移動記 202408(前編)
延べ11日にも及ぶ移動(断じて旅行ではない)についての記録。長くなりすぎたのでまずは前半のみ。
8/8(1日目) 小倉→広島:青春18きっぷ
仕事を定時で片付け、帰って支度して最終の乗り継ぎで広島へ。この日はこれといってイベントなし。
中心部までシェアサイクルをかっ飛ばし、グランドサウナ広島というサウナカプセルに宿泊。以前ニュージャパンEX(同じくサウナカプセル)を利用したので今回は別のところにしてみたが、あんまり綺麗じゃなかったのでリピはないかも。
8/9(2日目) 広島→熱海:青春18きっぷ
広電で駅に戻り、始発で行動開始。この日は元々宇都宮に目的地を設定していたが、南海トラフ臨時情報の影響で東海道線が一部区間で徐行運転しており、宇都宮まで辿り着けるか怪しかったため朝イチで宿を赤羽に変更。
姫路の乗り換え時間に姫路タンメンで昼飯。静岡からは平日青春18移動の特権であるホームライナーに乗りながら晩飯のあみやき弁当を頂くなど、順調に北上。寄り道して麺屋綴の限定でも食いに行こうかな……などと考えていたところ、沼津〜三島間で乗客のスマートフォンの緊急速報が一斉に鳴動。神奈川県西部での地震を知らせるものだった。
乗車していた列車には特に支障はなく、そのまま走行していたので影響については楽観視していたが、丹那トンネルを出るか出ないかのところで立ち往生。そして、車内アナウンスで線路点検による小田原〜熱海間運転見合わせの一報が入る。
とはいえ、この時点で赤羽までの終車にはまだ2時間以上の猶予があったため、「これじゃ綴には行けないな」ぐらいにしか思っていなかった。熱海到着後、先に運転再開した新幹線への振替を促すアナウンスに苛立ちながら運転再開を待つも、一向に再開の目処が立たない。
一人、また一人と諦めて新幹線に乗り換える乗客を見送っているうちに、赤羽まで接続できる時間はとうに過ぎ去り(宿泊施設は快くキャンセルに応じてくれた)、日付が変わる頃になってようやく、1:30ごろ運転再開見込みとの報せが入った。
8/10(3日目) 熱海→青森:北海道&東日本パス
結局熱海で5時間以上足止めを食らい、品川止となった列車は1:30すぎに出発。小田原まで徐行したこともあって、品川に着く頃には3:30を回っていた。
この日は青森からフェリーに乗ることが決まっており、始発から動きたかったのだが、品川駅周辺にシャワーが浴びられそうな施設が皆無。仕方なくシェアサイクルを浜松町まで飛ばし、謎のカプセルホテルでシャワーだけ借りて、京浜東北線の始発から北上開始。
東北本線のクソ乗り継ぎを順調にこなし、仙台でくろくの限定白河ラーメンを頂いたあと、小牛田行きに乗車。この時私はボックス席の進行方向に陣取ったのだが、ふと目が覚めると反対方向の座席に座っていた。
最初は思い違いかと思ったが、数分後、やはりおかしいと思い直し改めて確認すると、上り列車になっている。そう、寝たまま小牛田を折り返していたのだ。しかも、起きてすぐ降りていれば青森まで北上できたところ、数分気づくのが遅れたためにそのチャンスすらも失っていた。
折り返しでも起きないほどの爆睡の原因は、どう考えても前夜の「ムーンライトあたみ」だった。やり場のない怒りを覚えながらそのまま仙台に戻り、新幹線で一ノ関までワープして元の予定に再合流。
青森到着後は閑散とした深夜の駅前で吉牛を掻き込み、徒歩40分かけてフェリーターミナルへ。この日の寝床は2等船室のカーペット。3:30に叩き起こされるとはいえ昨日よりはマシかと思ったが、この船室が冷房強すぎでほぼ眠れず。
8/11(4日目) 五稜郭→旭川:北海道&東日本パス
極寒の船室と生暖かい空気の流れる甲板を行き来しながらフェリーをやり過ごして函館着。この時点で始発までまだ2時間半あるため、徒歩1時間かけて24時間営業のスーパー銭湯へ。温泉とサウナで時間を潰し、朝食のやきとり弁当を購入して五稜郭駅から移動再開。
ここでは乗り潰し目的で藤城支線・砂原支線経由の始発に乗車。この乗り潰しがなければ乗るのは8時台の列車でよく、フェリーも1本遅らせられた(つまり、仙台から一ノ関の課金も必要なかった)のだが、流石に今潰しておかないといつ潰せるか分からなかったので、この判断自体は間違っていなかったはず。
やきとり弁当は車内で食べようと思っていたが、隣のボックスに陣取っていた集団が全員同じものを食べており、なんとなく癪だったので蓋を開けぬまま終着の森駅へ。森では後続の長万部行きまで2時間以上あり、天気も良かったので、適当に海に出られるところを探して食べることにした。
後続の長万部行きは、前述の通り森から先へ行く普通列車の始発で、乗り潰し目的でもない限りは函館からこれに乗車すればよいため、森に着いた時点で長万部(ひいてはその先の小樽・札幌方面)を目指す青春18または北東パスの利用者でごった返していた。
どうにか座って長万部へ移動し、ここでまた2時間待ち。駅のレンタサイクルで温泉街へ移動して立ち寄り湯へ赴くも、あとから長万部まで同じ列車にいた集団が徒歩で襲来してあまり長居できず。セコマに寄ったり海を眺めたりして時間を潰したが、乗り継ぎ先の列車も同じ顔ぶれによる混雑が予想されたため、早めに駅に戻る。発車まで30分以上ありながら既に乗車列が形成されていたが、かろうじて着席。
山線を順調に乗り継ぎ、桑園からはこれまた乗り潰し目的で札沼線へ。終着・北海道医療大学に到着した時点で、JR北海道の全路線完乗を達成。その後は再び函館本線に戻り、旭川でこの日の移動は終了。
深夜の旭川ラーメンに舌鼓を打った後、24時間営業のサウナ・オスパーへ。あてにしていた仮眠室は埋まってしまっていたが、フリースペースの雑魚寝でもここ2日間の睡眠環境を考えれば十分すぎるくらいだった。
またこの日、日付が変わると同時に菅叶和さんの初のデジタル写真集「かんなとばかんす」が発売。特典のASMRを聴きながら読んでいたところあまりの疲労から寝落ちしてしまい、本人の発売記念(?)スペースを聞き逃すという失態を犯す。
8/12(5日目) 旭川→帯広:レンタカー
道内の目的地が僻地ばかりだったので、この日からは鉄路での移動を休止し、レンタカーを利用。
8時に開く店で車を借りて、留辺蘂、呼人を経由して17時までに中標津の開陽台に着かなければならないため、時間に追われるドライブとなることを覚悟してスタート。
まずはずっと気になっていた幌加温泉湯元 鹿の谷へ。この施設は複数の源泉が引かれていて、なかでも露天の硫黄泉が評判なのだが、いざ行ってみるとえげつない数のアブが発生していて全然ゆっくりできず。ちなみに、口コミで噂されていた「ワニ」はそれっぽいやつが何人かいた。
続いて塩別つるつる温泉へ。ここは先日札幌で開催されたイベント「不思議の国の菅叶和」で、菅叶和さんが「以前北海道に来たことがある」とお話されたくだりで登場。その名の通りアルカリ性のつるつる(というかヌルヌル)した泉質。脱衣所でAqoursのライブTのオタクに遭遇したのだが、彼も空蝉だったのだろうか。
電源難に陥り、車を持っていないのにカーチャージャーを購入したりしつつ、続いては網走呼人のジェラテリアRimoへ。こちらはかねてから続けているアイス・ジェラート百名店巡りの一環。流石は人気店、炎天下で30分以上並ぶだけの価値はあった。
そして同じくアイス・ジェラート百名店の中標津・caffe kaiyodaiに向かうのだが、道中で先ほどまでの快晴が嘘のような視界不良レベルの土砂降りに。ヒーコラ言いながら車を走らせ続け、どうにか閉店30分前に滑り込んでミッションコンプリート。
はちみつソフトを堪能した後、薄暮のシカ多発地帯に怯えながら一気に帯広まで移動(キツネは何匹か見たが、幸いシカには遭遇せず)。今回の旅で唯一の普通のベッドとなるホテルアルムに宿泊。
8/13(6日目) 帯広→苫小牧:レンタカー+北海道&東日本パス
市内で評判らしいベーカリー・麦音で今後数日分の朝食を買い込んだ後、この旅で3店舗目となるアイス・ジェラート百名店のウエモンズハートに開店凸して一路旭川へ。
実はこの日もかなりカツカツの行程。狩勝峠で濃霧に見舞われて泣きそうになったり、旭川市内に入ってから道を間違える痛恨のミスを犯したりするも、返却後の炎天下の早歩きで挽回。レンタカー屋最寄り(と言っても普通に歩けば30分はかかる)の旭川四条駅から鉄路に戻る。
そんなこんなで鈍行の少ない旭川〜岩見沢を無事に通過。札幌で昼食とも夕食ともつかないスープカレーを頂き、エスコンフィールドへ向かうロッテファンに応援の念を送りつつ、新千歳でまたしても百名店のよつ葉ホワイトコージに立ち寄った後、苫小牧でバスに乗り換えて西港フェリーターミナルへ。
この日の寝床は八戸行きシルバーフェリー。雑魚寝とはいえマット付き、室温も快適で青函フェリーとは雲泥の差だった(そもそも航行距離が全然違うけど)。
後編へ続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?