに首を突っ込んで!」と,弁護士であるオットー先生に呆れられ,「俺,もう知らないよ」と毎回言われる,トホホなカモネギ話をつづりたいのだ。

カモネギ

それは鴨が葱を背負って来る,という,非常に騙されやすい人たちのことを指すスラングだ(違うか)。

上述のように,わたしは,心理学実験をする学者だけども,一方で,自らが飛び込んで体験するフィールドワークという手法が多い社会学も好きである。だって,社会学と心理学は非常に近い,学際的な分野だから。

それでもって,こうして長ったらしい文章を書いちゃうのも,ヲタクである学者ならでは。ヲタクは無用に話が長いのだ。

今でも思い出すが,新入生歓迎会で「わたくしのおひたち」という主題で,他の教授たちが3分スピーチをするなかで,心理学者としての軌跡をつらつらと20分間語った教授がいた。

助手さんたちが絶妙の合いの手で,先生を中断し次へ繋げたけれど,そういう「空気を読まない」ことが学者を学者らしくしているのだと思う。

こういう変な人が学者だから,自分で体験したい!という学者は洋の左右を問わず,ウヨウヨいる。特に,社会学フィールドはざっくざくの豊漁だ。

というわけで,前置きが長くなったが(学者だから短くするのは無理だ),これから,カモネギ彷徨の記録を書くことにする。

カモネギ歴は,年季が入っているから,たんまり書く材料はあるのだ。

いわば,わが身の恥部の歴史であるが,それを「彷徨記」という質的研究に昇華させれば,恥は恥でなくなり,失敗は失敗でなくなり,宝となるのだ!

おお!なんと宝の多いことか!

経験は宝なのだ!

そして,出来事を出来事で終わらせず,経験として活かし,成功へのタネとすればいいのだ。

という,非常にお気楽で,前向きどころか,成層圏をぶっちぎって宇宙に飛んでしまっているような突き抜け系のカモネギ記録を始めます。






論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。