【7日目】サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼ポルトガルの道 Vila Praia de Âncora → Vila Nova de Cerveira 渡し船の誘惑
旅ファッションに迷いはあるか
6:30
6時半起床
バックパックを詰めなおす。毎日やっているのに、まだ定まった形がないが、一昨日辺りからカメラバッグ(ミニ)を首掛けにして前に提げ、風呂敷サコッシュの中に入れてしまう方法で行ってみる。前に掛けるものが多いのだが、重いカメラを前にして、すぐ取り出せるようにしたのと、前後の重心のバランスを取ってみる。
台所で昨日買った食材でサンドイッチを3つ作る。ザ・タッチこと双子のドロとレベッカに別れを告げる。
あれ? 二人は昨日、出発してなかったっけ? そうそう、姉のドロが膝を悪くしたとかで、宿に引き返して彼女たちも延泊していたのだった。「本当は四つ子なんだろう?」と冗談を言い合う。
カミーニャの渡し
7:30出発
アンコラの街を離れてすぐのベンチでさっき作ったサンドイッチを食べた。ここは大西洋。波は東から上った朝日を浴びて白波を輝かせている。
カミーニャCaminhaの近くまで来たら、青年が立っていて、「巡礼者か? 渡し船ならあっちだよ」という。
見た目で「もしや?」と思ったが、尋ねるとはたしてブラジル人だった。僕もブラジル経験者であることを告げた。ブラジルではどこいった? というのでサンパウロだと言ってふたりとも笑う。日系人が多いサンパウロのことをブラジル人なら知っているのだ。
「カミーニャからの船は2年前に壊れてなくなったんだ、ここを左に曲がって、すぐそこに渡し場があるよ。すぐそこだ」という。見れば縁石に黄色い矢印が塗ってあるのだ。
僕は歩いてトゥイTuiまで行くのだが、まだ迷っていると言った。実際このときはせっかくの海岸ルートなので、ビーチを貫徹するべきか? などと迷っていたのだ。この瞬間では80%くらいで海岸ルートの方に気持ちが傾いていた。
一旦、青年と離れてみる。
地図を見直していると僕を巡礼者と見た別の男性が話しかけてきた。
「巡礼TAXIボートだろ? そこだよ。6€だ。赤いのと白いのが見えるだろ、あれだ、他のじゃない、他のは白タク(海賊版、pirata)だ。うちはオフィシャルだから」と言う。
「僕はまだ歩いていくか迷っているのだ」とだけ告げた。
もう気がついた。要するに客引きがうろうろしているのだ。さっきのブラジル人の方は巧妙だった。こんな早朝に、街角にただ佇んでいる。なんとなく、挨拶をしたら、道はあっちだよという、さりげないスタイルだ。
生来の天邪鬼が呼び覚まされ、従いたくない気持ちになってきた。渡し船ルートはナシだ。川向うがスペインという景色、また国境の街というのにも興味があった。ここからミーニョMinho川南岸を行き、ValençaからTuiに行くルートにしようと決めた。
なお、断っておくと6€は相場の適正価格で、実際多くの巡礼者が利用しているし、いかがわしいものではない。
10:15
カミーニャCaminhaの街に入ってから、「フェリー”Ferry”」という看板を認める。はて、公営のフェリーサービスというものではなかろうか?
港に行くと、果たして車両運搬用のフェリーまで泊っているではないか。しかし運行の案内はなし。一方タクシーボートの客引きが再び現れ、他の巡礼者をホイホイ支払い場所へ送り込んでいく。巡礼者が何組か集まったら出しますというスタイルのようだ。
ここも結局タクシーボートしかないのか。そう思っていたらアリソンとエレンが現れた。
二人にさっきの客引きの話をすると、彼女たちも断ってきたという。彼女らはもともとここのCaminhaの船着き場から6€でTAXYボートに乗るつもりでいた。僕は昨晩のうちは、内陸に向かうと告げていた。ここにいた僕を見てアリソンが「お前は何回心変わりするんだい?」とたしなめた。実際5,6回心変わりしたと思うので、返す言葉はない。
こんどこそ決心を固め二人に別れを告げ、橋を渡って、西葡国境の川、ミーニョMinho川南岸のポルトガルの小村を繋ぐ道を行く。
信仰の旅
11:30
教会で小休止した。
ぼんやりと天井や祭壇を眺める。ずっと一人だと思っていたら、前方左手に女性がお祈りをしているのに気がついた。見かけたひとだ。昨晩の宿屋に、すこし遅めにたどりついた女性だと分かった。彼女は信仰を理由に巡礼しているのかなと見受けられた。
休憩をはさみ歩き出す。線路脇の道を歩いていく。
12:00
山道、国道沿い、草ぼうぼう、パン食べる。人に会わない。
12:15 休憩
12:30 歩き出し。
12:45 エスケイロEsqueiro駅あたりで、水が尽きて商店でコーラと水を買う。3.20€
13:30 ゴンダレンGondarém、ぶどう畑で犬に吠えられる。
14:05
地図を見てると畑の斜面に宿のマークが。農園邸宅をホテルに改修したものだ。ぶどう畑の只中に瀟洒な屋敷。一泊90€とかの値段。
ロウレイラ・セルヴェイラ館Casas da Loureira Cerveira、ボエガ・ホテルBoega Hotelなどが通り道に見える。いまの自分からは別世界に思える。
偶然出会ったくつろぎの宿
15:00
ヴァレンサを終点と定めて歩いていてまだ先は長いなと感じていた。男性が庭の手入れをしている。話しかけると、ここがAlbergueだという。泊まっていかないか? と。
「ヴァレンサはまだ遠いよ」
話を聞くと、一泊17€、晩ごはんをつけるならプラスで13€だという。悪くない提案だ。しかも2階の寝室も、下のリビングも品が良く整っている。即決した。
Casa Gwendoline Guest House & Albergue
Rua da Reguinha 136 eP-4920-070 Vila Nova de Cerveira
話し方に違和感を感じ出身を聞くと、イギリス人だという。コーンウォール出身のローレンス(73)だ。
キッチンでは自炊用に食材も(ハム、チーズ、玉子etc)使った分はドネーションで良いと言うし、ビールも1本1€と良心的なドネーション設定だ。しかも、自己申告で、お金を缶に入れてくれというだけ。
部屋に荷物を置き、風呂に入り洗濯をする。洗濯物を急いで干して、リビングで日記まとめ。データ整理をしたところで、部屋にあったギターを爪弾いて、リラックス。ポルトガルでミーニョ川を見下ろす丘陵地のカーザ(家)。ベランダに出てビール飲んでギターを弾く。こういうことがしたかったんだということが全て詰まっているような空間だった。
ドイツ人を中心にその間、お客が数組入っていた。
キルスティン(女性)はカミーノ初挑戦の一人旅。「旅行中は案外忙してく日記を書く暇もない。持ってきた本なんて全然読めないから、前泊地のアンコラで2泊して本を読み終えて、寄贈してきた」という。自分も日記が追いつかないのはよく分かるので、二人で共感しあった。
ドイツ人が多いのは一つにはドイツ人コメディアンによるカミーノ体験ドキュメンタリー(映像、書籍)の影響が少なからずあるという話であった。
ざっくばらんな、正直語りで大変人気になったそうだ。ここにもちょうどその本が置いてあったわよということで、見せてもらった。
皆で囲む夕食はベジタリアンメニューで
夕食を頼んだみんなで、食卓を囲むことになった。
オーストラリア人のルイーザ、ルーマニア人のアウレリアン、日本人の僕、それと、ドイツ人4人、しかし、アウレリアンは実質ドイツ語話者で、ドイツコミュニティーという感じだった。
食事はベジタリアンメニューでローレンスが台所で実際に作っていた。
食後のワインタイム。
紙タンクワインをグラス1€でどうぞという仕組みなので、みんな何杯かずつお変わりした。僕も3杯くらい飲んだ。
食事を終え、片付けなどをした。テーブルの復帰と皿洗いは自分たちで行った。その後めいめいに分かれていく。ドイツ人コミュニティが喋っている傍らで僕はデッキの椅子に座り、柵に足をかけ、ギターを弾いた。
バーデン・パウエルのビリンバウを弾き語りし、また日が沈むときにはトリステーザを歌った。
おまけ話題
ベッドメイクや調理手伝いなどを行うバイトのチアゴはブラジル人(ミナスジェライス州)。彼はフランスに3ヶ月居たあと、いま住み込み手伝いでここにいるとのことだった。