carewillは当事者達にとって、「同志」のような存在になる〜長嶋りかこさんインタビュー 第2回〜
さまざまなメンバーに参画していただいているケア衣料ブランドcarewillの、参画メンバーの想いを詳しくお伝えする取材シリーズ、今回はcarewillにアートディレクター/グラフィックデザイナーとして携わっていただいている長嶋りかこさんに実際にcarewillに関わっていただく中で、長嶋さん視点でみたときのcarewillの特色や、今後への期待についてお話いただきました。
※こちらは取材記事の第2回です。第1回をまだお読みいただいていない方は下記からぜひお読みください。
長嶋りかこ氏
1980年生まれ。デザイン事務所village®代表、グラフィックデザイナー。アイデンティティデザイン、ウェブデザイン、ブックデザイン、空間構成、サイン計画など、グラフィックデザインを基軸とした活動を行う。 これまでの仕事に「札幌国際芸術祭”都市と自然”」(2014)、「東北ユースオーケストラ」(2016-)、「堂島ビエンナーレ」(2019)、ポーラ美術館のVI計画(2020)、廃棄生地のみを再利用した展示空間デザイン「DESCENTE BLANC exhibithion」(2018)、廃プラスチックボトルを再利用したテキスタイルデザイン「Scrap_CMYK」(2019)など。2021年度ヴェネチア・ビエンナーレでは国際建築展日本館にてデザインを担当。
https://www.rikako-nagashima.com
なぜ、ケア衣料、carewillのものづくりに関わることを決意されましたか。
長嶋さん:私は事務所を立ち上げてから、お仕事をお受けするかどうかの判断の指針を徐々に設けるようになり、現在は環境/福祉/文化活動にデザインで寄与できるかどうかを取捨選択の判断材料としています。なので、ただ「売れるため」とか、ただ「新しくするため」とか、ただ「話題になる」ためにデザインをするような仕事はお受けせず、依頼主の第一の目的が「環境のため」や「福祉のため」や「文化のため」である企業や団体のお仕事をお受けし、デザインで少しでも依頼主の役に立ちたいと考えています。自分が買いたくない商品には加担しない。自分が応援したくない企業や団体には加担しない。そう思うようになったのは、かつて務めていた広告代理店時代に沢山の後悔とやるせなさを経験したからです。
笈沼さんはどんな時でも志を語り、その志を確実にカタチにしようとしている人です。その志に私は共感しており、私もそんな社会を見たいと願って、carewillのものづくりに関わっています。
過去の仕事の中で、服や身につけるプロダクトに関わられたご経験を教えてください。 そのご経験と、carewillの服作りとの共通点や、異なる点などを教えてください。
長嶋さん:かつて自分で服をデザインして作ったことがあります。それは大量生産に対する疑問から生まれたものでした。ひとつ目は「シーズンをまたぐ服」。着方を変えることで服の形が変わり、シーズンをまたいで着ることが出来る服で、SS/AWと刹那的に作られるづけるファッション業界への疑問を服にしました。二つ目は、上下回転することで全く別の服となり服の寿命を伸ばせないか提案した服です。同じ服を長く着ることで訪れる”飽き”を回避できないかと試みたのもでした。どちらも大量生産大量消費に対する疑問から生まれたので、「社会に対しての疑問から産まれた」という意味ではcarewillと共通しているかもしれません。そういえば「着方」にフォーカスされている点も共通しています(今気づきました笑)。ただ大きく異なる点は、私の服づくりは単発で発信したメッセージであり、carewillのものづくりはメッセージを発信しながら、人々と輪を広げながら、継続してカタチにし続ける活動である、という点かと思います。carewillの活動は、ヨーゼフボイスの”社会彫刻”のようなものだとも感じています。そしてそれを実行できる強靭なタフさをcarewillに感じています。
特に服づくりのMTGに参加いただく中で、お気づきになられたこと、感想などを教えてください。
長嶋さん:それを着た人がどう感じるのか、という視点は常に持つ必要があると思っていました。それは着心地といったようなものではなく、倫理観のような視点です。例えば片麻痺の方には、片方の腕が動かないことを隠したい人もいれば隠さない人もいる、という前提に立った時に、この服のカタチはどちらの人も精神的な満足を得られるだろうか、ということを大事にしました。なのでやっていくうちに、機能を求めた結果それが服にとって積極的な特異のデザインになっている、というのが理想だなということが分かってきました。機能を徹底して追求しているけど単純に「服として選びたい」ものになっていれば成功なのではと。
当事者本人に「体が不自由だ」と思わせてしまうのは患部によってではなく社会によってなのではないかと思うのです。だから服を着るときに大変なのは体が不自由だからなのではなく「服が不自由」なのだと。それを解決する服になるにはどういうデザインが適切か、ということは常に気にしていました。
長嶋さんからみて、carewillの強み、特色は何だと思われますか。また、そう思われた理由を教えてください。
長嶋さん:種を蒔いて毎日のお世話を継続することの難しさを、タフさと切迫性で当然のように乗り越えていくのがcarewillだと思います。
世の中にそれを必要としている人がいなくても、これをしないといられない、というのがアーティストだと思うんですが、そういう意味で笈沼さんはアーティストみたいです。世の中を疑問視して、新たな視点を与えたり、気づきを与えたり、炭鉱のカナリアのように世に警鐘を鳴らしたり、土に種を蒔くような人。しかしその種に毎日水をあげて育てていく人がいないと花は咲かないし実はならない。carewillが凄いのは、土に種を蒔くだけでなく、毎日水をあげて世話をして花を咲かせてその実を成らせ、たくさんの困っている人に食べさせようとしていること。しかも日に日に、種を巻きお世話をする人の輪を広げながら。
carewillは問いを投げながら継続をデザインしている。これはかなりの強みだと思っています。
長嶋さんが、carewill、ケア衣料に期待してくださっていることは何でしょうか。将来、carewillは服の不自由をお持ちの方や、社会に対してどんな役割を持つとお考えでしょうか。
長嶋さん:ケア衣料によって、「着やすくなった」「自分で着られた」「服を着替えて出かける機会が増えた」「毎日が楽になった」など、当事者や介助者の毎日がより良いものになる手助けになってくれることを、当然まず第一に期待します。自分の意思で服を選び着る、ということの開放感は、授乳服を着る回数が減ってきた私ですら感じたことでしたから。たかが服、されど服。ファッションなんて有事の時に一番後回しになるようなものですが、そういったことにこそ人間の尊厳が潜んでいるんだろうなと感じます。
carewillは当事者達にとって、「同志」のような存在になるのではないかと思います。carewillを訪れる人は皆それぞれ大小様々な肉体的・精神的痛み、また後悔や悲しみを抱えていると思うのです。きっと孤独感に苛まれることもあるのだと思います。着られる服がないということは、社会の規格外、そんなマイノリティな自分は社会からケアされないのかと。だって、そんな気持ちに私もなりましたから。体力のありそうなブランドでも授乳服を作ってないので、”赤ちゃん、社会からいないことになってない?””育児中の母親もこの世からいないことになってない?”そんな怒りを覚えたこともありました。なので、苦悩をきっかけに授乳服ブランドを立ち上げた方のインタビューを読んだ時は、勝手に同志のような気持ちになりましたから。
社会の仕組みの問題である、だから持続可能な仕組みを作っていくというタフなcarewillですが、世の中には「食」「住」においても同じような問題があるのではないかと思うと、いずれ遠くの未来にはそう言った分野との掛け算が生まれていくことも勝手ながら期待します。ケアを必要とする人々と役立ちたい人々、それぞれがより良く生きるためのものづくりの場として、carewillは機能していくのではないでしょうか。
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第2回では、長嶋さんから見たcarewillの特色や、将来への期待について伺いました。インタビュー第3回では、長嶋さんご自身や、Villageさんについて、そして長嶋さんが監修くださったcarewillのVIについてまとめています。そちらもどうぞご覧ください。