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この行為に意味はあるのか


こんにちは
みなさんお求めのカルロ•スコーンです。
noteに投稿し始めて1週間が経ちました。
その結果感じたことをお話しさせていただきます。
耳かっぽじって鼻くそ食べながら聴いてくださいね。

20歳前になんとなく文章を書いていました。
本当になんとなくです。
小説のような、詩のようなものを。
スカパラの「美しく燃える森」の歌詞が好きで、似たような恥ずかしい詩を書きました。
誰かに読んでもらおうとか何も考えず書きました。
それから小説も書き始め、自覚できるほど、ぐんぐんと文章力が上がりました。
ちょうど仕事を辞め、家でごろごろしていたので時間だけはありました。
何もしていないという気恥ずかしさを埋めるため、作家になった気分で書いていました。

ただある日、1日かけて30文字しか書けなかった日がありました。
書いては消しを繰り返して30文字です。
その30文字も、次の朝には気に入らなくなり全て消しました。
それから何も書けない日々が続きました。
原因はただの完璧主義です。
上がっていく文章力とそれに対する美意識。そして審美眼とのギャップです。
うまい言い回しが書けなければ駄文。
そこには、尖り散らしたクソニートのカスみたいなプライドが落ちていました。

「苦しんでいる時が成長期!」なんて安い自己啓発も当然効かず。
成功も知らない状態でスランプに陥りました。
果たしてそれが正当なスランプと言えるのかは分かりませんが。

それから少しずつ飽き始め、結果書くのを辞めました。
その残骸は未だにパソコンに眠っています。
未練がましく時折開いては、少しだけ編集して、でもすぐ飽きて閉じます。

noteに投稿しているのはその時の物ではありません。
いつか完成させたいなと薄らと思っているのですが、同時に、もし書き終えたら私は2度と文章を書かなくなるなとも思います

そんな過去を引き摺りながら、暇つぶしでnoteを始めました。
正直人の作品は全然読んでいません。
ちらっと読んだ詩が、ゼロ年代J-POPみたいで鼻についたので読みません。
不思議なことに、そんな詩を書いている人でもフォロワーが何万人といて驚きました。

でもすぐにこのカラクリが分かりました。
Xやインスタと同じで、もしくはそれ以下かもしれませんが結局内容ではなく「相互フォロー」とかいう謎文化でした。

実に最低で最高な文化です。

純真無垢に創作活動をやっている方々もお見かけしますが、そういう人に限っては能力が追いついていない。
悲しき事実でございます。

ただ絶望してはいけません。
現実とブサイクな自分なんか見つめちゃいけません。
唾吐きかけてよきです。

今は、設定とモチーフさえあればAIで文章でも音楽でも画像でも生成できる時代です。
知っているか、知らないかの差が激しい時代です。
こうして少しずつ技術は進み、専門性が廃れ、健常者と非健常者の差も埋まり、国境もスキップで越えれるフラットな時代が来るのでしょう。

そんな時代でも、自分で考えて1からモノづくりをする人たちにリスペクトを送ります。

それでいいのです。
文章が下手でも、いいねが貰えなくても、フォロワーが増えなくても、コメントがつかなくても。
それでいいのです。
自分の力で1から作った物がある限り、あなたは充分に作家です。
誇って良いのです。素敵なのです。
なんならチューしてあげます。

読まれなくたっていいし、鼻で笑われたっていいのです。
不貞腐れて書いてもいい。納得できない物になってもいい。
色々な指標で誰かと競い合わなくていいです。
作ることに意味を見出せなくたっていいです。

ゼロ年代J-POPみたいな詩を書いたきみ。
それでいいのです。
人に読ませる文章なんて書かなくていいです。

いつかログインパスワードも忘れた頃に、ふと残骸を見返して笑えればいいのです。
感動なんてものは自分1人で噛み締めれれば充分です。

こんなクソみたいな数々の指標に怯えず、ただただ楽しい日々をお過ごしください。

ー「大谷の裏アカ」こと、カルロ•スコーンより愛を込めて。ー

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