【2日目】サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼ポルトガルの道 Vila Chã→Póvoa de Varzim お菓子の国ポルトガル
2023/05/19(金)
6:00
6時起床。周りの人も動き始める。僕はキッチンに行き、湯を沸かし、カモミール茶を飲む。その間に20床とエクストラベッドの人たちはみな旅立っていった。6時台に出るのは気持ちよさそう。
8時半まで粘って日記を書く。銀行でお金が下ろせなくて困っていたのだが、ふと思い立ち、海外での現金引き落としができなくなっているのではないか? と調べてみることにした。コールセンターに電話してみると、確かに現金の引き落としはできない事になっていて、この電話で解除の申請も受け付けてくれるとのことだった。「海外で困っております」というと最短でやりますと付け加えてくれた。濡れ衣を着せてきた銀行ATMには謝りたい。
9:15
片付けやらお茶やらなんかしているうちに、出発したのは9時15分。漁村のアルベルゲ(巡礼宿)から海岸沿いの道に戻る。
歩き始めるとサングラスをかけるのを忘れていたことを知る。旅のルーチンがまだ出来上がっていない。
遊歩道の整備が行き届いていて、この調子だとありがたい。
ところが途中、歩行路が砂に埋もれていたので、あるきやすそうな水際にいく。
アバイアーナス活躍
アバイアーナスHavaianasとはブラジルのビーチサンダルブランドで同国ではビーサンの代名詞と言っても良い。余談だが、このアバイアーナスのゴム草履は作りも良く、意外に思われるだろうが、石畳や山歩きでも、でこぼこなところほど吸い付きが良くて重宝する。
旅は道連れ
湾曲しているプライア(ビーチ)を行く。乾いた砂に足を取られるのと比べると水分を含んだ砂地のほうは遥かに歩きやすい。ちょっと前に僕を追い越していった人が、やはり同じように砂地を裸足で歩いていった。やはり考えることは同じなのだ。
水は冷たかった。
さて、調子良く端まで行くとそこは河口で渡れないことに気づく。ビーチを端まで歩ききって気を良くしていたのに、これはおかしいぞということになる。土手を上がってすこし引き返すと、道は橋を渡るために内陸に向かっていることを知る。
さっき先を越していった裸足の先駆者が休んでいた。僕らは地図を見ずにここまで来てしまったと苦笑いを浮かべあった。
彼は去り、僕はおやつを食べて、作戦をねった。
10:30
しばらくすると、同じ轍を踏んだ女性の巡礼者がやってきた。さっき受け取った苦笑いを引き渡し、僕は出発した。
巡礼、それはスタンプラリー
橋を渡りVila de Condeに入る。橋の下に公衆トイレを見つけ立ち寄る。
ここから町中をしばらく歩いていく。
ヴィラ・ド・コンデ教区教会(Igreja Matriz de Vila do Conde)に入る。入り口に巡礼者を待ち構えるおじさん。スタンプを押してくれる。
鞄にしまっていた巡礼手帳(クレデンシャルCredencial)を取り出し、カリンボ(ハンコ)を押してもらう。
うすうす気がついてはいたが、サンティアゴ巡礼とはスタンプラリーのことだと理解する。しかし決められたスタンプを制覇する類のものではい。立ち寄ったところにスタンプがあれば押して貰うくらいのものだ。主要な教会やツーリスト施設、巡礼宿ではもちろん押してもらうが、時にはカフェなどが"Stamp here!"なんて掲げてオリジナルのスタンプを用意していることもある。かなりカジュアルなスタンプラリーだ。後でデザインの違いを眺めるのも楽しいので、たくさん集めたいものだ。
たくさんひとは来るかとの問いにおじさんは「Muitoムイント(たくさん)」と言っていた。
君は黄色い矢印を見つけられるか?(初級編)
黄色い矢印が巡礼者の道標であることは述べた。行政が用意するものもあるが、ときには壁にペンキで"↑"とだけ描いている場合もある。矢印が見つからないこともあるので、ちょっと雰囲気を味わってもらいたい。
フーテンの旅人
ピザ屋で食事をした。9.90€今日のランチPrato do Diaがあったので、ついぞ引かれてしまった。朝を十分に食べてないので、昼もよく食べられる。
ちょうど目的地をどこに設定するかを考える必要もあった。コーラの糖分を染み渡らせながらどこまで歩くか地図と巡礼アプリとで検討する。
その日の宿が決まっていないという旅をするのも久しぶりな気がする。1990年代初頭、僕は大学生だった。勘違いしてバックパックを担いでいくつかの国を旅した口だ。その頃の旅といえば、ゲストハウスに直接訪ねていって部屋の中を見せてもらい、値段を交渉して、気に入れば泊まるというものだった。ときには、現地公衆電話カードを購入して、電話でリザベーションをするといった事もあったが最初の宿や、ヨーロッパのユースホステルくらいで例外的だったと思う。インターネット以前の旅ではそれが普通だった。宿がないというのは一番の心配だったはずだが、不思議とそういう記憶はない。
巡礼宿は基本的には予約を受け付けない。到着順で空きがあれば入れるという仕組みだ。なので、早く着こうという動機が生まれる。
日記書きも追いつかないので近場で14時に入ってしまおうと決めた。
アルベルゲの開店待ち
ポボア・デ・バルジンPóvoa de Varzim
Albergue de Peregrinos São José de Ribamar
宿に付くとちょうど14時で5組ほど開店を待っている状態。
受付をしてもらい、下段のベッドを確保。シャワーと洗濯をして、建物の構造を把握する。
さっそく買い出しに出かけることにした。
ビールと石鹸。チーズとサラミとパン。パンを取ろうとしたところちょうど焼けたのを入れるところだからと温かいのをもらう。
宿ではカミラと話す。彼女はブラジル人でアメリカに住む。友達と巡礼中だ。僕も気になっていたバンザイというカップ麺を食べていた。しょっぱいらしい。このカミラとはこの旅で何度も会うことになる。
お菓子の国の2代目
Docepovoa Confeitaria e Pastelaria - Povoa de Varzim - Portugal (homestead.com)
さて、Docepóvoaというお菓子屋の前で店の店主と立ち話になった。僕は甘いものは苦手で普通は食べない。しかし、ポルトガルといえばエッグタルトを代表選手に、お菓子好きにはたまらないところらしい。
店主が語るには、今年93歳になる店主の父もまだ現役で菓子を作っているという。それではと思いポベイリーニョPoveirinhoをいただく。土地の名を冠したお菓子だ。
店内が喫茶室になっていて、ワインのアテに地元菓子と洒落込む。砂糖で包まれた、卵黄のクリームの焼き菓子で甘すぎず(意外だった)ものすごく美味しい。リスボンのベレンのエッグタルトを食べた時以来の衝撃の旨さだった。
90,60,30代の三世代で菓子屋をやっていて、みなアウグストという同じ名前なのだそうだ。
みんなアウグスト・ブランドンAugusto Brandão
上から
フェレイラFerreira(93)
コレイアCorreia(66)
マルケスMarques(30)
この名がAugusto Brandãoの間に挟まるのだそうだ。日本人にはなかなか難しい命名法である。
初代は戦後、職を求めてリオデジャネイロにいたが1968年に引き上げてここで店を始めたのだという。
その初代はブラジルにいた時、本国ポルトガルにいた意中の女性と手紙でやり取りして結婚を取り付けリオに呼びつけて結婚したそうだ。それで、二代目(写真の店主)はブラジル生まれ。11才のときにポルトガルに帰ってきた。
彼からはポルトガル語とブラジル語の違いを学ぶ。カフェ・ダ・マニャンcafé da manhã (朝食)とか、フェッシャ・コンタFecha conta(お会計)とか言うとブラジル人だとばれてしまうとのこと。
朝食 ピッケーノ・アウモッソ Pequeno almoço
会計 ア・コンタ・ポルファボール A conta por favor.またはエウ・ケーロ・ペジール・ア・コンタ Eu quero pedir a conta.
お菓子も工夫をこらしたのがあって、ことわざを書いた紙を帆にみたてた焼き菓子も面白い。
ワインはヴェリョッテス(VELHOTES)が良いと勧めてくれた。
この辺は北ポルトガルで、夏には国内の内陸の人がバカンスに来るようだが、ポルトガル南部のビーチのようには賑わっておらず、穏やかなところだと言っていた。外国の観光客が目的地にするほどではない。ポルトのメトロ(近郊列車)B線の北の終着である。
会計時におまけまでしてくれて楽しい時を過ごした。