体育会系時代の終焉
最近、中島らもさんにハマっている。
なにかの本で紹介されていて、偶然買ったエッセイコレクション。
目次からして強烈だ。
中島らもさんという存在を初めて知ったのだが、ぶっ飛んでいる。
ぶっ飛んでいる人が書くエッセイは、新たな視点を与えてくれて最高に面白い。
中島らもさんは1952年に生まれ、2004年に亡くなっている。
私とは少し世代がずれているのだが、生きた時間に差のある人のエッセイはこれまた面白い。
時代が移り変わる中で、変わるもの、変わらないものが見えてくるからだ。
毎晩飲み屋に連れまわされるエピソード
本書に中島らもさんがサラリーマン時代、社長に毎晩飲み屋に連れまわされるエピソードが書かれている。
明け方の3時4時まで飲み屋をはしごして、翌日会社に出勤していたそう。
1970年代~80年代の話だと思うが、時代は変わったなと思った。
そして、それは急速に変わっている。
体育会系とは無縁の子ども時代
私はこれまで体育会系とは無縁の世界にいた。
※私の体育会系のイメージは運動部特有の、気合・根性・上下関係だ。
私の小学校は今振り返れば荒れていた気がする。
小学校3年~6年が学級崩壊だったのだ。
授業中に紙ヒコーキが飛び交うし、枕を持ってきてベランダで寝ている子もいるし、テストなんか当たり前のようにみんなカンニングしている。
授業中にプロレスが始まることもしょっちゅうあった。
今振り返れば担任の先生たちに申し訳ない。
その反面、担任の手に負えないのであれば他の先生たちが助けてあげなさいよ、とも思う。
小学校3年間学級崩壊していた私は、中学2年生の時に分数が出来なかった。
それを知った父は驚愕していた。
それは置いておくとして。
私の住んでいた地元は、小学校のメンバーがそのまま全員地元の中学校に入学する。
他の地域の子たちと一緒になることは無いのだ。
中学に入ると部活を決めなければならない。
当時の仲のよかった子たちは今振り返るとちょっとヤバい。
この記事で少し紹介したのだが、中学卒業後暴走族に、全身入れ墨が、彼女に子どもができたことが分かり行方不明に、なんて子たちが多かった。
そんな子たちと仲が良かったので部活選びはこうなる。
「朝練が無いラクな部活」
中学校で朝練がない部活は卓球部しかなかったのだ。
そんな地域の卓球部は、同じように考えている先輩が勿論いる。
先輩たちも動物園にいるような人たちだった。
単車で校庭を走り回るわ、卒業式に先生をぶん殴るわ、将来の夢がAV男優になる人など変な人がたくさんいた。
将来の夢がAV男優の先輩からは、いつも部活中にAV男優のなり方講座を聞かされていた。
こんな先輩たちなのだが、意外と上下関係はゆるかった。
もちろん、いらんことを言おうものならぶん殴られるのだが、そのラインがはっきりしていてコツさえつかめば楽なものだ。
中学時代に楽な道を選んだ私は、そのゆるい精神のまま高校へ。
高校も楽な部活を探した。
高校は進学校だったので、部活を本気でやっている人は少なかったのだが、その中でも一番ゆるい部活。
水泳部だ。
ここは本当にゆるかった。
そしてマネージャーが可愛かった。
冬場は少し筋トレして走って、部室でトランプして。
夏場はプール開きの前のプール掃除は楽しいから全力で頑張る。
プールに入れるようになるとビート版を集めて、みんなで船を作って遊ぶ。
そんなゆるい精神のまま大学へ。
私の気合・根性・上下関係の体育会系の精神はどこかに吹き飛んでしまった。
というか、もともとなかった。
大学時代は、中国やインドネシアで道路を作ったり、バックパックでアジアをめぐったり、休学してベンチャー企業で半年間のインターンシップをしたり、東日本大震災の被災地で半年間ボランティアの受け入れの仕事をしたり、まあ自由気ままにやらせてもらった。
それぞれ長くなるので詳細は割愛。
入社してみると体育会系だった
会社に入社すると、特に私の部署は完全な体育会系だった。
繁忙期は自腹でカプセルホテルに上司と泊まって、カプセルホテル内の飲み屋で朝の4時まで飲んで、翌日7時に出社する。
このときの上司の話が絶望的につまらないのだ。
我ながらよく耐えたものだと今になって思う。
休みの日なんて上司・取引先のゴルフや、上司とのフットサルの大会など予定が埋まった。
体育会系時代の終焉
これが10年ぐらい前の話だ。
中島らもさんの冒頭の話は40年~50年前の話。
50年前~10年前ぐらいまでは同じような雰囲気が流れていたのかもしれない。
気合・根性・上下関係。
これがここ数年で急速に変わってきた。
気合ではなく効率的に。
根性ではなくゆるーく。
上下関係ではなくフラットに。
やはりインターネットが時代のスピードをとんでもなく早めたのだろうか。
インターネットは情報を自由化した。
これまでは年長者が経験値として持っていた情報が、誰でも手に入るようになった。
その時点で年長者が持っていた優位性が崩れ去ったように感じる。
これは仕事の場でも同じだ。
誰でも情報にアクセスできるようになるということは、その情報をいかに料理できるかという能力が必要になる。
まだ会社ではある役職以上の人しか知らない情報も一部あるが、近年それも徐々になくなりつつある。
私としてはそんな時代の方が楽しいのだが、苦労している人もいる。
冒頭の中島らもさんのエッセイ。
生きた時間に差がある人のエッセイは、いま私たちがいきる時代の速さを感じさせてくれる。
次はこの本を買った。
何を感じるのかが楽しみだ。
さいごに
note最近更新していなかったのですが、これまで文章を書く習慣ができていたので、文章を書かないと頭の中が書きたい文章でぐちゃぐちゃになりますね(笑)
これはある意味note中毒(笑)
今まで「です」「ます」で記事を書いていたのですが、文体を変えてみました!
これはこれで普段と違った雰囲気になって楽しかった!