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12年働いた退職金150万円。8月の暴落時に買い増した株の利益150万円。

サラリーマン人生が残り2か月と少しになったので退職金の計算をしていた。

私の会社の退職金制度はこうなっている。

まずそれぞれの役職で働いた年数に対してポイントがつく。

このポイントは上の役職で働いた年数が長ければ長いほど増加する。

ポイントに対して次の数字が掛けられる。

勤続10年未満・・・0.4
勤続10年以上21年未満・・・0.5 ←私はここ!
勤続21年以上31年未満・・・0.7
勤続31年以上・・・1.0

計算すると私の退職金は150万円程度になる。

以前入社5年目で退職した子がこんなことを言っていた。

「退職金50万円ぐらいだったんですよね。でも退職金の趣旨からするとしょうがないですよね。」

当時はそんなものかと思っていたのだが、いざ自分事となると一言物申したい気持ちが出てくる。

企業は退職金を人質に取るのをやめなさいよ!

まず退職金とはこんな制度だ。

退職金とは、従業員が退職する際に、会社から支払われる一時金のことです。これは従業員の長期にわたる労働の対価や貢献を認め、老後の生活資金や次のステージへのサポートを目的としています。退職金は、企業ごとの規定や従業員の勤続年数、退職理由(自己都合退職、会社都合退職など)によって金額や支給方法が異なります。

チャットGPT

「あなたが長きにわたり会社に貢献してくれたので、その貢献に応じてお金という形で報いますよ」という制度だ。

この制度は日本の年功序列・終身雇用時代の名残だ。なんだか生きた化石のような存在になっている気がする。

退職金制度があるためにこんなことを言う人がいる。

「あと10年働いたら退職金が増えるからもう少し会社で働こう。」


流動化する労働市場。変わらない人事制度。

最近転職市場が活性化しているので、労働者は自分の市場価値を上げるために転職をするようになった。

良いか悪いかは別として人が商品化されているのだ。

転職は企業側にとって必ずしも悪いという訳では無い。これまでの新卒一括採用&終身雇用だと教育コストがかかるからだ。

同じ業界の転職であれば即戦力として雇えるため教育コストが浮く。

※実際は転職をする際、人材業界に結構な費用を払う必要があるのでそれなりにコストはかかるがそれは別の話。

退職金制度は企業側にとって不利に働いているんじゃない?というのが正直なところだ。


すでに選ぶ側ではなくなっている企業

日本は人口増加のボーナスタイムが終了した。

それに伴い企業は”選ぶ側”ではなく”選ばれる側”になりつつある。それは新卒もそうだし、既卒(転職)もそう。

退職金制度は企業が”選ぶ側”だった時代の産物という見方もできる。

普通に考えて転職者からは不満が出るだろう。だって転職して成果もあげたのに勤続年数が長いだけの人が得をするのだから。

新卒も「うわ…」と思うだろう。だって1社でずっと働く気はないのに退職金制度は「ずっと働いてくれたらインセンティブつけますよ」と常に囁いてくるのだから。

”選ばれる側”になった企業はそれなりに頭を使わなければならない。

採用面接で「あなたは当社にどんなメリットを提供できますか?」という時代ではないのだ。

求職者からはこんな風に思われている。

「御社は私にどんなメリットを提供できますか?」

人口減少に伴う強者(企業)と弱者(労働者)の逆転現象を企業の人事は考えなくてはならない。

そう考えると人事は大変だ。終身雇用にどっぷりつかった昭和脳の人間が上にはうじゃうじゃいるのだから。

上の人間たちは逃げ切りモードに入り始める。でも30代40代の働き盛りの人事はこれからのことを考えなければならない。

上に話しても本質的な部分が理解されない。これは辛い。


12年働いた退職金150万円。8月の暴落時に買い増した株の利益150万円。

この記事のタイトルだ。

この記事で書いたが私は8月5日の暴落のタイミングで数百万円株を買い増した。

ちょうど日本株比率を下げようとしていたので今週その株を手放した。

8月5日に買い増した株の利益はちょうど税引後150万円ぐらいになった。

12年間、身を粉にして働いた退職金が150万円。

8月5日の暴落時に買い増して2か月運用し、利益確定した株が150万円。

投資をしているとお金の価値がよく分からなくなってくる。

8月5日の暴落時、仲のいい後輩に「1000万円以上吹き飛んだわ!」と笑いながら話していたら後輩にこんなことを言われた。

「みかんさん。お金の感覚狂っていますね(笑)」

よくよく考えれば狂っている気がする。

1000万円は毎月3万円貯金しても到達するのに27年以上かかる大金だ。

それが1週間で吹き飛んだり、増えたりする。

私は投資を始めた10年ほど前に億単位の資産がある人や、暴落時に狼狽売りしない人たちに対して憧れていた。

そんな風になりたいと長年投資を続けてきた今になってこんなことを思う。

当時憧れていたその人たちは何か狂っているのではないか?

例えば1億円という金額は利回り5%で運用したら1億円×5%=500万円だ。

500万円は普通のサラリーマンの年収だ。

働かずしてお金が入るということは、一般的に羨望の対象となる。

これって本当に幸せか?

お金が増えるということは、過去の自分が満足できたものに対して満足できなくなるということなのかもしれない。

少なくとも私はお金が増える過程で、お金から得られる幸福が減少した気がする。

だって資産から得られるお金はこんな風に変動したのだから。

最初はこうだった。

1年の投資含み益>1か月の給料

次にこうなった。

1年の投資含み益>ボーナス

最近こうなった。

1年の投資含み益>年収

もちろん相場環境が良かったのは事実だ。でも現実として突き付けられると何か思うところがある。

お金はないよりはあった方がいいのだけれど、あったからといって直接的に幸福につながるわけではない。

やはりお金は手段であって目的ではないし、お金そのものに対する理解を深めなければ人生がどんどん狂ってしまうのかもしれない。

おしまい!

今日の猫さん!


会社の同僚たちが家に遊びに来た時に、人見知りのまめきちはトイレに避難!まめきちごめんね!!




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