35歳無職というパワーワード。忌み嫌われる無職という言葉。
妻「あなた仕事辞めたら35歳無職の誕生だね。おめでとう。」
私の心に強烈に響いた35歳無職。
もちろんネガティブな意味で響いた。
無職という言葉にはとんでもなくネガティブなイメージがつきまとう。
ニュースを見ていると犯罪者には無職が多いイメージがある。
実際に調べたわけではないので分からないのだが、あくまで印象レベル。
無職と聞くと「なんか訳ありのヤツ」といったイメージも私の中ではある。
よくよく考えれば、無職とは現段階で仕事をしていない人。
ただそれだけのことだ。
そんな人は世の中にあふれかえっていると思う。
無職という言葉を考えると、社会が私に対して何を要請しているのかが見えてくる。
年齢における無職のイメージ
15歳無職
35歳無職
70歳無職
このこと3つの言葉を眺めてみるとこんなイメージがわいた。
15歳無職・・・学生かな?
35歳無職・・・なんかヤバそう。
70歳無職・・・定年退職して老後生活楽しんでいるのかな?
35歳無職に対しなんかヤバそうと感じるのは、言い換えればその期間は普通仕事をしているでしょ!ということなのだと思う。
これは30歳でも45歳でも変わらない気がする。
日本社会では10代〜20代で学校を卒業し、60歳~65歳で定年退職をする。
定年退職後は老後の生活を満喫するのが普通というイメージが存在する。
この場合の普通は学校を卒業したら定年まで仕事をするということだ。
仕事をしているのが普通で、していないのは異常。
でもよくよく考えてみると、これって誰が決めたんだろうと思う。
日本企業の慣習として終身雇用があった。
それは「正社員として入社し会社に尽くしたら会社としては定年まであなたの生活を保障するよ」という慣習だ。
言葉の手垢
無職という言葉について思いを巡らせているときに、ある本を思い出した。
私が35歳無職に対して恐怖心を抱くのは、無職という言葉に対してくっついているネガティブなイメージが原因なのだと思う。
言葉は、「その言葉が本来持つ意味+世俗的な価値観」で意味が形成される。
先ほど紹介した本の「普通」という言葉もそうだ。
よくよく考えれば何をもって普通なのかよくわからない。
私の母の世代であれば、女性は学校を卒業して20代で結婚と出産をする。
その後は専業主婦で家族を支える、なんて生き方が普通だった。
この場合の普通はマジョリティということだ。
現代はマジョリティが解体され、小さなマジョリティたちが形成されている。
結婚をしない人もいれば、子どもを作らない人もいる。
会社に属する人もいれば属さない人もいる。
異性が好きな人もいれば、同性が好きな人もいる。
今の時代は普通が見えづらくなった時代ともいえる。
普通が見えづらくなるとは言い換えれば価値観の多様化が進んだということだ。
価値観の多様化が進むと何が起こるかというと、みんな何を目指したらいいのか分からなくなるのだ。
目指すべき存在がそこら中にあふれているからだ。
そう考えると現代の若い世代の難易度は上がっている。
SNSで情報はあふれかえっているが、いったい何を目指したらいいのか分からない。
そして何が正解かもわからない。
分からない状態というのは不安に変わる。
漠然とした将来の不安が日本を覆っているのは、分からないからだと思う。
話がそれてしまったが無職という言葉について。
言葉をどう解釈するか。どんな肩書を作るか。
カネを増やして運用しながら生活費に充てるFIRE。
FIREの民たちも仕事をしていないのであれば無職だ。
しかし投資家界隈ではFIREを達成している人は、羨望のまなざしが向けられる。
この場合、ただの無職がカネのある無職に変化しただけだ。
問題はカネだ。
カネがある無職は資産家なんて言われたりする。
カネの無い無職は普通の無職だ。
地獄の沙汰も金次第。
なんと世知辛い世の中なのか。
そしてカネがある無職は投資家とも名乗れたりする。
サラリーマンでもない限り肩書なんてものは自分で何とでも語れる。
私の場合は、投資家でもいいし、ブロガーでもいい。
FPでもいいし、コーチでもいいかもしれない。
本を自費出版して作家と名乗ってもいいかもしれない。
不思議なことに肩書があるとなぜか安心する。
実体がどれだけ伴っているかが問題なのではなく、自分自身と世間が肩書に安心する。
35無職です!は自分自身も世間も納得できないから恐怖の対象なのだ。
分からないから不安になる。
無職から見える世界
こんなことを書きながら自分で実験してみるのも面白そうだと思った。
35歳無職になった時に、無理して肩書は作らず無職を貫き通す。
周りの反応がどうなるのかを記事にしてみるのも面白そうだ。
今までは普通に生きてきた。
これからは試しに普通を逸脱した異常な人間として生きてみる。
異常な人間から見える普通の世界は、もしかしたら異常なのかもしれない。