やってみてわかった!見たくない部分まで見えて新しい自分を発見した3つの理由
キッカケは自分を知りたかったから
キッカケはひょんなことから見つけた記事がきっかけで問い合わせたところから始まった。
4つを知るの感情を知る、性質、性格を知る、できることを知る、生活をしるから始まったけど、WEBセッションを繰り返していくうちに、自分自身の新しい一面や見たくないと思って避けていた部分が見えてきた。
もともとこのプログラムを経験することで、自分が変われるキッカケが得られればいいと思っていたけど、実際はとことん自分自身と向き合うことによって、自分の強みがわかって、一行ポップで表現できるレベルにまで来たことは本当に驚いた。
考える際にもきちんと考える時間を設けてくれたり、価値観やアドバイスの押し付けもなく、自分自身の言葉で語っていくうちに、今まで見えていなかった自分や誰も知らない自分が見えてきたことは大きかった。
いろいろな点が浮き彫りになってくると、それが線になっていって、面になったときには、すっ~と腹おちをしてきたことはすごく新鮮だった。
ワークを通して気づいたこと
このワークショップはすごく自分自身と向き合うことになるのはもちろんですが、自分自身が何者なのかということを簡単に説明ができるようになったのはすごく良かった点である。
自分自身が何者かがわからなかったことはもちろんですが、どの強みを活かしていけばいいのかもわからずに、キャリアの迷子になりかけていた時期であった。
会社名や表彰履歴などは通用するものではなく、自分自身をどう伝えるのかというのがすごく難しかった。
会社名、肩書、表彰履歴などを取っ払ってしまうと、何も残っていない自分自身に焦りを感じていたのかもしれない。
自分が価値があると思っていたことが全くないことに気づいたのはもちろんですが、どう見られたいのか、どういうことができるのかを明確にするまではすごく苦しんだことを今でも思い出します。
半年間のセッションを経て気づいたのは、やってよかった!行動ができてよかった、後悔することなく決断できる自信を身につけられたことである。
心の中の森の中を彷徨った
自分は何者なんだろうということから、深い深い心の中の森の中を彷徨っていた。
何をやって、何をやらないのか、失敗しないためにはどうしたらいいのか、後悔しないためにはどうしたらいいのかと考えていくうちに、経験値が足りないことに気づいた。
仕事を通していろいろなことをやってきた自負はあったけど、経験値がないということはすごくもったいないという気持ちがあった。
もっとやりたい、もっと楽しみたいという気持ちがあったのはもちろんですが、目の前に分かれ道があってどちらに進むか迷っていた。
なんとなくわかって狭く深く掘っていく感じになり、広がらない道を選択するのか、それとも不安があるけど未知の分野に飛び込んで探検をする道が存在していた。
転職をして得られるものが何だろう⁉と考えるようになり、類似性や似たような体験をすると、成長をすることはないということに気づいた。
それが逃げているのではないかと自分の中で自問自答をしていた。
キャリアアップしたいのか、偉くなりたいのか
そんなに評価とかを気にしなくても、ちゃんと自分というものがあって生きていく強さがあればいい。
偉くなりたいのはもちろんだけど、キャリアアップしているか、市場価値、商品価値が下がっていないか不安である。
役職とかポジションをもらうと実力、運、調子が揃って獲れたにも関わらず、大したことない自分がそこにいていいのかという不安に押しやられていた。
偉くなってチヤホヤされたい自分と、調子子いているという自分の間でしなり続けていたのはもちろんですが、軸に気づくことができたらすごく楽になった。
誰も知っている自分がいて、人には隠している自分がいて、気づいていない自分がいて、誰も知らない自分がいるということが理解できたときに軸があることに気づくまでは長い道のりだった。
私って誰だろう!?から始まって、もっとも人生で素晴らしいことはあなた自身でいるということに気づけなかったのはすごく人生を損した気持ちになった。
だって、自分自身がわからないから、心の中の森の中を彷徨うことになるとはわからなかった。
かっこ悪いんだけど人の上に立ちたい、人の上に立つことによってメンタルが安定して、やっかむことはない。
誰でもそうだし、言いたくてもいわないこと。
いろいろな人から認めてもらいたいという気持ちがあり、承認欲求みたいなものが強かったのかもしれない。
裏を返せば、やきもちを焼いたり、人を妬んだり、嫉んだりすることではなく、他人からひとりでも多く認めてもらうためにはどうしたらいいのかと彷徨ってきた結果がそこにはあった。
昇進の打診をもらっていたにもかかわらず、生殺し状態が続いて早く解放してほしいという気持ちがそこにはあったのかも知れない。
社長からは昇進をしてマネージメントをしながら、新規事業を立ち上げてほしいといわれていたが、昇進が3回見送りになった。
なぜかというと、社長の意見と役員の間で意見に隔たりがあり、若手の人材の抜擢について論争が起きていた。
若手が中堅、ベテラン社員を抜いて大抜擢をされることになると、ハレーションが起きることはもちろんですが、そのポジションを獲られるのではないかという不安がおそってきたため、一斉に阻止する方向で動いていた。
楽しいことは何だろう⁉
よく言っているのが、『楽しんでやらなきゃ、言い訳を考えるなら負けの論理である』だった。
楽しむことができれば、パフォーマンスも最大にできることになる。
どっかしら心にスキがあると、言い訳を考えてしまう。
人間の脳は変化を好む傾向にはなく、現状維持をするようになっているから。
否定して、怒って、何とかしようと感情を取引して、あ~っと落ち込んで、やっと受け入れられることにも気づいた。
否定から始まって、何で俺がこんな目に合わなきゃいけないのかと思って、何とかしようとして現実に戻ってきて、あ~っと落ち込んで、どうしたらいいのかを考える余裕が生まれてきたのは、セッションを重ねて4か月目ぐらいだった。
転職をするのか、現職に残るのか迷っていたけど、転職をすることによって自分が思っている市場価値、感情価値、商品価値がイコールになるのかという不安と、現職に残っても頭の固い人たちが上層部でいるということは才能を殺されてしまうだけでなく、気に食わなければ追い出されるリスクがあると感じた。
あ~しなさい、こ~しなさいと言われた方が楽だったんだけど、弱い部分を出しながらどうしたらいいのかということを整理する場でもあった。
恐怖や不安と付き合うのはすごくつらいことだけど、弱い部分を出しながら整理することですごく納得ができた。
自己肯定感が欲しいと思っていた
自己肯定感を得るためには、すべて他者評価だった。
あの会社のあの人、いろいろ社内表彰されているあの人というものであり、こういう自己肯定感を追っていくと、虚ろなものばかりであり判断材料としたときには、承認欲求が満たされることはほとんどなかった。
多分永遠に満たされないものだなぁ~と初めて気づいた。
承認欲求を基にした自己肯定感を今まで追いかけてきたけど、そこじゃないんだということにワークを通してきづいた。
自己肯定感って何ぞや!?
ありのままの自分でいられることって定義されるのが自己肯定感である。
最初は気づくことからはじめて、みっともない自分にも気づくことである。
怖い、不安というのはずっとついてくるものであり、それを認めてから始まることである。
誰にでも認めてもらうには誰もが知っていることにチャレンジすることも必要だし、そこで結果を残していくことはすごく重要だと思った。
これは、他人から見ての自分であるということはセッションが終わってから気づいたことであり、どこまでも人に認めてもらいたいんだということに気づいた瞬間でもある。
コントロールできる部分であれば、自分から主導権を握ってコントロールをすることによって、確率を上げることができるようになる。
コントロールできない部分については、何もしないことの大切さにも気づいた瞬間である。
配属ガチャで外れたな、上司ガチャで外れたなと思ったなら、コントロールできる部分は、社内の信用預金をあげることであり、実績を上げることによってガチャの当選確率をあげていくことができれば、限界値を突破することができるようになるだろうと感じた。
弱い自分と付き合うことで自信が持てた
逃げ出したいという気持ちがあるということは弱い自分がそこにいる時づけると、すごく楽になったのは間違いない。
逃げて勝ち得たとしても一生後悔が残るわけですし、やって後悔、やらない後悔であれば、やり切って後悔するすることを選択したいと思った。
何でこんなことばっかり考えているんだって思っていたけど、なんだか腹の奥底から引きずりだしてきて、腹の底に隠しているようなものを、お前ってどんだけ汚い心や邪心を持っているのかって出てくるけど、それは絶対に切れない。
『うわっ!何かこんなもん見ちまったなぁ~』と思いながら、自分自身に存在を認めさせて、再度腹の奥底にしまい込んで、平然とした顔で戦い続けなければならない。
これが本当につらかった。
本来であれば切り離してしまう人がほとんどであるにもかかわらず、切り離すことをせずに、弱い自分を認めてあげるってことはすごい事だった。
逃げずに弱い自分を認めることによって、心理的にも楽になった。
やることをやってきて、結果が伴わないのであれば後悔したくない。
気持ちで負けてしまうことがあるけど、逃げ出すことによってすべてを失うことはないとわかっていたから、自分の殻に閉じこもってしまった。
本気を出して傷つくことがあれば戦わない方がいいと後悔があったから、できたことかもしれない。
本気でやってきたからこそ、負けてもすっきりすることができるわけであり、中途半端にやっていると何事も後悔をすることになる。
勝って当たり前、できて当たり前ではないときほどこそ、不安も大きく、恐怖心も大きいものである。
しかし、弱い自分を認めることができて、その不安や恐怖心を超えることができるようになるだろうと信じてやった結果、後悔することなく自分自身のキャリアの進め方や人生に自信を持つことができるようになった。
終わってみて気づいたこと
すごい特別なことをやったんだなぁ~という気持ち。
これをやらなかったら、特別だということに気づかなかったし、新しい時分、弱い自分にも気づくことができなかった。
自分というものがどういうものなのかを見ることができなかったと思うし、たぶんそれをしているから濃厚な時間になっているわけであって、ただ流れる時間とは違った。
これをやらなかったら、意味、意義などを感じることはできなかったと思うし、心の中にある森の形は変わっていくかもしれないけど、それが自分自身であるし、森の中を彷徨っていくのも楽しくなってきた。
本気でやってみることってすごく重要だし、やって後悔した方がすごく楽になることが多い。
やらない後悔で後ろ髪を引かれるぐらいだったら、やってみて後悔をする方がすごくいいということに気づかせてくれたセッションでした。