祖母から酷い仕打ちを受けた母「おばあちゃんが生きてたら、今日で96歳だね。」
先日実家に帰った時に母が言っていた。
「おばあちゃんが生きてたら、今日で96歳だね。」
おばあちゃんとは10年前に86歳で亡くなった父方の祖母のことだ。
母とおばあちゃんの思い出話をしていたのだが、振り返るととんでもないばあさんだった。
唯我独尊という言葉がぴったりなばあさんだ。
最初のばあさんとの記憶は、尻を蹴られたことだ。
何をやって蹴られたのかはすっかり忘れたのだが、尻を蹴られて前に倒れた記憶だけはある。
子ども時代、両親と父方の祖父母は同居していた。
私と兄が外で遊んでその足で家に入ると「うちはニワトリを飼っとるわけじゃない!出ていけ!」とばあさんはよく怒っていた。
私は反抗的な子どもだったので、仕返しとしてよく庭の畑に落とし穴を作った。
ばあさんはおもしろいことにいつも落とし穴にはまった。
そのたびに母はばあさんに怒られていた気がする。
ばあさんは思ったことをオブラートに包まずに言う人間だった。
人からお土産でもらったものを「あれ不味かったわ。」と本人に言ってしまうのだ。
ばあさんの友人の孫に対しても「サルみたいやな。」なんて言っていた。
これは不思議なのだが、ばあさんには友達が何人もいた。
ばあさんの友達に「こんな人の何がいいの?」と聞いたことがある。
「おばあちゃんは裏表がないからね。」
確かに思ったことをはっきり言うばあさんには裏表はない。
でもそれで苦労したのは母だ。
ばあさんは母に対し
「あんたの育て方が悪いからこんなやんちゃ坊主になった!」なんてよく言っていた。
私は母がかわいそうだったのでばあさんにホースで水を掛けたり、手のひらサイズの蜘蛛をばあさんにぶつけたりした。
それが悪循環になり母はよく怒られていた。
ばあさんに苦労させられた母なのだが、ばあさんのことを話すときは嬉しそうに話す。
私が「ばあさんに対して恨みとかないの?」と母に聞くと
「苦労はしたけど私たちにできることは全部したからね。」
なんて母は言う。
母は変わっているのだ。
人から何をされたかより、自分がその人に対してどう接することができたか。
そんな視点で物事を考える。
ばあさんから多くの嫌な言動を受けた母なのだが、
「おばあちゃんなんだかんだで幸せな人生だったよね。楽しそうに生きてくれてよかったな。」
なんて言う。
母の考えはよく分からないけど、なんかすごいということは分かる。
私は人から嫌なことを言われたら腹が立つし、その人が嫌いになる。
軽蔑だってする。
でも母は人ではなく自分がどうできていたかを考える。
私だってそんな風になりたいが、まだまだ至らない。
ばあさんのとんでもない人柄が母を成長させたのかもしれない。
ばあさんが亡くなって10年。
家族の間ではしょっちゅうばあさんの話題が出るよ。
唯我独尊の生き方は人の記憶に残りやすいのかもしれないね。
ばあさん、誕生日おめでとう。