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正解が欲しいあなたへ送る手紙

正解という言葉がある。

正解ー正しい解答、または解釈

と辞書にはある。


僕はすごく正解が欲しい人だった。

どこかに正解があると思っていた。

「こうすればいい」

「こうするとうまくいく」

万物にそういうものがあり、成功している人はそれらを知っている人だと思っていた。


そう思って、僕は多くの時間を正解探しに費やしていた。

本を読むことも当時はそうだった。

音楽にも正解があると思い、たくさんの教則本(ギター用のテキスト)を買ったりした。

仕事についても「こうあるべき」を常に探していた。


でもそれはあまり意味のある時間ではなかった。


学生時代の僕はあまり成績の良い方ではなかった。

学校というシステムも、勉強も面白いと思えなかった。

ただ家に帰れば好きな本を読み、PCに向かい知らない知識をたくさん調べていた。

当時は今ほど情報は多くなかったが、インターネットの世界は僕に可能性を見せてくれた。

その行動の意味することも、ただの暇つぶしか、よくても趣味程度にしか思っていなかった。


何故ならそれは学び方や学ぶ事の目的を知らなかったからなのだ。


僕が学び方や学ぶ事について真剣に考えたのは社会人になってからだった。


結論から言えば正解はない。

ただもしあるとすればそれは自分の中にしかないのだ。


自分を見つめる事。

それを人は「考える」と名付けた。

その考えるための糧になるのが知識を学ぶ事である。


学ぶ事はこれまでの歴史や様々な学問など幅広い世界に触れる事。

それらはすべて過去の「考えた人」たちが作り出したものである。

世界に触れ、考えた人に触れ、そして僕たちは自分に返ってくる。

結局最後は自分の心で考えるしかないのだ。


先日のnoteで感情と理性について書いた。


感情は心で考える事。
理性は頭で考える事。


大切にしたいのは心で考える事。


どう感じたか。

どうしたいのか。


もしどうしても正解という言葉にこだわるなら、

あなたの思う、こうしたい。

それが正解なんだと思う。


それは思いつきでもいいと思う。


結局自分が納得して動いた事は後悔しない。

もちろん落ち込む事はあるかもしれない。

でも結局その時できる事は反省することだけ。

次に活かせる。




僕も失敗することが多い。



原因は色々ある。

視野が狭かったり、

偏った考えを持ってしまったり、

なんとなく勢いで行動してしまったり、


でもそれはすべて自分の経験として血や肉となる。

納得行かない時もある。

腹が立つこともある。

それも一つだと思う。


そんな時はまずはゆっくり自分を見つめよう。

それが辛いなら誰か信頼できる人に気持ちを話せばいいと思う。


僕も今月はたくさんのトラブルに見舞われたけど、

いつも誰かが手を差し伸べてくれた。

今は楽しくこのnoteを書いているよ。



だから焦らず行こう。

知らない誰かの正解ではなく、

あなたのしたい事をすれば良い。


無理せずで。

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