noteで子どもに対する考えを表明するのは勇気がいる。
久しぶりに有料noteを買った。
私の大好きなクリエイター、しろさんの記事だ。
しろさんご夫婦は、私と年が近く投資好きでお子さんもいらっしゃらないので、何かと共通点が多い。
いつも気になって記事を読んでしまう。
しろさん思っていることをありのままに書かれるのが得意で、私は素直に尊敬している。
記事を書いていると自分を良く見せようとしてしまう私なのだが、等身大の文章を書かれるしろさんはすごい!
しろさんが記事で取り上げられている、子どもをどうするか問題。
実は我が家もちょうどその方針が決まったので、記事として残したい。
※この記事3300字と長いので興味のある方のみどうぞ!
我が家のプロフィール
我が家は私と妻、猫3匹の家庭だ。
年齢は私も妻も今年で35歳。
私はサラリーマンで、妻は個人事業主。
お金は長年投資をしてきたこともあり、贅沢な暮らしをしない限りは特に困ることはなさそう。
そんな私たち夫婦は子どもを作ることを遅らせてきた。
子どもに対し「かわいいー!」とは思わなかった
私はもともと子どもが好きではなかった。
友人や同僚が子どもを見て「かわいいー!」と言っていると「何がかわいいんだろ?」と思っていた。
でも、人のかわいいと思う気持ちに対し、ケチをつける必要もないので「かわいいねー。」と返していた。
この気持ちは身近に子どもがいないからかなと思っていたのだが、何年か前に兄夫婦に甥っ子が生まれた。
甥っ子とは正月に遊んだりするのだが、かわいいと言えばかわいいけど、心から「かわいいー!」とならなかったのだ。
もちろん、正月ぐらい兄夫婦が子育てから解放されればと、何時間も甥っ子と遊ぶ。
私は恐竜ごっこの達人になった。
みんながかわいいと言う子どもという存在に、私は大して何も思わないことに対し、少し心配していた。
(みんなと違うのはこのことだけじゃないので本当に少しだけ。)
ある時、私の元部下のSさん(当時27歳女性)からこんなことを聞かれた。
世の中には言わないだけで、同じように思っている人もいるんだなと思った。
そして子どもがかわいいと思わない、ということは基本的に言ってはならないことなのだ。
子どもについて思うままに書くことは怖さもあるので、しろさんが記事を有料にした理由もうなづける。
子どもを遅らせてきた理由
そんな私なので急いで子どもを作ろうという気持ちはなかった。
妻は妻で事業をやり始めたので、それを軌道に乗せることに必死になっていた。
これまでの記事でも何回か書いているが、私たち夫婦の基本的な考えは少し変わっている。
いつ離婚するかなんて分からないのだから、お互いが経済的に自立していたい。
※これらの記事で書いたことですね。読む人を選ぶと思います。
私はサラリーマンとして、妻は個人事業主として、安定して稼げるようになることを優先してきた。
そして、余剰資金を投資に回して仮に離婚するとなった時は資産は折半ね、と話していたりする。
何年も一緒に住んできた大切な人が、離婚を機に転落する姿は見たくないのだ。
おそらく妻もそう思ってくれていると思う。
そんな私たちなのだが、今年で35歳になる。
35歳といえば高齢出産というパワーワードを突きつけられる年齢だ。
私たちは子どもは絶対に作らない!と決めていたわけではない。
お互い優先したいことがあればそれを優先して、どちらかが子どもが欲しいとなれば、もう一方は全力で協力する。
そんな考え方だった。
最近妻が「子どもそろそろほしいね。」と言っていた。
自分の年齢のこともあるし、妻の両親に孫の顔見せてあげたいという気持ちもあるみたい。
その時に心配になったのが、「そもそも子ども作れる体なんだろうか?」ということである。
すぐに妻と産婦人科に検査に行った。
結果、2人とも問題なくタイミング法でがんばりましょうとなった。
子どもを遅らせるとめんどくさいこともたくさんあった
私たちが結婚したのは26歳の時だ。
結婚して1~2年経つと周りからこんなことを言われる。
「子どもまだなの?」
かれこれ数百回は言われた気がする。
これがめんどくさい。
他人の家庭のことなんてほっといてくれ!というのが正直なところだ。
この手の質問をする人は「結婚をしたら子どもを作るもの」という固定概念があるので、なにを言っても納得しないのだ。
挙句の果てには「みかんさん夫婦、子ども作れない体なのかな?」と究極的にいらぬ心配をされる始末である。
「他人の心配する前に自分の人生の心配しなさいよ。」と何度言いかけたことか。
そんなことを男の私でさえ言われていたので、妻はもっと言われていたのだろう。
知人から言われるぐらいなら妻もよかったのだが、私の父から言われるのはどうも耐えられなかったみたいだ。
父がそのことを何度も妻に言って、妻が落ち込む姿をみた私は、父に怒った記憶がある。
こんな会話が何度もあった。
振り返ればとんでもなく無礼な息子だ。
父には申し訳ないなと思う気持ちもあるが、当たり前のことながら妻の方が大事でしょ(笑)
父も最近理解してくれたようで、妻に言うことは無くなった。
一方、母には理解があった。
母は20代前半で兄を生んで仕事を退職した。
自分の生活を父の稼ぎに依存するのが怖かったそう。
でも、時代背景的にはそうすることが普通だったので、不安な気持ちを押し殺しつつ子育てを頑張ったそう。
母にはそんな経験があったから、妻のことを「羨ましいな。」と言っていた。
これから少しずつ変わっていくはず
私の両親の世代はほぼ全員が結婚して子どもを作った。
今となっては男性の3割、女性の2割が生涯未婚だ。
私より上の世代で結婚をしていなかったり、結婚をしても子どもを作らない選択、あるいはできなかった人も一定数いたと思う。
その人たちは私たち以上にいろいろ言われたんだろうなと思うと、他人の心配をするお節介な人たちの頭を100回ぐらいハタいてあげたい。
いつの時代のマイノリティは奇異の目で見られる。
これは子ども問題だけではないのだ。
私だって過去に後輩に「結婚するの?」と聞いたことがあるので、頭をハタかれる側だ。
社会が成熟し個の時代に突入している現代、個人の選択は尊重されつつある。
ただ、それに伴う責任は自分で負うしかないのでそこは理解しなければと思った。
さいごに
最近妻と飲みながら子どもができたときの話をする。
妊婦のときは妻の大好きな刺身が食べられないそう。
妻は「私も我慢するんだからあなたも我慢して!」と言ってくる。
私は功利主義的な側面がある。
つまり、最大多数の最大幸福を優先するのだ。
妻にはこう話している。
妻が刺身を食べられずに不幸になること。
それが我が家にとってマイナス1と考えよう。
私が刺身を食べずに不幸に感じたら、我が家のマイナスは2になる。
私が刺身を食べたらプラス1なので、妻のマイナス1とあわせると±0だ。
家庭全体としてはその方がいい。
なので、功利主義的なこの考え方を採用したい。
妻「殴るよ?」