「お前ふざけとんのか!」朝からオフィスに怒号が響き渡った。
いつも通り出社。
事務所でチームメンバーからラッコの話を聞いていた。
部下「鳥羽水族館のキラちゃんとメイちゃんかわいいんですよー。この写真見てくださいよー。」
私「可愛いけどうちの猫の方が可愛いかな!」
なんてたわいもない話をしていた。
「お前ふざけとんのか!!」
事務所に怒号が響き渡った。
最初聞き間違いかと思ったのだが
「お前俺に挨拶来たこともないやろ!!」
確信した。
他部署の人がうちの部門のトップからブチギレられている。
この過度な叱責は10分以上にわたり続いた。
始業時間だったこともあり、部内の全員が席についている状況でだ。
他部署の人に対しいたたまれない気持ちになった。
あとから怒られた理由を聞いたのだが、これがあまりにもしょうもない理由で…。
パワハラへの反応の違い
ちょっと面白かったのが、このパワハラ事件に対する周囲の反応の違いだ。
先にグラフにまとめるとこんな形になった。
驚いたのが年齢が高く社内評価も高い、いわば出世組のおじさんたちはパワハラ事件に肯定的だったのだ。
パワハラ自体を肯定しているというよりは部門のトップに対して肯定的だった。
「怒鳴るところは良くないけど、彼は仕事ができる方だから。」
「彼は社内で認められている人だから、相手のことを思って言っていると思うよ。」
出世組おじさん以外は軒並み否定的だった。
「今の時代ありえないでしょ。」
「完全にパワハラ。」
「録音されたら終わるじゃん。」
このグラフは組織の未来が見える
パワハラ事件に肯定的な出世組おじさんたちは、近い将来出世する。
先ほどの彼らの発言はつまりこういうことだ。
「仕事ができて社内で出世していれば、(普通に考えればおかしいことでも)許される。」
近年パワハラやセクハラが騒がれているため、やりすぎはコンプライアンス的にアウトだが、根底にある思想はこんなところだろう。
出世に比例して社内で権力を持つようになる。
部門のトップともなればその権力は絶大だ。
事務所で人を怒鳴りつけてもいいし、気に入らない部下は閑職に異動させてもいいし、評価を下げてもいい。
こんなことうちの会社ではしょっちゅうある。
これは権力の使い方の話だから恐らくほかの会社でもある。
でも立ち止まって考えてみると何かおかしいのだ。
おじさんがおじさんを10分以上も叱責する行為って普通に考えればおかしいでしょ?
怒られている方の尊厳はどうなるのさ。
怒られている方にだってプライドはある。
人生を幸せに生きたいという気持ちだってある。
会社で偉くなると他人の尊厳を傷つけることも許されるなんてそんなおかしい話あるか?
それに対して肯定的に考えるなんて完全に洗脳されているとしか思えない。
電車が人身事故で遅延したとき、駅員さんに怒鳴っている人がいたりする。
飲食店で違うものが出されたと店員さんに怒鳴っている人がいたりする。
私はそんな人たちを見て軽蔑する。
それと同じ次元の話が会社内で起きているのだ。
違うところは上司と部下という関係性だけ。
上司と部下という関係性においては一般的に軽蔑される行為ですら許されるのだとしたら、そりゃあなた、洗脳以外の何物でもないよ。
その環境は異常だよ。
この異常な環境を肯定する人たちが出世するのであれば、時代の流れとともに少しずつ変わるとしても根底は何も変わらない気がする。
尊敬できない上司から本当に大切なことを学ばせていただいた
今回は会社の悪い一部分を切り取って記事にした。
会社に属しているといいこともたくさんある。
でもね、普通に考えればおかしいこともたくさんある。
私は若いときに全く尊敬できない上司に出会った。
上司からも部下からも信頼されておらず、いつも怒られていた人だ。
私が飲んだ勢いで「仕事辞めようとか思わないのですか?」と聞いたらその人はこう答えた。
「辞めたくても辞めれへんねん。」
その人からは人生で本当に大切なことを学ばせていただいた。
嫌なことを嫌と言えないのは現代の奴隷。
尊敬できる上司からもたくさん学ばせていただいたが、尊敬できない上司からはそれ以上のことを学ばせていただいた。
この記事を読んでいる若い人たちへ
最近「働かないおじさん」などおじさんを下げる情報が多い。
若い子たちに意識してほしいのは、目の前にいるあなたが軽蔑しているおじさんは、未来のあなたかもしれないよ?ということだ。
彼らだってそうなりたくてなったわけではないと思う。
若かりし頃はあなたと同じように仕事を頑張っていたと思う。
でも当時は転職が一般的ではなかったし、専業主婦家庭も多かったので自分がこの会社にしがみついてでも頑張らなければならなかったのだと思う。
その結果として働かないおじさんが生まれたわけで。
これは日本の終身雇用・年功序列の慣習が生み出した負の遺産かもしれない。
現代は多様性という名のもとに自由が広がった社会だ。
両親の世代のように大学を卒業して就職して、定年まで働いて老後生活を穏やかに過ごす、そんな時代ではなくなった。
自由が広がるということは一部の優秀な人にとって楽園だ。
あなたが優秀な人なのだとしたら人生を謳歌してほしい。
そうでないのであれば色眼鏡なしで、ありのままの世界を見つめてほしい。
自由だからこそ苦しむ人たちがたくさんいる。
SNSの普及によって自由を謳歌している優秀な人たちの情報があふれかえっているからだ。
基本的に人間は他者との比較で自分の立ち位置や幸福を決めてしまう。
人間が社会的な動物であるからこその宿命だ。
自分がどちら側なのか。
後者なのであればいかに事前に対策するのかが絶対に大事になってくる。
パワハラ事件からこんなことを考えました。
おしまい!