親の役目と罪悪感
週末の小春日和から一転、今日は小雪が舞う日。
先日出会った、4月から小学生になるという女の子が
リアルジャイアンすぎて、引いてしまったと言う話。
他の子供の遊んでいる道具を、無言で取り上げてニヤニヤ
困る様子を楽しんだり、無理矢理自分のしたい遊びに引っ張ってきて
強制して遊ぼうとしたり、自分の欲望が満たされないと、一方的に
怒る、叫ぶなど。
リアルジャイアンというか、いやいやジャイアンの方が、
まだ可愛い気がしてしまうというのが率直な感想。
時折、子供たちの間に入りつつも、彼女の欲求を観察してみると
実はとてもシンプルで
「一緒に〇〇君と遊びたい」
「これがしたい」
「もっとしたい」
という至って、普通の子供らしい望み。
ただ、その表現方法がとても自己中心的に歪んでしまっていて
両親にも指摘されないまま、来てしまったよう。
他の人の気持ちが存在することを、認識できていないし、
今はいじめる側の立場だが、ゆくゆくはいじめられる存在にも
なりかねない。
親は子供を叱ることが、大切な仕事だと思う。
「愛し愛される存在」になってもらいたいと
願うなら、なおのこと、そのズレに気づかせて
あげること、愛しているからこそ叱れるということ
を思い出して欲しい。
共働きの親御さんをみていて特に思うこと。
それは、普段相手をしてやれない罪悪感が根底にあり、
一緒にいる限られた時間は温和に過ごしたいことから、
叱ることを後回しにしている。全員ではないとは思うが。
叱ることは、無限の愛情を持っているからこそ出来ること。
親が怒らないでどうするんだ?
本当に子供のことを思うなら、道からそれた時は責任持って
叱るという親の役目を果たすことに成長の喜びを感じてほしい。
なんでもかんでも、お金で買えるサービスに頼ってる場合ではないよ。
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