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ヒッチハイクをしていたら、幸福会ヤマギシ会に連れていかれた話。

この本を
重い十字架を背負って
これからの人生を生きていかなければならない
健二君の父母に捧げる

「洗脳の楽園」P1


「この本出版してよかったのか?」

本書を読みながら抱いた感情である。

幸福会ヤマギシ会という団体をご存じだろうか?

ヤマギシ会は1953年山岸巳代蔵の提唱する理念を実践する集団。活動目的は「すべての人が幸福である社会」。理想の社会を実現するための社会実顕地と言われる村が全国に26か所あり、約1500人が共同生活を営んでいる。村は日本国外にも6か所あり、村に住んでいない会員も5万人ほどいる。ヤマギシ会の主な収入源は農業で農事組合法人としては国内トップの売上高を誇っている。

所有の概念を否定し、「無所有一体」の生活を信条としている。実顕地と呼ばれるヤマギシ会会員たちが住む村にはお金という概念がない。村の中では食事や住居、生活必需品などは全て無料で提供される。ただ村に入村する際には自身の財産全てをヤマギシ会に寄付しなければならない。

引用元:wikipedia

本書にはヤマギシ会が行う7泊8日の「特別講習研鑽会」と呼ばれるセミナーの詳細が書かれている。

筆者はセミナーのことを「脳を洗うセミナー」と記載している。

つまり洗脳だ。

そして人が洗脳される過程が詳細に記されている。

このセミナーは過去に10万人が受講している。

現在も5万人いるヤマギシ会の会員がいることを考えると、洗脳の効果は抜群だ。

その手法を世に出してよかったのだろうか?

どれだけでも悪用できる気がする。

さらに読みながら思ったのが、

「筆者は命を削りながらこの1冊を書き上げた。」

noteで魂・命を削って書いたという比喩はよく使われる。

私にはその意味があまり理解できなかったのだが、この本は確実に命を削って書かれている。

取材した人数、ヤマギシ会から筆者への訴訟・暴力。

その言葉通り命を削って書き上げた一冊だ。

この本を手に取ったのは本当に偶然だった。



エホバの証人の人たち

数か月前、エホバの証人の方が勧誘にきた。

その日は仕事が休みだったので、少し時間を取って話を聞いてみた。

エホバの方は60代と20代の女性の2人組できた。

2人はとても素敵な笑顔をしていた。

私は何かを盲目的に信じたり、好きになる人について単純に興味がある。

それは宗教はもちろんのこと、推し活や占いなどもそうだ。

私が何か一つのことにそのように思えることがないからだ。

単純に私にはない気持ちについて知りたいのである。

エホバの方たちに対し時間を取ったのもそれが理由である。

エホバの60代の方はエホバの証人がいかに素晴らしい教えなのかを力説してくれた。

サタンや神の話から始まり、私のことを救いたいと言ってくれた。

そんなに私のことを思ってくれるのはありがたいのだが、結構救われている人生なので丁重にお断りした。

私は20代の子にいろいろ聞いてみた。

私「どうしてエホバの証人に入信しようと思ったのですか?」

20代「人生で死にたくなるぐらい辛いことがあった時に、エホバの証人に出会って救われたんです。」

私「エホバの証人の教えは正しいのですか?」

20代「すべて正しいです。」

私「じゃあエホバの証人以外の考えは間違っているのですか?」

20代「すべて間違っているわけではないと思うのですが。」

私「すべてを知らないのになぜエホバの証人の考えが正しいってわかるのですか?」

この辺りで60代の方が割って入ってきて、エホバの証人のすばらしさを10分程度力説してくれた。

合計で30分ぐらい話していたと思うのだが、2人ともずっとニコニコしているのだ。

私は幸福の真理を知っていて何も悩みがありませんといった表情だ。

でも目の奥に光がないのだ。

私がそう感じただけかもしれないが、普段会う人の目の奥には悩みや迷いがあったりする。

でもこの2人にはそれがない。

これは私の感想レベルなのだが、少し怖さを感じた。

エホバの2人が帰ったあと「あの目、なんかに似てるなー。」と悶々としていた。

それが最近分かった。

幸福会ヤマギシ会の人たちと同じ目だ。


ヒッチハイクをしていたら幸福会ヤマギシ会に連れていかれた

学生時代にヒッチハイクをしたことがある。

ヒッチハイクというのは精神力が試される。

すぐに拾ってもらえる時もあるのだが、拾われないときはそれこそ何時間も同じ場所で立っていなくてはならない。

「自分なにやってるんだろ。」と惨めな気持ちになるし、自己肯定感が爆下がりする。

余りの辛さに「電車で行こうかな。」と誘惑と常に戦うこととなる。

ヒッチハイクの旅は愛知県からスタートし最初は順調だった。

初めての出会いの連続で、ザ・青春そのものだった。

3台目に拾ってくれたトラックの運転手さんのことは今でも覚えている。

40代ぐらいの日焼けしたワイルドなおじさんだった。

おじさん「俺の友達が若いときに日本縦断のヒッチハイクの旅しててさ。そいつがすげえ嬉しそうに話してたんだよ。俺は当時20代でその話を聞きながらなんか元気が出てさ。自分にはやる勇気はないけどヒッチハイクをしている子を見つけたら拾ってあげてるんだ。おかしいかもしれないけど元気をもらったお返しをこれからの子たちにって思ってね。」

カッコよすぎて痺れた。

私もおじさんの意思を継いでヒッチハイクの子を見つけたら拾おうと思っているのだが、いまだ出会ったことがない。

おじさんは三重県鈴鹿市のサービスエリアまで乗せてくれた。

ここで試練が訪れたのだ。

2時間たっても全く拾ってもらえない。

よくよく考えればこれは当然で、私は何も考えずにサービスエリアの出口付近で待機していたのだ。

当たり前のことながら後ろから車がどんどん来るので、止まろうにも止まれない。

3時間が経った頃、1台の車が止まってくれた。

助手席の窓からおじさんが「後ろから車来てるから急いで乗って!」

もう諦めようかと思っていた時だったので、涙が出るほど嬉しかった。

急いで車に乗せてもらうと社内には30代~40代の男女が4人がいた。

おじさん「兄ちゃん(私のこと)、あんなところで立ってたら拾ってもらえへんやろ。俺ら気になって1回高速から降りてまた来たんやで!」

私「ええー!?ありがとうございます!!もう諦めようかと思っていたので、本当に嬉しかったです。」

おばさん「よかったねー。お兄さんご飯食べた?よかったらうちで食べてく?」

私「いんですか!?ありがとうございます!」

おばさん「私たちヤマギシ会の人間なんやけど、これからその施設に一緒に行こうか。」

私「(ヤマギシ会?なんだろう。ご飯もらえるならどうでもいいや!)お願いします!」

向かった先は「ヤマギシズム生活豊里実顕地」というヤマギシ会の中でも、規模の大きな集落だ。

おじさんたちはこの集落で共同生活を営んでいた。

おばさん「ご飯食べに行こうか。」

向かった先はホテルのレストランのように豪華な食堂だった。

そこには何十人もの住人が食事をしていた。

おばさんが素麵を持ってきてくれた。

私「お金払います。」

おばさん「お金?私たちお金がいらない生活をしているの。ご飯も全部タダよ。」

当時は何のことかわからなかったのだが、無所有一体の概念から集落ではお金を使わない。

ご飯も生活必需品も全て無料なのだ。

これ以外に何を話したか記憶にないのだが、おじさんとおばさんの表情を今でも覚えている。

ずっとニコニコしているのだ。

そして目の奥に光がない。

本書を読んでその理由が分かったのだが、これ以上書くのも何か怖いのでこの辺りにしておく。

また著者の米本和弘さんに興味を持ってもう1冊買った。

エホバの証人、統一教会、ヤマギシ会、オウム真理教の子どもたちについて書かれた1冊だ。

この2冊を読んで思った。

私たち大人は何を信じるのも自由だし、その後の人生がどうなるのも自己責任だ。

でも親が洗脳された結果、子どもたちにはとてつもなく大きな影響を及ぼすし、場合によっては一生も苦しむことになる。

「洗脳の楽園」の最後にこんなことが書いてあった。

親が子どもをヤマギシ学園に入れる。親が子どもをある組織から強制的に脱会させる。まるで別のことのように思えるだろうが、どちらも親が自分の価値観を子どもに押しつけている点では同じなのだ。

「洗脳の楽園」P401

米本さんのこの意味深な文章は「カルトの子」を読むと理解できる。

この2冊は子を持つ親、部下を持つ上司などにぜひ手に取っていただきたい。

子育て本や、マネジメント本などとは全く違う視点で物事を考えられるようになるはずだ。

おしまい!


今日の猫さん

みかん、まめきちのケンカ!



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FIREサラリーマン みかん🍊ブログ
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