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時代の変化を読み、最先端の表現をするヘアメーキャップアーティスト、むとうちづるさんが感じた服の不自由とは

carewillのVIなどを監修してくださっている長嶋りかこさんのSNS投稿がきっかけで、自身の過去の服の不自由から着用ヒアリングにご協力くださったむとうちづるさん。フリーのメーキャップアーティストとしてのキャリアと、モード学園などでメーキャップアーティストを目指す後進の育成、両方に取り組んでおられます。むとうさんは肩の脱臼から数年服の不自由を感じてこられました。当時感じた服の不自由や、carewillへの期待について伺いました。

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むとうちづる氏
群馬県生まれ。松永タカ子メイクアップスクール、窪田理容美容専門学校修了後、松永タカ子、長谷康雄に師事。吉野誠二美容室にてサロンワークをした後、フリーランスのヘア&メイクアップアーチストとして独立。CF、広告、写真集などで多くの女性のヘア&メイクを手がける。特にタレントの写真集に数多く携わり、その数は300冊を超える。エステティシャンの資格も持ち、幅広い美容知識を持つ「美の伝道師」として活躍中。著書『図解 週1回バスタイムでつくる女優肌&ボディ 講談社の実用BOOK』

ーーヒアリングに続き、今日は取材にご協力いただきありがとうございます。まずは武藤さんご自身について教えてください。どんなお仕事をされていらっしゃいますか。

むとうさん:大きく分けて2つの仕事をしています。ヘアメーキャップアーティストとして、CMやスチール撮影の現場に出ることと、学生の方に向けて学校(モード学園)で教える講師の仕事です。


ーー様々な現場でのお仕事と、講師のお仕事それぞれで、武藤さんが大切にされていることを教えてください。
むとうさん:撮影現場のヘアメーキャップアーティストとして大切にしていることは「協調性」です。CMですと20名以上、スチール撮影でも10名以上はスタッフが現場にいます。チームで作り上げる現場ですので、協調性を一番大切にしているのです。自分の専門性を発揮する、私であればヘアメイクができるのはプロとしては当たり前で、今、そこにいる人が何を必要としているのかを考えながら動いています。慣れない方はそれをこなすだけで精一杯になりがちです。そこにプラスして、今カメラマンの方、スタイリストの方、モデルの方が何を欲しているのか、何のフォローが必要なのか、を感じ取って、どれだけ動けるのかを考えています。

講師の仕事は、これまで40年以上フリーで活動してきたヘアメーキャップアーティストの経験も踏まえ、学校の現場以外でも、アシスタントの方々をプロに育て上げてきましたし、モード学園での講師勤務以前にも全国の学校で教えたりしていました。本気でプロになりたい、やる気があって課題や練習を何度もこなして質問に来るような学生の方には、課題のフォロー以上にアドバイスを行うこともあります。練習をして、何度も質問をしてくる学生の方にはアドバイスをしますが、練習をせず、質問もしてこない方にわざわざ「大丈夫?」とは確認したりはしません。私が現場でヘアメイクをやってきた時代と現在とは状況が異なります。紙媒体が減っている一方で動画の撮影は増えていますし、合成の技術が優れてきて実際の撮影はしなくなったり、撮影の内容や求められることが変わっています。また、本気でヘアメーキャップアーティストを目指すならば、2年間美容学校で学ぶだけでなく、エステティックやネイル、まつ毛エクステなどのダブルライセンスを目標にしなさいと伝えています。

ーー熱血指導ですね。そんなむとうさんは、なぜそもそもヘアメーキャップアーティストになりたいと思われたのですか。
むとうさん:いい質問ですね!ずっとメイクに興味があったからです。学生の頃、ファッション誌がどんどん創刊し、出版される時期でした。ファッションの面白い変化の時代を学生の頃に見てきたんですね。創刊された当初の雑誌のファッションのページのクレジットをみると、「ヘア ●●」と名前が出ていて、当時はモデルの方が自分でメイクをする時代でした。その後、今度は「カメラマン ●●、ヘア ●●、メイク ●●」と出るようになって、メイクという仕事があるんだ!と気がつきました。中学生の頃にダンスをやっていたので、体育大学の附属高校に進学をしたかったのですが、家族からも担任からも反対をされて、目指していた学校とは異なる高校に進学しました、ダンスは続けていましたが、大学進学にあたって、中国語学科を目指したんです、当時は倍率が1倍ちょっとで入りやすかったのですが、私が受験をする年に日中国交樹立して、中国語学科を目指す方が急増して倍率が40倍を超えてしまって・・・女性が浪人するのは反対される時代でしたので、国文科に入りました。大学に入学してからも、メイクをやりたいという想いが強かったので、二年生からはダブルスクールで夜間に美容学校に通い学んでいました。当時、女性は数名しかヘアメイクをやっていなかった時代に、その最先端の先生方が新しい学校を作られるということでしたので、そこに一期生として通い始めたのです。その後、ファッション誌のクレジットが「ヘア ●●、メイク ●●」から「ヘアメイク ●●」に変化しました。学校卒業後に、アシスタントとして学校に残り、現場にも行って学んでいたのですが、次のステップとして、当時「この人のアシスタントになりたい」と思った方の事務所に電話をかけたところ「女性は取っていない」と言われて断られました。まだそういう時代だったんですよね。断られた後、実家に戻って次の行動を考えていたところに、先の断られた事務所からお誘いの電話があったので、アシスタントして入ることになりました。


ーーすごい行動力と、先見の明と、ヘアメイクに対する情熱ですね!
むとうさん:今では信じられないですけどね。その方にアシスタントとしてついていたときに、ファッションは10年ごとに変化するものだと教えられました。それにキャッチアップしていくためにも美容師免許は取ったほうがいいと言われたので、理容美容専門学校に行って学び、あわせて、おばあちゃんとおかあさんがやっているような町の美容室で1年間アルバイトをして、その現場でやっているシャンプーの仕方などを体得していきました。その美容室のおばあちゃんは、日本髪の地毛でのセットなどもできる方だったので、それも見て学んでいました。なぜその美容室にしたかというと、スタイリッシュな美容室は全ての技術テストに合格しないと、シャンプーも含めてお客様と接する仕事ができません。ですので、即戦力として現場のやり方を見て、自分がやらせてもらって、学べる現場を選びました。4年間美容室にいて、ヘアと、エステの資格も取りまして、それ以降はフリーで活動しています。過去にも全国各地でヘアメイクの仕事と両立して講師の仕事をしていました。ですので「教える」経験はモード学園以前にもあったんですよね。

今は講師として、1950年台からの10年ずつの変化を、目の前で見てきた者として具体的に伝えています。眉のトレンドも変わりますよね、細い時代もあれば太くなります。だから、顔を見れば、眉の太さや生え方で年代がわかります。最近の「たれ眉」は日本だけのブームですし、これで海外のモデルの方のメイクをしたら怒られるよ、と指導をしたりをしています。日本での流行と海外の流行の違いなども分析して、最先端のヘアメイクをしています。

ーーこの後、取材者のアイブロウについても丁寧にご指導くださったむとうさんです。ありがとうございました。そんなむとうさんは、もともと代表の笈沼とつながりがあったわけではなく、現在ヒアリング等にご協力やご支援をいただいています。carewillを知っていただいたきっかけについて教えてください。
むとうさん:(carewillのVIに関わっていただいている)長嶋りかこさんのSNSの投稿を、私の親しい友人がシェアしていて、それを見て初めて知りました。昔、肩を脱臼していたので、当時だったら回答をして協力ができたのだけれども、現在は回復期で、日々の生活にはよっぽどのことがない限り苦痛や服の不自由がないので、まずは投稿のシェアで協力しようと思いました。シェアをするときに、「脱臼したときなら自分も協力したのだけど・・・誰か協力してくれる人いませんか?」とコメントを入れたところ、それを見た長嶋さんから、回復期でももし協力してもらえるならぜひお願いしたい、と話があり、それならば、ということで笈沼さんとつながり、今に至ります。

ーー今回、着用ヒアリングに2回ご協力いただきました。当時お抱えでいらした、服の不自由の具体的な内容を教えていただけますでしょうか。
むとうさん:そもそもの原因は、肩の脱臼でした。コンビニに行った時に、車止めにひっかかって転倒した際に肩を強打したときに起きた脱臼です。当時、すぐに病院に行けばよかったのですが、公私共に多忙な時期だったので、病院に行く時間がなく、処置などを専門の方にやってもらっていません。脱臼した腕を入れ直したことはないので、ふとしたはずみで戻ったようです。無理をして動かしてはいけないので、徐々に様子を見ながら、家でできるリハビリをやりながら少しずつ回復を待とう、どうしても痛ければ湿布を貼って痛みと付き合っていこう、ということになりました。しかし、肩の痛みは長い期間続いていましたので、脱臼から正常な位置には戻っていなかったのでしょうね。当時、三角巾をつけるほどではないのですが、物を上に持ち上げる、下におろす、洋服を着る、脱ぐのがとても痛くて大変でできなかったのです。それまでは、身体の柔軟性は高いほうでしたので、どんな服も手を後ろに回して着ることができましたし、あえて前後を逆に最初に着てからぐるっと回したりということはしなくてよかったのです。それが、症状が出てからは、肩が痛い、動かないので、着方を工夫して対応しなければなりませんでした。肩が動かないことで、色々と不便が出てくるのだなぁ・・ということと、三角巾で吊るほどではないのですが、日常生活をする中でも、仕事でも、肩の痛みは外からは見えないので、自分ができない動作を誰かに代わりにやってほしいとなかなか言えない不便もありました。本来ならば安静にしたほうがよいけれど、骨折ではないのでそこまで大事ではない、仕事でメイクをする手の動きには、そこまで不便はなかったのですが、ヘアセットを行う際がとても痛かったですね。周りのひとが理解してくれば楽なのになぁと感じるところはありました。

昨年の2月頃、再び肩が痛くなり、当時少し仕事が落ち着いていたので、ようやく整形外科で診てもらいました。その際に、肩についている3本の筋肉の1本は切れてしまっていると去年診断をされました。残り2本がしっかりついているので、あまり無理はなく動かせていられるようです。当時、毎日リハビリに来るようにとは言われず、とても痛いときは痛み止めを飲むように指示されました。この時点で、最初の肩の痛み、右肩の亜脱臼からは約3年が経過しており、肩の患部も固まってしまっていて。この病院での診断を経て、それまでも日々の生活の中でなるべく動かすようにはしていたのですが、たまに痛みが現れるので、昨年秋から、知人に紹介された整形外科ご出身の方がされている整体・マッサージにお世話になるようになりました。以降、急激に回復しました。

女性ホルモンの分泌低下とともに起こる、母指CM関節症という症状があります。お鍋を持つのもとても痛くて、肩の痛みとともに耐えがたかったので、その整体・マッサージの方に相談したところ、右手の母指CM関節症もかなり回復してきました。筋膜などからアプローチする方法で、押したりするとまだ痛いですし、左手の症状はまだ残っていますが、改善しています。このような状況ですので、ヒアリングに協力する中では、昨年秋までのとても痛かった頃、肩が動きにくかった頃のことを思い出しながら、試着とコメントをさせてもらっています。

ーーここまでお話を伺っていて・・・武藤さん、もしかして痛みにものすごくお強い方なのでしょうか。
むとうさん:そうなんです。とても痛みに強い、耐えられるタイプです。注射の中で一番痛いと言われている注射も、確かに痛いのですが、息を吐いて処置されている間に乗り切れました。レーザーも、麻酔なしでやってもらっても平気です。痛みに強いタイプですね。

ーー肩の前の筋肉が切れている状態で、自分の髪のセットも、お仕事のヘアスタイリングも、大変だったのではないかと思います。
むとうさん:とても大変でした。痛い痛いと言いながら自分の髪のセットをしていましたね。仕事もなんとか、自分がやらないととという現場ですので、やっていました。痛みに強いのは、いい面もありますが、よくない面もあります。痛みを感じてすぐに病院にいかれる方は、その症状以外の部分の異常も発見されやすいですよね。私は、割と症状や痛みがひどくならないと病院に行かないので、これまでは内科的にも異常はなかったですが。

ーー一番肩の痛みがひどかったときに、着られなくなった服などはありますでしょうか。
むとうさん:仕事柄、よほどのことがない限り、何を着てもいいんです。周囲が着ていると同じものは着たくないタイプですが、チュニックが流行している時期に、みなさんが着用している服を参考にして、大きめのシャツに、タイトなボトムスをあわせたりはしていました。スーツやシャツを着る打ち合わせなどはないので、当時のスーツの流行はタイトなシルエットのものばかりでしたが、肩が痛くてこの服が着られない、というものはありませんでした。カットソーやニットのように、伸縮性のある服を選べたのでよかったです。

ーー当時の痛みなどを思い出しながら、carewillの服のサンプルについて、オンラインヒアリングにご協力をいただきました。その際、お手にとっていただいたサンプルの中で印象的だったものや、ヒアリング自体でお気づきになられた点はありましたでしょうか。ご感想などがあればお聞かせください。
むとうさん:痛かったときや肩が動かなかった頃のことを思い出しながら、ヒアリングに協力をしたり、オンライン調査に回答をしていました。痛みと付き合っていた期間が長かったので、思い出しやすかったです。ヒアリングで不快な気持ちになることはありませんでした。

ヒアリングの時にこの素材いいわ、という視点では見ていなかったのですが、基本的にゴミがつかない素材はいいですね。カットソーは着脱しやすいですが、素材的にゴミがつきやすいですよね。動物を飼っていたら、ペットの毛がつきやすいんです。着させてもらったサンプルに使用されている素材はゴミなどが付着しにくいものでした。私は猫を飼っているので、毎日掃除をしていてもどこかに猫の毛が家の中にありますので、ゴミがつきにくい素材はいいです。また、服に不自由を感じていらっしゃる方は、服に糸くずや他の服の繊維、ペットの毛が付着したときに除去するのも大変なので、素材は重要だと思います。

ーー先ほどお話いただいた肩の脱臼による服の不自由以外で、何かお怪我をされたことなどはありましたでしょうか。
むとうさん:室内で転倒し、たまたま家具が当たってしまい、肋骨を2本骨折したことがあります。その時は、笑ったりするときは痛いですが、服の着脱などは問題なく実施できていました。また、買い物に行った際に滑って転倒し、持ち物は守れたのに右手は骨折しました。骨折のときは、あと2cmずれていたら手術をしなければいけなかったのですが、手術は免れることができて、翌日から海外ロケに行きました。カメラマンの方に、骨折したから行けないかもしれないと連絡をしたところ、「指は動きますか?」と確認をされて、指は動くけれども荷物を持つことができないと伝えましたら、カメラマンの方のアシスタントの方が荷物は全て持つので、現地に来てください、と言われたのでそのまま現地に飛びました。

ーー骨折されながらも各地を飛び回って、精力的にご活躍だったんですね。
むとうさん:年間5分の3は海外に行ってましたね。バブル前あたりからすごく忙しくなり、バブル期にももちろん忙しく、バブル崩壊後も、経済的にはダメージでしたが、紙媒体はまだまだ続いていたのでロケが多かったですね。骨折しても代理がきかないですし、10日くらいのロケだったので、代理が見つかったとしても全日程カバーできる人はいなかった。ですので、そこまで言ってくださるならば・・と飛んでいきました。5年ほど前に結婚しましたが、結婚後は、介護がセットでついてきたので飛び回って仕事ができなくなりました。そのタイミングあたりで、偶然、講師を探しているお話をいただくことが増えて、撮影現場を飛び回るところから、若手を育てるほうにシフトできてきて、いいバランスになっていると思います。

ーー先ほどの骨折しながら海外でお仕事、の話を詳しく聞きたいので戻らせてください。さすがにその時は手を固定されていらっしゃったのですよね。
むとうさん:手首のよく動かす部分が患部ではなかったので、ギプスまではいかず、指の付け根は動かさないように包帯でカバーしていました。指先は動いたのでメイクをして、ヘアセットはなんとか患部をかばいながらやりました。私たちの業界は、現場に行けば代わりがいないので、カメラマンの方が現地で足を骨折してもそのまま撮影されていらっしゃるのを何度も見たことがあります。体力と忍耐力が求められる現場ですね。

手の骨折のときも、肋骨骨折のときも、服の着脱に必要な身体の部分は動かせましたので、服の不自由は感じることはありませんでした。四十肩や五十肩もなかったので、肩を痛めて初めて、服の不自由を知ったんですね。周りには、四十肩や五十肩をお持ちの方もいて、話を聞くと、1年ほど経過するとある日突然肩が動くようになるそうですし、私の場合は右だけで左の症状は全くなかったので、肩の脱臼と四十肩・五十肩は併発していなかったみたいです。


ーーここまで、服の不自由のご経験や、carewillの着用ヒアリングにご協力いただいた際のお話を伺いました。実は、武藤さんは、着用ヒアリング以外にも、お仕事のつながりで、carewillに人を紹介してくださいました。ヒアリングに協力してくださる方はいらっしゃいますが、carewillや笈沼の思いを聞いて、新たにご自身のお知り合いなどを紹介してくださる方はなかなかいらっしゃいません。なぜ、そこまでcarewillのことを応援してくださっているのでしょうか。
むとうさん:愛しているから、と言った方がいいでしょうか(笑)。
笈沼さんの経歴や、東京都や国からのバックアップの実績を拝見して、何かをやろうと挑戦している強い意志がある方だと思いました。事業の内容も、服の不自由をお持ちの方のために、という内容ですし、誰かに協力してもらったら他の人も応援しよう、協力しようと思うタイプなのかなという印象がありました。ヒアリングの中で、私の仕事について話したときに、勤務先(モード学園)の他の部門でデザインを教えていますという話をしました。もし、スノーボードに行って、スポーツをしていて怪我をした経験がある、服の不自由を感じたことがある学生の方がデザインしたものがあってもいいんじゃないかしら、必要があれば人をご紹介できます、とお伝えしたら、それに対してすぐにレスポンスをくださったんです。モード学園には多くのコンテストがあります、賞金やブランド商品、タイアップの機会などが学生に与えられますので、学生にとってはただ課題をやるよりもやりがいを感じられるんですね。ケア衣料についてもすごくいいなと思いましたので、先日ファッション学科の先生とおつなぎしました。


学生は「やりたい」「これを作ろう」という気持ちはありますが、それを形にしていく練習をするのが学校生活です。100%の作品を出すのは難しいかもしれませんが、プロの手が加われば、大幅にブラッシュアップされたり、大変身するアイデアもあります。大人が想像できない部分の発想を、学生の方が出すこともあるので、そういったアイデアに大人やプロの目が絡まっていくといいなと思っています。

ーー武藤さんからご覧になられて感じる、carewillが社会に出していく価値や、期待していただいていることを教えてください。
むとうさん:笈沼さんの原体験はお父様の介護ですよね。私は父の介護と義母と過ごした時間の原体験があります。入院時に服を着せることは大変でした。身体に病気をお持ちの方、不自由を感じていらっしゃる方は多いと思います。今のcarewillの最優先は、痛みや動かしづらさのある方の、服の不自由がある部分を支える、サポートする、無理なく動かせる機能を兼ね備えた服を作ることですが、外に出かける服も普段と変わらず、むしろそのケア衣料を着ているほうがおしゃれでいられる服をどんどん出していってほしいです。最終的には、症状が軽い方向けの服や、シャツ以外にも服のラインナップが広がるといいですね。

四十肩や五十肩の方は、ひとに聞けば1年で終わるようなのでなんとなく耐えようと考えてしまう方が多いです。なんとか耐えられるとはいえ、日々痛みや動かしづらさをお持ちの方が、少しでも楽に服を着ることができて、その方々がおしゃれを楽しむことができる、さらに、身体の状態は戻ったけれどもこの服を着続ける、ということができたらよいのではないでしょうか。重症の方から軽症の方まで、ファッション性のある普通の服なのに、四十肩・五十肩などの症状があっても楽に着られるね、という商品を出すことができれば、もっと収益性も上がって事業の幅も広がるのではと思います。

膝が痛い方も多いですから、痛いところを支えるし、季節を選ばない服など、ひとつずつ、いろいろな服の不自由に寄り添える製品が広がっていくといいですね。日本はお年寄りが多くなってきていますが、お年寄りは服の着脱も含めて、痛いと感じる部分が多くなっていくんですよね。そういうお悩みに寄り添える商品が増えていったらいいなぁと。私自身は、膝を曲げて、そのシルエットが残るパンツがいやなんです。四方にストレッチが効いているパンツを履くと、膝を曲げた後の出っ張りがすぐに消えます。そういう素材を使いながら、革素材だけどストレッチが効いている、などの、ファッション業界の素材の可能性をもっと広げていってほしいと思います。戦前、戦後でデザインは出尽くした印象があります、最近はそれを組み合わせたり、素材感をプラスしたりしていく動きがありますので、従来のファッションとは異なる部分の発展もみせてほしいですね。

carewillがつくるケア衣料が、素材や機能、デザインをバランスよく組み合わせて、多くの服の不自由を抱えておられる方の生活に寄り添える社会を、これから作っていきたいと思います。むとうさん、ご協力ありがとうございました!


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